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毎日を、平気で生きる。

りゅうちぇるの訃報をきっかけに自殺者に吸い込まれそうになっている。りゅうちぇるの「沖縄のギャルやユタ」、「沖縄のお母さん」あるあるのコントを観たり、神田沙也加ちゃんの動画を観て泣いている。仕事を休職し無駄に時間があり、自死した有名人に引きこまれている。自殺ってすごい影響力がある。

昨日は大好きだったロビン・ウィリアムズにまでたどり着いた。
竹内結子さんも然り、自死を選んで欲しくなかった素敵な有名人たちが多すぎる。

歩く女性自身と夫に命名され、こうして駄文を書いてみるが自分のも、他人のも「生き死に」にすごく興味があるんだ。

才能に満ち溢れ、死ななくてもいい美しい人たちが自死を選ぶ。私は大きな衝撃を受け動けなくなる。

私は一度自殺未遂をしたことがある。12年ほど前のことだ。何もかもが上手くいかない時期に実家の兄や両親と衝突し失望し、自殺衝動に突き動かされた。その直後に実家を出て一人暮らしをして仕事を見つけ何とか実家から独立することで暗く長い自分というトンネルから抜け出ていった。非常に痛みを伴う下手くそな巣立ち方だったと思うが、あれが私の巣立ちで独り立ちだったのだと思う。

その後、独身の一人暮らしを短い間だが存分に満喫した。幸せだった。猫を1匹飼い小さな部屋できちんと一人で生活していた。その頃夫と再会し瞬く間に結婚することになった。

これまでの人生で14歳、18歳、23歳、27歳、36歳と自殺願望が起こることがあった。私はずっと生きづらさを抱えながら、死なないように生きてきた。ただ死なないように生きてきた。今だって14歳の時と変わらない生きづらさを抱えている。

ただ生きづらさを抱えながらも、生活し人生を楽しむ術も長い歳月をかけて習得したのも事実だ。転び方も学ぶようになる。

挫折ばかりの人生で転んでばかりいるが、そのたびに何とか足をがくがくと震わせながらもう一度立ち上がって自分なりに生活を切り開く、その繰り返しだった。本当に七転び八起きで転がるように生きてきたから、今仕事を休職していてメンタルダウンしていても何だか知らないがどこか悠長でいられるし、この鬱症状も10代から鬱抜けを何度も繰り返す者としてば、もはや転倒してできた心の創傷のようなものと俯瞰できている。時間薬とはよく言ったものだ。

自殺の衝動というのは自分でコントロールができない、長期間の不眠が続き夢遊病者のような状態だった。夢遊病者が綱渡りをするような不思議な感覚だったのを記憶する。

あの時私はTwitterで大好きな推しミュージシャンに助けてもらった。自殺企図したことをTwitterを通して告げ彼は非常に心配しTwitter上で助けてくれた。Twitter上で推しに自殺企図を図ったファンが助けてもらうなんてことが起きた。大好きな推しに迷惑をかけるっていう大層なことをした。彼はある意味命の恩人で感謝してもしきれない。彼も時々自殺について言及する生きづらさを抱えたミュージシャンだった。生きづらさを抱えながら生にとどまる人はたくさんいるんだ。

オーバードーズの後遺症は今でもあり、私の胃腸はボロボロで毎年胃カメラで検査している。

看護師をしていると自殺企図の後遺症や後遺障害のある人たちに出会う機会がある。私は自分の体験からも生きることに焦点をあてて、死なないように生きるしかない。死なないように生きる。この命を生ききるしかない。

30年前、18歳の頃極度のうつ症状に悩まされ自殺願望も強くいのちの電話に電話をした。横浜も川崎も通話中で誰も助けてくれない。困った私は沖縄のいのちの電話に電話した。「あんた、沖縄来なさい。沖縄の海をみれば大丈夫だから、沖縄来なさい」と知らない女性が電話ごしで言っていた。お金もないし、その時は沖縄に行けなかった。私は沖縄の海の青さに思いを馳せた。

偶然だが、来週、家族で沖縄に行く。
花を手向けにいく。

追記:最近、樹木希林を検索する。もともと彼女のことは大好きだったんだけど、芸能界で何十年も好きなのは彼女くらいしか浮かばないんだけど、やっぱりずっと魅了される。実に見事な生き方、素敵な生活をされていて、彼女は「平気で生きる」って口にするんだよね。「平気」って。私はずっと平気ではなかったから、なんだかカルチャーショックで、樹木希林さんが大好き。敢えて死者たちに飲み込まれそうになっているところを「平気で生きたい」と思い、今日のタイトルにした。


「いいねぇ、このシワが。せっかくできたシワだから、もったいないんじゃない」

樹木希林さんの真髄だ。彼女のようにちゃんと普通に生活し自分の分を平気で生きたい。オモシロガッテ、この生を全うしたい。



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