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時代は変わる

両親とも歳をとり
いよいよ動けなくなり
実家を離れ、
僕の暮らす大分へ連れて来て、
現在、2人は老人ホームの2人部屋で
暮らしています。

実家に帰り
空き家のを整理していると、
父の二十歳頃の日記が出てきました。

絶対誰にも読まれたくないであろう系。

・・・長男として、
読ませていただきました。
(言い訳じゃないけど
父は認知症が進行中です)

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昭和13年生まれ、1938年生まれ、
二十歳の父は、1958年頃、
青森の田舎から東京へ。

彼から散々聞かされた、
村で唯一、東京の大学へ進学するために
上京した優等生、
期待の星だったらしいです。

それと同時に、
東大、早慶ではない
六大学の一つなんて、
大した自慢にはならない。と、
卑下していた記憶もあります。

大学へ行く必要を感じず、
高卒で、学歴コンプレックスも何もない
僕にとっては
なんのこっちゃ?なのですが、
これが
彼の生きる時代、
そして「世界」だったみたいです。

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日記を読み、
とても時代の変化を感じ、考えました。

親子揃って!(苦笑)
と感じる部分は、

「モテたい。モテない。
同世代の
あいつもこいつも羨ましい。」

おとなしい人だったみたいです。

そんな文章の中に、
僕や、他の世代では
使わないであろう言葉が
気になりました。

「立派な人になりたい」
という言葉です。

もちろん、当時でも
誰もが想うことではないだろうし、
誰もが選ぶ言葉ではないだろう。

そして、今も
こんな言葉を選ぶような
アイデンティティの人もいるだろう。

でも、
そんなあの頃は時代だった。
という事実を感じました。

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「立派な人になる」

僕の世代、さらには下の世代には
ピンと来ない言葉。

そこには
失ってしまった何かもあるし、
賢くなったように感じる何かもある。

僕自身が感じたことを頼りに
言葉にするしかないんだけど、

「立派」って何だ?

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二十歳の父は時を経て
僕の父となり、
年齢を重ねていった。

歳を取ったからといって
そんなに生き方が変わるわけでもない。

若い頃から
プロ野球観戦が好きだったんだな・・

夏になると、
ずっとテレビにかじりついていた
風景だけが思い起こされ、
僕は、大人になったからといって、
プロ野球にも、オリンピックにも
新聞や、テレビの情報に
全く興味がないままだ。

時代がそれぞれの僕らを
育んだようにも
感じる。

生まれた時からテレビが存在していた世代と
人生の途中でテレビを知り、
進化と共に生きた世代。

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熊本に住む弟の結婚式へ行くために
両親と僕でタクシーに乗っていた時、
「どこから来たんですか?」
「え?あ、東京・・」
と応えた父を憶えている。

東京じゃなくて千葉だろ!

でも、
そんな時代で、そんな人だった。

東京を優位に感じる
東北出身の田舎者コンプレックス。

ついでに
人の学歴にもうるさかった。

弱い者たちが夕暮れ
さらに弱いものを叩く

トレイントレイン /  ブルーハーツ

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そんな人が多くいた。
そんな時代だった。

そんな人たちの元で
育ってきた世代が僕らだ。

東京には夢があった。

その先、アメリカには夢があった。
日本語として
「アメリカンドリーム」という言葉を
小学生の頃から
定着させてきた。

「外国」というのは
「アメリカ」という場所だと、
幼い頃の最初の意識に
埋め込まれている。

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「立派」って何だ?

彼の日記には、
人類が月へ行ったことも
書かれていた。

「人類の進歩と調和」が謳われた
大阪万博などの時代だろう。

「偉業」とは
人類の発展と進歩に貢献することで、
その発展と進歩と、マスコミのプロパガンダで
彼ら、次いで僕らの暮らしは便利になり、
賑わい、多少の闇を葬り、
至る所に「電灯」を灯してきた。

故郷に錦を飾ろうと想っていたし、
家族のいる「日本」という国体を、
子々孫々栄えることを祈っていた。

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誰もがそんな人ばかりではなかった
とは想う。

でも時代や、日本の感じは
こんな感じで、
それをベースに
それぞれのアイデンティティを
培って、現在の80代になるまで
生きてきたのだろう。

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そして、
そんな世代に育てられた
1976年生まれの僕の時代は
どんな二十歳だったのだろう?

「立派」に置き換わる言葉を探してみた。

・・・「成功」なんじゃないかと思った。

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おそらく
僕は父の時代に生きたとしたら
「立派」という言葉に
虫唾が走り、
僕の時代の「成功」
という言葉にも
虫唾が走っていた。

でも、
時代として、
「成功」を求める時代だったように
感じる。

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個人主義に
傾いてきたんだな・・。
と思った。

比べてみて想う。

「二十歳までにプロとして
バンドで成功する!」
と宣言していた友達がウザかった。

そして、
そんな人が、
本当に「成功」を掴んだりする事例も
いくつかあった。

その後の時代
「一発屋」という言葉も定着した。

・・・そう、
その後「失われる30年」の
入り口に立つ頃、
僕は二十歳の若者でした。

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僕が実家を出て、
横浜で1人暮らしをして、
毎晩、横浜の駅前行って、
ギターを弾いていた頃、
阪神大震災があり、
地下鉄サリン事件があり、
そして、
父の弟、
僕のおじさんが、
自◯した。

そして、これは最近の会話なのだが
ひと回りくらい歳下の30代の人と
この時代、2000年頃の話をしていた。

当時小学生だった彼女は
友達のお父さんが自◯したことを
印象的に語ってた。

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そりゃ、いつの時代も
自◯の話は聞いていたけど、
なんか、
ここら辺から、
ちょっと道を踏み外した人は
生きられなくなった印象がある。

日本国が保障する「道」の幅が
急速に狭められた感じがする。

その「道」の端っこを
何とか歩いていた人たちは
堕ちていった。

すくい上げられ
堕ちていった人も多い。

間引きが始まったように
感じるのだ。

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落とされ、
落ちた人たちは
舗装道路を歩けなくなった。

舗装道路でしか生きられない人たちは
死んだ。もしくは
深い傷を負ったまま、
今も助けを求めている。

舗装道路に・・・。

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落とされたり、
落ちたり、降りた人たちは、
そこで生きている。

ここで生きている。

孤独に生きている人もいるし、
新しく、コミュニティや家族を築いた人もいる。

そこで(ここで)生まれた人たちもいる。

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今、二十歳や、20代を生きる人たちの
見えている世界を知りたい。

そして
分かち合いたい。

「今」はどんな時代で、
「未来」はどんな時代が築けるのか。

******

いろんな人がいる。

いろんなアイデンティティがある。

陽を生きる人もいれば
陰を生きる人もいる。

陽で生きている時もあれば
陰で生きる時もある。

先に語った、
僕が前時代的と感じたアイデンティティで
「今」を生きる人もいる。

そもそも「僕」だって
「今」を生きる人だ!

そして、
父も母も、まだ生きている。

「生きる」とは何かを
僕に見せてくれている。

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ただ、時代は、
常識は
こんなにも移り変わるものなんだ。

と、
経験をもって知ったことが、
50年近く生きて
初めて知り得ることができた
「新しい経験」と
今、想えるのです。


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