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アーロン・ディラン・カーンズの眼球へ

 『FEECO』Vol.3にてインタビューを快諾し、Vol.4には原田浩の映画についてのテキストを寄稿してくれたアーロン・ディラン・カーンズが、住所であるジョージア州アトランタの一ギャラリーで行なったライヴの映像をアップロードしていた。彼が言うには、アトランタで所謂「アート」のシーンの存在を強く意識する機会は少ないとのことである。ギャラリーは多目的スペースの意味合いが強く、あくまで金で時間と空間をレンタルして演奏や映画の上映に利用しているそうだ。文化や芸術は単体では存在しえず、その名で形容される観念にくるまれることで初めて成り立つ。ウォーホルを引用するまでもない醒めた物言いだが、悪いことだけではないはずだ。特にアーロンがやっていることは芸術未満の芸術であることに立脚している。即物的な評価が得られないことは、時にそれ自体が報酬となる。

 アーロン・ディラン・カーンズは1997年生まれ。フリーランスとして映像制作の仕事を請け負いつつ生計を立てているそうだ。最初に映像を作ったのは8歳の時分で、映像関係の仕事に就いている母親のマリアに助けられて撮影と編集に手をつけたことがきっかけであった。二人は親子であると同時に作家として対等な関係にあり、共作することもある。
ハンディカメラと手作りの小道具からなるホームビデオから、ハリー・ハウゼンじみたストップモーションへの挑戦など、幼少期に観たものをすべて自分で再現してみるという好奇心がアーロンの根底にはある。彼が映像制作を始めた年にyoutubeがオープンしたことはタイミングがよかった。同サイトは自分が生まれる前の時代の映像に溢れる図書館、または自身の制作物をお披露目できる公共の場のような役割を果たしている。
 やがてアーロンは80年代の映像、それも音楽の世界に属するそれらに強く影響されるようになった。このディケイドといえばMTVだが、時を越えてアクセスできるアーロンの視線は過去のヨーロッパへと向いた。中でもThrobbing GristleやSPKらインダストリアル・ミュージックの担い手たちがリリースしていた映像とそのバックで聞こえる音響、音楽と呼ぶには当時ためらわれていたようなそれは、アーロンをラジオやSNS、つまり流行から引きはがす大役を果たした。
 インダストリアルはアーロンの審美的な基準となった。音楽制作も始めた彼は、自身の映像のためにステレオタイプなインダストリアル・サウンドとイアン・カーティスを思わせるバリトンなボーカルを習得した。映像と音楽が結びついて作品の完成とするところは、アートスクール出身者の多いポストパンクの洗礼を浴びた何よりの証拠である。カットアップめいた映像や、ガスマスクとヘルメットからなるアーロンのステージ衣装は、現代のハイレゾな録画環境が不自然に見えてしまうほどだ。
アブストラクトな音楽未満の音、示唆的だが脈絡のないイメージ、観念的でコンセプチュアルなテキスト。これらメディアがテーゼのために費やされる志向は、TGのIndustrial Recordsや、同時代に精神の依り代としての音楽と映像として「工業神秘主義音楽」を提唱した『ロック・マガジン』誌のような存在が重なる。

 アーロンに話を聞いてみると、彼の心象風景には20世紀前半があるとのことであった。Throbbing Gristleらインダストリアル・ミュージックのパイオニアたちが知的ソースとして参照していた芸術運動が生まれた時代である。それらが音楽と結びつけられたポストパンクの最盛期たる70年代後半~80年代前半を通して、アーロンはダダやシュルレアリスムが勃興した1910~20年代へとたどり着いた。建設的な破壊とブリコラージュ的創造は、過去から現在までのあらゆる表現においてリゾーム的に繋がっている。より詳しく言えば、そこから自分とのつながりを見つけ出す作業こそが、20世紀前半的でありポストパンク的な個人としての創造行為だ。Throbbing GristleやJoy Divisionのようなバンドはそれをやりながら、一つのシーン、一つの本流を生み出した。筆者とアーロンは10歳ほど年が離れているが、アルフレッド・ジャリもカフカもシチュエイショアニストも、すべてこの時代の音楽が入り口だったため、その芸術にはどこか馴染みがある。  
20世紀においてアーロンの最たるメンターはジョルジュ・バタイユだ。彼は友人と組んだ映像チームにアセファル(バタイユが立ち上げた秘密結社的繫がり)と名付け、イメージ言語としての映像に執着した短編映画を撮影したほどである。バタイユは『宗教の理論』で戦争の性格への抵抗、供犠的に個性を剥奪するそれに対して、単純な愚かしさをもって迎え撃つことを示唆した。アーロンの淡々とした積み重ねはその体現であり、生産と生産性の差異をアイロニカルに見せたTG的インダストリアルまでエミュレートした二重のユーモアとも呼べる。なお、冒頭に貼ったライヴ動画はバタイユと、彼が『眼球譚』の中で神話化した闘牛士マヌエル・グラネロ(右目を牛の角に貫かれ死亡)に捧げられている。

