夢を持たなきゃ、始まらない。

先生にある相談をしてみた。

私「Oくんは、〇年後に〇〇という夢があるんです。でも、その夢は、私からすると、ものすごく大きな夢なんです。でも、彼を見ていると、彼の今の行動は、夢を語ることに満足をしているようで、夢に直接繋がる行動をしているようには、見えないんです。

言うことから夢は始まる、臆病でも口にすることが大事、ポジティブに見せることが大事、笑顔でいることが大事だと思っているんです。それは、私も同感です。

でも、わたしは現時点ですでに大成している訳ではないし、大きなことも言えないです。だから、アドバイスもできないし、でも、それを何にも言わないのは、なんだか大切な仲間に対して無関心な気がして、なんだか、モヤモヤしているんです。先生だったら、どうされますか?」

先生「応援しますよ。」

私「そうですか。」

先生「そう、意識高い系の人って、板挟みにされるから大変なんですよね。下からは、意識高い系と冷やかされる、笑われる。上からは、すでにその人は経験されてるから、それじゃダメだと言われて、板挟みになる。でも、意識を持たないより、全然いいと思うんです。」

聞きながら「あれ、私、夢持ってなかった。2年の時は、意識高い系なんて自分も言われてたな。でも、箕輪さんの本に、「意識を持たない奴よりマシだ」なんて書かれていたのが、印象に残ったんだったよな」と、夢を大きな口で言わなくなったこと、子どものような、大きな(最初は)自分だけの夢を持たなくなっていたことを思い出した。

同時に、「意識高い系」がどんな人か理解した。

私「先生、私、今思いました。夢、持ちます。」

夢を持つのは、個人の自由だ。
その夢を、誰も奪うことはできない。自分が手放さなければ。

5月13日、現在お世話になっている事業をされている方から質問されたことを思い出した。

事業者「人にはね、誰にも奪えない権利があるんだよ。何だと思う?」

私「何でしょう…」

事業者「挑戦する権利。人はね、無限の挑戦する権利を持っているんだよ。何度だって、挑戦することができるんだよ。」

忘れていた、でも、ちゃんと覚えていた。

人は自分が経験したこと、生きた生き方でしか、自分の人生を語れないと思う。
でも、言ってみれば、自分は人通りの人生しか経験していないのであり、
自分が失敗したからと言って、その人も失敗するとは限らない。

自分ができなかったとしても、できた人がいる時点で、できる可能性は無限大だ。
そして、過去に前例がなかったとしても、自分がやってみたいなら、人生を駆けてみたいなら、
「やってみれないいじゃん」
そう、応援できる人になりたいね。

その挑戦が、まだその人が責任を取れないなら、私が責任をとれるような強さを身に着け、
すでに自立しているなら、「自分の責任で、いってらっしゃい」と、信頼し、信頼され、
心から門出を祝えるような、人になりたいね。

たとえ、その人の今の行動が、直接その夢に辿り着いてなかったとしても、否定も、批判もしない。
ただ、求めてもらえたら、応えたい。
ただ、その人を信じたい。
だって、いつ、だれと、出逢うか分からないから。
今、階段を上っていても、誰かがエレベーターのありかを教えてくれるかもしれないから。
そして、いつ、どこで、どんな発見、気づきをして、どう変化するかなんて誰にも分からないんだから。
純粋に、応援しよう。それが、私のありたい姿。

夢を持とう。大きな、大きな、夢を。
傷つくことを恐れないで、ビジョンだけでなく、達成できた、できなかった、成功した、しなかった、が明確となるような、夢を描こう。

今、中学生からの夢がひとつだけある。
国際結婚。
国籍選んでないし、「それなら日本人よりたくさんいて、確率高いじゃん」と言われるが、
それもストーリーを描いている。
そのために必要なことはたくさん。
端から見て、直接目に見えなくても、毎日コツコツ、ひとつずつやっていこう。

夢は、叶えるためにあるって、こういうことなのかな。
書いてたら、楽しくなってきた。
やっぱり、将来について考えるのって、ワクワクするね。
もしも、人が夢を語る姿に心が痛くなったら、その時はもう一度、自分の心の状態を見つめ直そう。
そして、悔いのないように、生きよう。

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