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【告知】FEECO magazine Vol.2 JG サールウェル(Foetus, Steroid Maximus, Xordox and more) インタビュー

2018年2月に出した『FEECO』という雑誌の第2号を4月末ごろに出す。今回のテーマはサウンドトラックで、グラフィックノベル&ジン(ZINE)、アニメ、ビデオゲームのそれを特集する。英国のイラストレーターFrancis Castleと彼女のレーベルClay Pipe、Foetus (フィータス)として80年代にデビューし現在は劇伴の分野でも幅広く活躍するJ.G.サールウェルへのインタビュー、JGに捧げるジャパニーズ・アニメのサウンドトラックガイド、VGM(ビデオゲーム・ミュージック)関連のテキストやマンガ、その他書籍やアルバムのレヴューを掲載予定。

告知も兼ねてJGサールウェルのインタビューを部分的に公開する。取材日は2019年11月15日、氏のSelf Immolationスタジオ内で行なった。氏のキャリアで最も知られたものは81年からスタートさせたFoetusで、インダストリアル・ミュージック~エレクトロニック・ボディ・ミュージックといったジャンルの先駆者として人気を博した。しかし、95年ごろからはメインストリームから次第にフェードアウトし、日本でも80年代がピークであるという印象のまま今日に至っている。氏の音楽が理想へと達するのはその後になってからのことなので、今回の取材でそれが少しでも伝わればよいと思う。
音楽的変遷、人気カートゥーン『Venture Bros』のスコア、10にも及ぶ同時進行中のプロジェクト、デヴィット・ボウイとの思い出、映画のサウンドトラック含めた最新の音楽への関心などを話してもらった。ヘッダーと下の写真は筆者が取材中にスタジオ内で撮影したもの。

-過去のインタビューで「すべてが映画的に聞こえる」と話していましたが、今でも変わりないですか?

それは昔のインタビューだろうか?

-2000年代前半くらいだと思います。

変わりない。僕の作曲方法は実に映画的だ。最近はTredici Bacci(トレディーチ・バッチ)のサイモン・ヘインズと一緒に作曲していて、数日前に彼のバンドのニューアルバム用の曲を書き終えたばかりなんだけど、まさにちょっとした映画のようなものだった。作業中に彼と話す時は「このセクションは宇宙を舞台にした映画のように聞こえるから、宇宙空間に飛び出したり、宇宙船のクルーが登場する感じでやってみよう」とか、「この部分は外宇宙にいる悪役が自分の城で何かやっている場面、これは悪役たちと戦う場面に使う」といった具合だ。まるで映画の中で起こっている出来事のように伝えては、二人で広大な宇宙を出入りしているようなものだ。
僕はたくさんのサウンドトラックを聴いている。音楽を映画本編から切り離して聴くことでイメージが取り払われ、その音楽が持つ思わぬダイナミクスに気付ける。普段は気付けないようなそれがたくさんあるんだ。こうした聴取のし方は普通でないだろうけど、僕だけがやっているとも思わない。とにかく僕にとって重要なのはダイナミクスだ。

-あなたは80年代前半からレコードを出していますが、作り始めた当時はまだ映画的なサウンドが作れるような環境を持っていませんでしたよね。

録音を始めた時はテクノロジーの類はなかった。今使っているようなそれらは当時存在していなかったから。2台のカセットプレイヤーなど、限られた機材で作っていた。

-サンプラーの類もなかったんですね。

なかった。サンプリングが登場するよりも前の時代だったから。スタジオを使うようになるまではベッドルームで録音していたんだよ。酷いものだった!ドラムマシーン、シンセサイザー、小さなエフェクトボックスくらいのものだったと思う。それらで作った音楽をカセットプレイヤーに入れて、どうにかデモのようなものにした。
スタジオは僕にとって新たな楽器となり、自分の音楽を決定づけるものになった。そこでの作業はまるで彫刻のようで、ライヴをするように、またはピアノを弾き始めたらそれがそのまま曲になるかのように音楽が作れたんだ。楽器の練習はせずに機材の使い方を上達しようと取り組んでいたね。
スタジオ作業にハマったのは何よりの理由はレコードを作りたいという気持ちがあったから。ライヴで披露するための音楽を作ろうとは思っていなかった。いつも自分だけのレコードを作ることを考えていたし、それほど重要なオブジェクトだったんだ。たくさんの曲を書くことよりも、音楽をレコードとして完結させることの方がずっと大切だった。