 ライヴ動画にはフランシス・ベーコンによる『Miroir de la Tauromachie』と『磔刑図』がスライド的に挿入され、直感的に描かれたリアリティともいうべきエロスの気配を演出する。バタイユへの執着からも、アーロンがエロスと表裏またはつがいの関係にあるタナトスを自分のやり方で描こうとしているのは明らかだ。しかし、ここがアーロンの魅力でもあるのだが、彼の表現にはベーコンの絵画に表れるような情熱的とも呼べる「フォルム」がない。フォルムを別の語で言い換えるのは難しいのだが、その不在の理由はコラージュ的な技法に由来すると筆者は考える。彼が映像作品内でカートゥーンめいた切り絵を実写と融合させていることとも無関係ではないはずだ。ここにアーロンがおそらくは自覚なしで出してしまっている個性、20世紀の芸術家たちとの決定的な違いを見る。自らをヒューマニストと名乗り、明確な政治志向を口頭で説明しながら、表現される映像作品の中には、作者が内包する自問自答またはイデオロギーへの表立った道筋がないのである。表現の中において観測者めいた客観的な視点を貫く姿勢は、冒頭に貼ったライヴ映像においては眼球がコラージュされることでクライマックスを迎えている。眼球はアーロンにとって歴史上の幻視者たちを繋ぐ共通項として大きな意味を持っている。正確にいえば、その意味を確認するようにアーロンは眼球というモチーフにこだわり続けている。2021年12月のライヴでCOILの「Slur」、超自然的な存在が持つ瞳についての曲をカヴァーしていることも付け加えておきたい。


 『FEECO』Vol.3内のインタビューにあたって、筆者は『資本主義リアリズム』を引き合いに出してアーロンを説明した。Burialといった作家との違いは、アーロンは再帰的無能感が常態化して以降の時代に登場してきたということだ。つまり自らのノスタルジーによる束縛へと結びつくような(よき)体験さえなく、「昔はよかった」と回顧する時間を持たぬ作家なのである。彼がミドルスクールに入り社会について意識を向け始めた時にはバラク・オバマはビンラディン殺害を報告し、情勢は保守化、というよりもドナルド・トランプ的現象が浸透し始めた。そしてアーロンが初めて選挙権を行使できるようになったのは、まさしく2016年の米国大統領選だった。今日まで地続きである社会的凋落はアーロンにとっての常識であり、ファンタジーとしてのリベラル社会像を強くイメージさせた。ここから「希望なき楽観主義」をうたうフランシス・ベイコン、あるいは「究極の楽観主義者」を豪語するポストパンクきっての左派マーク・スチュアートといったヨーロッパ的サバイバリストたちのことを想起すると同時に、彼らのような精神性の進化、その一つの形がここにあるように思えてしまう。アーロンがバイブルベルトにほぼ位置するジョージア州で生まれ育ったことは、この事実をさらに特異なものにする。
 アーロンの芸術は時代の感情をダイレクトに表出させたものではない。しかし、反時代的でプライベートな世界に閉じこもるような姿勢は、逆説的に時代のマクロな動きへの反応である。彼のまなざしはBLM運動とコロナ禍が重なり合った2020年において加速し、隔てられた自分と(多様な意味での)外界という関係性を明確なものとした。たとえば自宅内のみで撮影された短編映画『Box Men』はコロナ禍以前に撮られていたものだったが、期せずして時代精神的なものを暗示する内容になった。ニーチェ的妄想に閉じ込められた男が作り上げた小さな神殿のようなものが置かれたキッチンでの一幕。アーロンは強力な不条理主義の復興を世相と自らの作品から予感した。

『Sun Child』の派生シリーズ『A man of leisure』。セリフはたまにカットアップで作られる

アーロンの創作物に触れていると、自分が体験した時代とそうでない時代が内面で混ざり合う感覚が芽生える。幼少期の筆者にも見覚えがあるカートゥーンというガワには一抹の懐かしさのようなものを感じるが、そこには「インダストリアル」という概念がまだフェティッシュあるいはクリシェになる前の時代、あるいはバタイユやベイコンのテクストないし絵画が人々に投げかけられていた時代のニオイも有している。決して対峙することのかなわない時空間のそれを想像するたび、Tuxedmoonのブラウン・R・レイニンガーが79年ごろのサンフランシスコについて話した言葉を思い出す。「あの時代は私たちにとってのベル・エポックだった。ロートレックやゴーギャンがモンマルトルのカフェで顔を合わせていた時代がこうだったと思わせるような・・・」。同じ実感を伴うわけではないが、時を経ることでアーロンの芸術が特別に映り、聞こえるような気がしてならない。進行形の出来事とはそんな期待のような予感を抱かせる。

『FEECO』Vol.3はアーロンのインタビューと、彼による原田浩の映画についての評を掲載している。


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