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日本に生まれてよかった、という理由の捉え方が大事

森信三『修身教授録』第3講 生をこの国土に受けて より

様々な国にルーツを持つ子どもたちが増えてきた。担任時代、東南アジア、中国、アフリカにルーツがある子どもたちを担任してきた。
様々なルーツがある子たちに、道徳その他で、愛国心を扱った教材を授業する際、様々なエピソードでどう日本に生まれてよかった、日本っていいな、という感覚を持たせることができるのか、ということを考えることがあった。

他国と比べて、今の日本はいい。他の国と違って四季があっていい。また、現在のところ戦争もなく、飢えもあまりない。だから日本はいい国だ。
そういう考えはなんか違うとうっすら思っていたし、他国との比較の中で自国の良さを思って日本はいい国だ、というのも何か違う気がした。

他国と比べて幸せを感じるのは、他者と比較して自分が幸せだと思う子供を育てることになる。そのようなことは言いたくないし、そのような考えをもってほしくなかったのだ。

そのようなぼやっとした考えの中、今日、『修身教授録』第3講 生をこの国土に受けてを読んだ。

すなわちいろいろの国々と比較して、日本がいい国だからというような、そんな水臭い考え方から言うのではなくて、まったく切っても切れない深い因縁が結びつき、重なり合っているからであります。同時に、ここに腰をすえるんでなければ、口先だけで、「愛国々々」と言ってみても、それはわれわれの五体に根ざした、真の力を持つものではないと思います。

P27

まさにその通りで、いろいろな国との比較ではない。
私は日本人の両親から生まれた日本民族であり、そのような意見には頷くところがある。
この国に生まれ、この国で生きていることは、様々な因縁が重なり合ってということになろう。

しかし外国にルーツのある子はどうか。これは実に悩む。このような考え方はしづらいのではないだろうか?と思うのである。

先日、映画「ハーフ」を観る機会があった。

素晴らしいドキュメンタリー映画であった。
アイデンティティを形成していく苦悩が伝わってきた。
その子たちに上記の因縁的な話だけでは伝わらないだろうと思える。
しかし、他国と比べていいよね、と言うことではない、日本に生まれてよかった、日本で生きていてよかったと思えるような学校における教育はどのようにすると良いのか?

これは考え続けたいテーマだ。答えは出ないかもしれないが、考え続けることに意味はあると思っている。

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