奈良駅

心地良くあること

関西ツアーを終えて、大分耶馬溪に帰ってきました。
昨日は庭、畑、いただいた野菜や野草をたっぷり食べて、
薪で風呂炊いて、灰の洗剤を増やす準備をして。
洗濯して掃除して、縁側には留守の間に友達が届けてくれた
学習机とランドセルが2つ。

世の中の「子どもが大きくなるにつれてお金がかかる」って呪い、
こういうこと?
こういうことで免れていくのじゃないだろうか?
平均月収、現在10万に満たない家族持ちの40代男性は内心想うのです。


京都、奈良、ライブ、ワークショップ、
いろんな人と出逢い、語り合い、わかちあい、
とても豊かな学びの日々でした。

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ひとつ目のお店、オーガニックレストラン。
店主はお会いしてみると、とてもエネルギーあって
いろんなことを知って、やって、思い遣ってくれる方でした。
何でもやる。自分でやる。
とても腰椎の体癖も近くて、親近感を覚える。

まさに鏡のよう、自分を見ているようでした。

ふっと力を抜いたり、失ったりした時の方が
いろいろ流れることも多いのに。
だから要領よくモノゴトが進まなくても
エネルギー使いたいんだよなぁ・・僕。
しかたない。

「若いってこういうことなんだなぁ」
と後々思ったのです。

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もうひとつのライブ&ワークショップは
小さな美容室でした。
イベント終了後、いろいろお聞きしたことが面白くて。

その方は、歌う人が、身体のどの部分を響かせて、
何Hzで歌っているのかが分かるらしく、
話を聞けば、気をつけて体感すればしっかり分かるであろう
音、響きの真理を言っていました。

さだまさしさんが、なんであんなにファンがいるのだろう?
気をつけて聴いてみれば、なるほどなHzを軸にして歌っているらしいです。
みんなが癒されるHzだそうで。
きっと本人が気持ち良くて、歌うほどに元気になるだろう、と。
そしてだからみんなにも心地良く響くのであろう、と。

一方、ドリカムをみんなが好きなのは何故か?と
吉田美和さんの声を聴いてみると、なるほどなHzを軸にして歌っているらしいです。
聴く人の郷愁を誘うような、とかなんとか。
(すいません。ここの正確さは突っ込まないでください。聞きかじりだし、
細かいところは僕の言おうとしているところ、重要じゃないので。誹謗も中傷もしていません。)

ただ、彼女はその音域に合わせて、少し無理をして歌っているから
ステージを降りたあと、きっと身体はしんどくてクタクタであろう、と。

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何にしても、大勢ファンが出来れば、彼らが支えてくれるようになるから。
たくさんの人にファンになってもらうには
自分の心地良い響きを見つけ、歌うことだよ。と。

僕は少し過去の僕で聞いてしまい、ダメ出しをされているような
少し頭に血が上って、顔が赤くなってしまいました。
でもその人は、そんなのがわかる上で「とても気持ち良かった」
と言ってくださいました。

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去年くらいから、失敗を重ねつつも、
ライブ演奏だけでなく「指1本で弾けるウクレレワークショップ」
ということもイベント毎にやらせてもらう機会をつくるようにしてきています。

僕は長年、個性的なパフォーマンスで、お客さんを置き去りにしてしまうこと。そしてどんどん活動の場が減り、僕自身も萎縮してしまった経験があります。

今もnoteで「ウクレレ平魚泳」と名乗って、ウクレレ推しでいってますが、
本当はアフリカのタイコひとつ叩いて、路上で歌うパフォーマンスの方が
経験値は高いのです。でもジャンルがないし、too primitive。あまりに骨格だけのパフォーマンスなので、封印はしませんが、好きなように、健康のためにやっていこうと思っています。
(FACEBOOKで度々UPしています)


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ようやく最近、丸くなってきたのかな?と思います。
僕は「みんなと仲良くしよう」という動きは受動な体癖であるという理解もあり、
いきなりステージに立つより、普通に横並びで一緒にわになってウクレレを弾いたあと、ちょっと僕の演奏を聴いてもらう。

こっちの方が、お互いにリラックス出来てとても心地良いです。

だから、今回の出会いで学んだことは
「心地良く歌うこと」
目安は「無理して疲れるようなことはしないこと」。

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そんな心得で、昼間のライブあと、
京都の河原町の路上でタイコを叩きました。

先に言った「活動の減り」のおかげで
10年ぶりくらいに京都の街中に立ちました。

過去、関東人の僕ですが、何故か京都の路上には様々な思い出があります。
そして、誰の家?何処で寝泊まりしたのかの記憶が定かではなくなってきているのです。

自転車の旅した時は、左京区の吉田山を見つけ、そのてっぺんにテントを張って何泊かした思い出。

鴨川のベンチに寝袋で寝たことも・・・。

そして、たしかに友達がいました。
あんなにイビツな僕だったけど、似たようなイビツ(と言ったら失礼だけど)な友達がいました。

浮浪者のような僕を泊めてくれました。

路上に立ってタイコを叩いて、歌って、
いかにしてお金を入れてもらおうかと
思考を凝らしていました。

技量がない僕は小手先で悩みました。

心地よかった?

うまくいってなくても
まだやる!
生命力、若さがありました。

そして、その時、その日、その時代に、
僕の響きが在りました。

そこで共鳴する出逢い、友達がいました。

スター、有名人、成功者、お金持ち。
いるみたい。
テレビを久しぶりに見たら
20年前と同じ人が、歳をとって、相変わらず活躍している。
テレビを消せば、僕には僕の時間が流れてる。

「心地良くあること」

ここで響かせる。
ここで出会う。
そこには向き不向きが見つかるでしょう。

暴れて心地よければ、暴れればいい。
独りが心地よければ、独りでいればいい。
心地良い疲れと共に、休むといい。

心地良くない成功者。
心地良くないお金持ち。

本末転倒だね。

心地良く歌って、心地良い出逢いを
これからも創っていきたいな。
と思いました。

P.S.
写真はJR奈良駅前。
2年前の初夏、この街灯の下でタイコ叩いて警察に注意され、
すっきりしなくて、しかたかったので
まさお(長男)をかたわらに置いて、踊りました。

泣くまさお。踊るぼく。
泣くまさお。踊るぼく。

警察に連行されました。
まさおはパトカーの消しゴムもらって喜んでいました。
僕はもう、世相をはかなみ、街で歌うことをステイタスにすることをやめました。

長女が生まれる直前。
仕事は?お金はどうする?
僕は混沌としていました。

京都からの帰り、写真を1枚撮って帰りました。

心地良く。心地良く・・・。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。