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『マチネの終わりに』第八章(30)

 自分の音楽を待っていてくれた人々には、強く心を動かされた。そして、自分の音楽の場所を、もう少しで見出せそうな気がしていた。復帰後は、まだ一度もリサイタルを行っておらず、コンサートでも決してソロでは演奏しなかった。

 彼自身も武知の存在を支えとしていた。自分のそうした心境の変化には感慨を抱いたが、それも、武知の実直な演奏家としての姿勢に影響を受けているように感じた。

 公演のプログラムは、ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの編曲によるドビュッシーの《月の光》や、ブローウェルの《トリプティコ》、ピアソラの《タンゴ組曲》など、ギターファンにも馴染みのある曲から、《この素晴らしき世界》にも収録したトッド・ラングレンの《ア・ドリーム・ゴウズ・オン・フォーエヴァー》のようなポップスまで、幅広い内容となっていたが、最終日には殊に、蒔野が自ら編曲した、モーツァルトの弦楽四重奏第十七番《狩》の第四楽章に最も手応えを感じた。

 蒔野の知る限り、ギターデュオでは演奏されたことのない珍しい選曲だったが、彼はその高雅で軽捷な音の着地の仕方を、どうにかものにしたいと思っていた。

 展開部の対位法は非常に精緻で、それをギター二台で効果的に再現するのには骨を折った。武知もしばしば途方に暮れて首を傾げていたが、公演の度に少しずつ楽譜にも手を入れて、最終日には、決定稿と言えるものがどうにか間に合った。

 最後の曲として演奏すると、会場からは、熱気とともに割れんばかりの拍手が起こった。アンコールには三度応じた。長い沈黙の後、再びギターを手にするようになって八カ月ほどが過ぎていた。蒔野はようやく、自分はあの危機を凌ぎきったのだという安堵を舞台上で感じた。終演後のサイン会では、良い表情だったと、申し合わせたように何人かから声を掛けられた。それも、あまり記憶にない、珍しいことだった。

 会場をあとにすると、磐梯熱海のホテルに移動して、この日のためにわざわざ東京から駆けつけたスタッフらを交えて、日付の変わる頃までツアーの打ち上げをした。


第八章・真相/30=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


▲ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの編曲によるドビュッシーの《月の光》


▲ブローウェルの《トリプティコ》


▲ピアソラの《タンゴ組曲》


▲トッド・ラングレンの《ア・ドリーム・ゴウズ・オン・フォーエヴァー》


▲モーツァルトの弦楽四重奏第十七番《狩》

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