-Logicなどのソフトウェアで作曲を始めたのはいつからですか。

最初に使ったコンピュータは87年のAtari 1040。Creatorというプログラムで作曲をしていた。同ソフトの開発者たちがLogicをリリースしたので、そのままそちらに移行した。作曲専用のMacを買ったのは90年後半になってからだと思う。Atari 1040を使っていた頃はAkaiの12トラックレコーダーで録音していて、そこからADATの24トラック、そして現在のハードディスクという流れ。外のスタジオを借りて作業することもあった。86年のアルバム『Nail』はフェアライトをたくさん使ったから、打ち込みで作ったアルバムと言えるかもしれない。最初に自分のスタジオでシーケンサーを使ったアルバムは87年の『Thaw』だった。プリプロをそこで行なって、その後ブルックリンのBCスタジオでレコーディングした。

-自身で映像を撮ることにも興味はありますか。

最近アップロードした「SONDER」の映像は自分でやった。スウェーデンのゴトランドにあるFREKVENSのフィルム・シンポジウムから依頼されたものだ。映像はサウンドのコンセプトに合わせてあって、友人のセバスチャン・ムウィナルスキと一緒に撮影した。僕のプロジェクト、ゾルドクスの映像も「SONDER」と同じシリーズだ。稼働している宇宙ステーションの映像を使用していて、実際にNASAとコンタクトをとって許可をもらった。それ以外ではGea Philes(NY在住のイラストレーター)と一緒に作ったやつがあって、これまた別のプロジェクトであるコレラ・ノシーボの演奏中に背景として流した。
最近ゾルドクスのニューアルバムを完成させたから、それ用のビデオを作りたいと思っている。ドローン(無人偵察機)を使って、前回とは違う種類の宇宙空間を捉えた内容にする。こうしたプロセスにおいては映像という分野に興味がある。とはいえ自分を映像作家だとは思わないよ。多くの人と同じことをしているだけだからね。写真でも同じで、自分をフォトグラファーだとは思っていない。物語としてのフィルムを撮ることではなく、あくまでサウンドトラックを作ることに興味がある。

-アーティストがサウンドトラックを書くことは多々ありますが、最新の映画もチェックしてますか?直近ではヒドゥル・グドナドッティルが『ジョーカー』のスコアを書きました。

作曲家たちが映画のために何をしているのか、実際に映画の中では何が起こっているのか。ベン・フロストやミカ・レヴィのような人たちがいかに新しいことをしているかに興味がある。コンテンポラリーな音楽の作り手が映画のスコアを書くのは昔から続いていることだ。ヒドゥルの音楽も好きだし、彼女の作品には昔から刺激を受けている。同じアイスランドの作曲家であるヨハン・ヨハンソンもオスカーに二度ノミネートされていたが、ヒドゥルは彼の仕事も手伝っていたはずだ。Touchはヨハンソンの遺作となる映像作品をリリースしようとしている最中だったと思う(注・『Last and First Men』)。
僕は常に新しい音楽を探している。bandcampもよく見ているし、週に3回はコンサートに足を運んでいる。今の音楽がどんな進化を遂げているのかを知るためだ。僕くらいの歳になると周りは20代、30代の頃に好きだった音楽しか聴かない人ばかりだが、僕はもっとたくさんの音楽を、まだ聴いたことのないそれを求めている。同じように50年代、60年代、70年代、クラシックだって探し続けているよ。「いまや新しい音楽なんてない」と言う人がいるけど、そんなことはないだろう?

-ステロイド・マキシマス (Steroid Maximus)はインストゥルメンタルのプロジェクトで、60年代の映画のサウンドトラックのように聞こえます。これが劇伴のキャリアに繋がっているのでしょうか。

なんてたってスコアを書く仕事を得るきっかけがステロイド・マキシマスだったからね。僕がこのプロジェクトを始めたのは、フィータスとしての音楽を持て余すようになっていったからだ。たくさんの楽器を鳴らして演奏に凝っても、人々はそれらよりもボーカルに、おぞましく極悪非道なことを歌っている僕にしか興味を持っていないと感じていた。そこでインストゥルメンタルの音楽をやろうと考えたんだ。マキシマスを始めたのが89年から90年で、その時は(架空の)サウンドトラックというコンセプトがあった。今では珍しくないアイデアだけど、僕のやりたいことはそこにあった。
『Venture Bros』のスコアを担当するようになったのはディレクターたちがマキシマスを気に入ったからだ。当時パイロット版を制作していた彼らは自分たちのプロジェクトにマキシマスの音楽がピッタリだと考えていた。これがスコアを書くようになった理由だよ。そして『VB』がきっかけで『アーチャー』もやるようになった。今の時点で『VB』は80話、『アーチャー』は40話にわたって曲を書いている。かなりの量だったが良い経験だった。

