学内のスポーツイベントへの関わりが自分をネガティブにさせたのかも

 どうも。実家でよく食べていたバニラヨーグルトを久しぶりに買ってみたらとても美味しくて幸せな、ひらりんです。

 私は最近どういう将来を築きたいかをよく考えるのですが、今後のキャリアを考える上で今までの人生を振り返るのって役に立つのではないでしょうか。
 三つ子の魂百までなんて言葉がありますが、それより成長してから表れた性質も同様に大人になっても続いているのではないかと思うのです。
 幼稚園〜大学まで様々なことがあったなあとしみじみ思うのですが、私は高校時代が一番辛かった覚えがあります。県立の進学校に進学したのですが全然クラスに馴染めず、孤立していましたから。

 突然ですが皆さんは学校行事はお好きですか?実は私はあまり良い思い出がありません。というのも当日欠席してしまっていたことが何度もあるからです。これはそれこそ逃げ癖があるのかという気付きにもなる訳ですが、合理的に思える理由もあるのです。
 それは、自分が休んだ方が他の人が嬉しいだろうということです。これだけだと想像がつきづらいかもしれませんが、スポーツ関係のイベントを思い浮かべるとわかりやすいと思います。
 クラス対抗で盛り上がるスポーツのイベントに運動下手な自分が参加するより、自分が休んで他の人が代打で参加した方が結果も残せるし、その人の活躍の場にもなるし良いのではないかと思ってしまうのです。

 実際に高校の頃は水泳大会も陸上競技大会も休んでしまったことを覚えています。水泳大会に関しては太っていたこともあり、身体を晒すのが嫌という気持ちもあったように思います。一応は小学生の頃3年間スイミングを習っていたので全く泳げないという訳では無いのですが、それでも遅かったですから……
 それでも参加した覚えのあるのが球技大会なのですが、これは私の思い出の中でとても悲しい思い出として残っています。
 そう言うと、参加して醜態を晒して恥をかいたと思われるでしょうか?いいえ違います。一試合も参加させてもらえなかったのです。
 私の高校の球技大会は事前に種目を選んでそれに参加するようになっていて私はバレーボールを選んだのですが、練習でろくに成果を上げられませんでした。サーブもレシーブもトスも何一つ満足にできません。そのせいか本番では一試合も出してもらえなかったのです。全員一回は参加しないといけないというルールがあったのにもかかわらずです。

 他にも上手くない人はいましたが何度か試合に出ていて、それでも自分は出してもらえなかったという経験は、10年以上経った今でも引きずってしまっています。
 私は選択体育でもバレーボールを選択していたのですが、トラウマのようになってしまいしばらく授業に参加できなかったほどです。

 頑張って真面目に練習していても、他者が楽しんでいる輪に参加させてすらもらえないという経験って非常に辛いものですよね。
 高校体育では他にも辛い経験があります。私の高校では持久走のクラス平均が一定タイムを下回らないと次の単元に進めないというルールがありました。運動が苦手な私は1人だけでも平均を数秒遅らせてしまうというお荷物だったもので、休んだ日のTwitterで「あいつが休んだおかげでタイムが縮んで良かった」みたいなことを書かれたことがあったのです。

 こんな経験をしていると、うまくいかないことは初めから参加しない方がいいだろうと思ってしまっても仕方がないのかなと思ってしまいます。
 ただ仕事ってうまくいかなくともやりきらないといけないことって往々にしてよくあると思います。そのためにも抱え込みすぎずに一つ一つ片付けていきたいと思う、ひらりんなのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?