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20240416 盆 voyage

「頼む!!お願いだ!!舞台装置で盆(廻し舞台)を使ってくれ!!頼む!どうしても盆の上でくるくる廻りたいんだ!!これが最後のチャンスなんだ!お願いします!!!」という気持ちで矢も盾もたまらず卒業生たちの署名を集めて演出家に提出したことがあった。どうしても盆で廻りたかった。

▼それもこれも、その劇団のエース演出家が「盆の鵜山」と呼ばれる人で、とにかくいろんな舞台で盆をくるくる廻して観客を魅了していたからだった。「盆がくるくる廻る舞台はすべからく素晴らしいもの」という強烈な刷り込みがなされていたので、研究生という身分ではあってもその劇団に在籍しているうちにどうしたって盆で廻りたかった。

▼最後の卒業発表会の作品がチェーホフの『三人姉妹』だったので、どう考えたって廻しどころがなく、署名嘆願も虚しく盆は採用されなかった(強いていうなら三幕のヴェルシーニンとマーシャ、ラストシーンの三姉妹あたりをクルクル廻し続ける、とかだったろうか)。ああこれで卒業するのだという感慨よりも「私はついに盆で廻れなかった」という喪失感の方が大きく、卒業した後でどうやったら最短距離で盆で廻れるのだろうということばかり考えて過ごしていた。

▼小劇場に舞台を観に行って「ん、盆が廻っているな…!?」と思えばその作品の舞台監督の方を調べて連絡をして会って話を聞きに行ったりしていた。いま冷静になって考えてもものすごく有名な方なので、若いとはいえ向こう見ずにもほどがあるだろ、と自分に対して思うがその舞台監督の方はいきなり現れた得体の知れない若者に対して、「盆にも手動と自動といろいろあって、手で廻すなら予算はこれくらい、自動で廻すなら予算はこれくらいに跳ね上がるのだよ」ということをものすごく親身に教えてくれた。現場をいくつも持っていて忙しかったに違いないのに、三軒茶屋のカフェで会って話を聞いてくれたことに本当に頭が上がらない。

▼卒業後も盆に対して焦がれ続けていたから、思い詰めてこんな文章も書いたりしていた。あれから9年経ったけれども自分の劇団の舞台でも出演させてもらった舞台でも、未だに盆とは出会えていない。強烈な初期衝動とは裏腹に、公演予算や動員といった現実的な物事に気を取られて一度も盆の実現に至っていないのだった。

▼こうなってくると私にとって盆とはもはや物質ではなく、一つの概念になったと言っても過言ではない。到達不可能であるからこそそこに向かっていく価値のあるもの。言うなれば盆は死滅するためにある。そこに到達したときにはむろん、到達までの道程でもたえず死滅しなければならぬもの。それが、盆である、と。と同時にその盆とやらはついにこないものだという前提において、盆は成り立つのである。何を言ってるのだか、自分でもよく分からずにいる。

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