-マキシマスと同時期にあなたはガレージ・モンスターの名前で「パワーハウス」の7インチを出しています。あの曲のオリジナルはワーナー・ブロスのアニメーションにも使われていました。

あれはPIZZ(イラストレーター。2015年没)のアイデアで、僕はただ音楽をやっただけだよ。「パワーハウス」のカバーをSympathy For The Record Industryから出すというアイデアだ。その時点で僕はマキシマスを始めていたから「パワーハウス」をアルバムに収録しようと思った。他にも彼とは10インチ『Safari To Mumbooba!』を出している。

-「パワーハウス」はカール・スターリングやレイモンド・スコットで有名ですが、彼らのようなビッグバンドがマキシマスのインスピレーションとなったのでしょうか。

特段彼らの影響が大きいというわけではない。マキシマスの『クィロンボ』も『ゴンドワナランド』も入っている音楽はエスニック、マイルス・デイヴィス、ミュージック・コンクレートといった風に、バラエティに富んだ内容にしてあるからね。『ゴンドワナランド』から10年経ってリリースした3枚目のアルバム『エクトピア』は、僕がその間に他のプロジェクトでやってきたことを合成させたものだ。その上でブラックスプロイテーションやコップ・ショー(注・どちらも70年代米国でポピュラーだったドラマ・映画のジャンル)、探偵モノで流れているような音楽を作りたかった。アルバムの前半4曲はそれらをダイレクトに引用している。
マキシマスのアイデアはすべて『VB』のスコアに活かされた。『VB』のサントラはマキシマスのアルバムのようなもので、さながらステロイドの限界量突破といったところだね。

-『Venture Bros』の有名なシーンで、ドクター・ヴェンチャーが息子にプログレッシヴ・ロックのLPを聞かせるシーンがあります。この時にイエス風の曲が流れるのですが、この作業は覚えてますか?

そのシーンは大好き。面白かった?
『VB』で一番気に入っている場面の一つだよ。ドクター・ヴェンチャーが「お前にこれはまだ早い」と『クリムゾン・キングの宮殿』を取り上げ、代わりにロジャー・ディーンがジャケットを描いたYesのレコードを差し出す。発端はクリス・マカロック(『VB』のディレクターの一人)からの依頼で、とあるファンタジックな場面用にイエス風の曲が欲しいとのことだった。 [シンセのパートを口ずさむ]
そこにドラゴンについて歌ったボーカルを乗せたんだが、カートゥーン・ネットワークから「Yesにそっくりすぎて使うには危ない」との報せを受けた。「これはYesそっくりの曲であってYesじゃない、完全なジョークにしてオリジナルの楽曲だ」と説明したんだけど、訴訟の可能性もあるとかでボーカルをやり直さなければならなかった。クリス本人に代わりを録ってもらうことになって、彼には「僕はジョン・アンダーソン風に歌ったけど、君はJethro Tullのイアン・アンダーソン風に歌ってくれ」と伝えた。

-『VB』にはデヴィット・ボウイが「本人」として登場してますよね。

クレイジーなアイデアだ。クリスはボウイの大ファンで声マネも達者だったから彼が声でもよかったのだけど、既にボウイ役の声優がキャスティングされていた。当初、番組側はボウイ本人に声をあててもらうよう彼に打診したけど返事は返って来なかった。あるエピソードではボウイとクラウス・ノミとイギー・ポップが出てきて・・・

-日本語圏でもそのシーンだけはSNS上で話題になりました。「なんでボウイとイギーが戦ってるの?」という感じです。

ボウイへのよきオマージュであり、尊敬の証だと理解している。僕は子どもの頃から彼が大好きだし、今でも自分にとって最高のアーティストの一人だ。
劇中でボウイが登場する時に鳴る効果音を作るのも面白い一時だった。「彼を象徴する音とはなんだろう?」と悩んだよ。僕が出した答えはスタイロフォン、「スペース・オディティ」で使われていた小さな楽器だ。僕は自分でスタイロフォンを弾いて、あの「ブラ~ン」という音を再現してみたんだよ。

続きは本誌で。

http://atochi.sub.jp/WEB/HD/FEECO/vol2.html

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