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本当はBL(同性愛)の話?★「がまくんとかえるくん」の絵本作家アーノルド・ローベル展

 仲良しの蛙(かえる)たちを描いた絵本「がまくんとかえるくん」シリーズで知られるアメリカの絵本作家アーノルド・ローベルの展覧会『「がまくんとかえるくん」誕生50周年記念 アーノルド・ローベル展』を、東京・立川のPLAY!MUSEUM(東京都立川市緑町3-1 Green Springs W3)で見た(3月28日で終了)。現在、ひろしま美術館(広島市)に巡回中で、4月3日から5月23日まで。来春には兵庫、東北に巡回。

 絵本「がまくんとかえるくん(原題:frog and toad)」シリーズは、小学校の教科書にも採用されるなど、最初の本の出版から半世紀を経た今日もなお世界中で愛されている。『ふたりはともだち』『ふたりはいっしょ』『ふたりはいつも』『ふたりはきょうも』の4部作で構成され、本展ではそれらのスケッチ約100点を初公開。絵本作家アーノルド・ローベル(1933~87)が描いた、そのほかの貴重な絵本や原画とともに紹介している。

「がまくんとかえるくん」は同性愛?

 『ふたりはともだち』に収録された「おてがみ」は、かえるくんが、がまくんにお手紙を出すお話。がまくんは、今まで誰からも一度もお手紙をもらったことがなくて、寂しそう。そこで、仲良しのかえるくんは、がまくん宛てに手紙を書く。でも、完成した手紙を届けてほしいと頼んだのが、カタツムリ。カタツムリは歩くのが遅いので、手紙はなかなか届かない――。

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『ふたりはともだち』(1970)「おてがみ」スケッチ Courtesy of the Estate of Arnold Lobel. © 1970 Arnold Lobel. Used by permission of HarperCollins Publishers.

 カタツムリがゆっくり運ぶお手紙を、まだかまだかと待ち続けるがまくん、それを見守るかえるくん。実は、がまくんとかえるくんのお家は近い。それなら直接手渡せばいいと思うが、それでは味がない。ゆったりとした時間の流れの中で、手紙を待ち続ける――メールが瞬時に届く現代では少なくなった、待つ楽しさと受け取った喜びを醸成する時間が描かれている。

 「ふたりとも、とても しあわせな気もちで、そこにすわっていました。 長いこと まっていました。」(『ふたりはともだち』の「おてがみ」)。長くても一緒に待っていられるのは、信頼関係の証しだろう。親友や家族、恋人など心の許せる人と、何かを心待ちにしたり、同じ目的を共有したりしている時間は、かえって楽しい時間でもある。例えば、映画が始まるまでの時間、海を眺めている時間――しばらく無言でも、気まずくなることはなく、隣に誰かがいるという安心感がある。

 ゆっくりと時間をかけて培われる友情や愛情の、心温まる作品だと思っていたら、本展の解説を読んでいるうちに、あることに気づき、少し見え方が変わった。それは、この本を書いた絵本作家アーノルド・ローベルは、同性愛者であった、ということである。彼は、普通に結婚して子煩悩なパパだったようだが、のちに同性愛者であることをカミングアウトして家族関係がこじれた。その後、ある男性と同居生活をしていたという。

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 『ふたりはともだち』に収録されたお話「すいえい」では、がまくんが、水着を着ていて、その姿を見たカメやヘビやトカゲたちが一斉に笑い出す場面がある。がまくんの、恥ずかしそうにじっと我慢する姿が、対比的に描かれている。外見をからかって傷つけてしまう子どもたちといった学校でありがちな場面と重なるが、アーノルド・ローベルが同性愛者であったことを考えると、少し見え方が異なってくる。例えば、男性なのに女性用の水着を身に着けていたとしたら――。 

孤独では生きられない

 アーノルド・ローベルは、1933年にアメリカのロサンゼルスに生まれ、ニューヨークで育った。幼少の頃、病気でしばらく友達と遊べない時期があり、孤独感を強めた。その孤独感が、最も自叙伝的な作品といわれる「がまくんとかえるくん」シリーズに投影しているのだろう。

 小さい頃から絵を描くことが好きだったというアーノルド・ローベル。両親が離婚し、祖父母のもとに預けられた彼が心を許したのは、祖父母と、飼っていた動物たちであった。そうした幼少期の世界観を示すように、初期の絵本では、祖父母が動物として登場する。そして物語よりも絵を描くことが得意だったと自ら語っているように、絵に対するこだわりを強く感じる。作品ごとに画風が頻繁に変わり、さまざまな挑戦を試みた跡がうかがえるからだ。

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 本展の展覧会名には「alone together」というサブタイトルが付けられている。シリーズの一作品のセリフから取られたもので、「ふたりっきり」とも訳されるが、本展では「ふたりぼっち」という言葉を使っている。「ひとりぼっち」に対する言葉なのだろう。

 感染症の影響で、自粛生活を余儀なくされている今日、人と直接会う機会が減り、孤独感を強めている人も多いに違いない。当たり前だと思っていた日常の人間関係が、いかに人間にとって必要であったかと痛感する。または、かえって家庭で過ごす時間が増えたことで、家族との関係を見直した人もいるかもしれない。「ふたりぼっち」という言葉は結局、人間が孤独では生きられないということを示しているようにも感じる。

 「ひとりぼっち」ではなく「ふたりぼっち」。一人でも誰かが相手に寄り添ってあげれば、人は孤独を感じずに強くなれるし、幸福も感じられる、ということなのだろう。

小さな思いやりの心

 「ぼうし」のお話。がまくんは、かえるくんから誕生日プレゼントとして帽子をもらってうれしそう。帽子をかぶってお出掛けをするが、どうみても帽子は大きすぎて、顔が隠れるほどの大きさだから格好が悪い。周りから笑われても、がまくんはいつも帽子をかぶっている。それは物ではなく、相手の気持ちがうれしかったということなのだろう。唐突かもしれないが、家族や親友、恋人という立場を超えて、相手を思いやる心には、普遍性があるのではないだろうか。自分のことばかりで汲々(きゅうきゅう)とする現代人に、その心の大切さを問い掛ける。

 がまくんとかえるくんが、誰もいない孤島で再会するお話がある。お互いに別々の場所に離れていて、不安だったけれども、再会したときに、お互いに相手のことを思いやっていたことに気づいた、がまくんとかえるくん。「サイダーはなかったけど、食べ物を食べながら、二人はずっと座っていた」。相手のことを思いやり、そっと寄り添ってみる。そんな心が、この世の中できっと小さな優しさとなって、この閉塞(へいそく)的な時代を少しずつ変えていってくれるに違いない。

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【★ひーろ🥺の腹ぺこメモ】美術館には、展覧会と連動したカフェも併設、軽食でちょい高めなイメージ(ファンは喜びそう)。美術館の周りは、人工的な森のようで、昭和記念公園と地続きな雰囲気。モノレールが見えるので面白い。

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