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スタイリストが考える、洋服でいちばん大事なこと

なんでこんなことを考えるのか、と言うと、最近の洋服を見ても「優等生的だな」としか思わないことが増えたからです。

大手だけでなくインスタグラムとかSNS発のブランドもどんどん出てきてます。どれもそれぞれポイントは押さえていて写真上ではよく見える。ファンには売れそう。サスティナビリティにも配慮されている。

要は”いらんツッコミ”を受ける要素を極力減らしているということです。そういう意味で優等生的と表現しています。

それも時代なんでしょうが、他にもっと大事な要素があるんじゃないのと思ってしまう。

それは、ワクワクさせてくれることです。

「売れなくても必要な服がある」

先日、コムデギャルソンの川久保玲さんのインタビュー記事を読む機会がありました@VOGUE。ぜひ買って読んでいただきたい。正味5ページくらいだったのだけど、気が付いたら1時間半くらい経っていて。途中で何度も読み返したりしたからなんですけどね。

その中で

年々「これは売れなくても必要な服だから作ろう」という意見が社内でも少なくなっている

というような話をされていたのだけど、川久保さんは「売れなくても必要な服」というのがあって、それは作っていく必要があると考えておられる。売れなくても必要な服とは何かというと、未来を見据えた服です。

今売れる服を作らないと商売は成り立たないけど、そのブランドの存在意義が「その時売れる服を作る」だとしたら、別にそのブランドでなくてもいいことになります。他にも同じようなコンセプトの会社は沢山あるだろうし。

コムデギャルソンらしい服、THEギャルソンな服は万人は買わないかも知れないけど、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のように旗を立てる意味で必要だと僕も思います。私たちはこういう服を作っていきます、私たちがほんとうに作りたいのはこういう服です、という意思表示をすることが。そしてそこにはワクワクするデザインや驚きがあるのです。

「即完」ってそんなに凄いことなのか

今は「無駄なくロスなく売り切って完売目指そう」という考えのところが多い気がする。完売がまた次の飢餓感を生み、即完はステータスにもなるから。講座とかもそんな感じですよね。

でも、結局数を制限して、即完する量だけ作ってるというところも多いでしょう。いわば作られた即完。ちょっと量を増やしたら余ってるブランドとかも多いし。

もちろん多くの人に求められることは素晴らしいし、人気のバロメーターにはなる。ロスがないということはサスティナビリティにも繋がります。でも、そもそもクリエイションて無駄が生まれるものじゃなかったけ?彫刻家や陶芸家の作品って作ったもの全部売れてるっけ?という疑問が僕は拭えない。納得いかなくて作品割るコントとかもサスティナビリティに反するとかいって叩かれる日が来たりして。

ショップの展示でも同じことが言えて。
売れ筋の洋服ばかり並べているとどこのお店だか覚えてもらえません。だから、売れないかも知れないけど、ウチはこういうものを売りたいんです、こういうものが好きな人に来てほしいです、というシンボルとしてアイテムを掲げておく。一見無駄だけど大きな意味があるんです。

もう少し言うと、サスティブルな素材や工程で作りました、といわれてもデザインや着心地が良くなければ、その服には何の価値もないと思っています。

服はデザインや着心地が評価の最初の項目。あとはその次です。だって身に付けるものだから。今は社会正義みたいなことばかり重要視されていますが、そのもの本来の役割を考える必要がある。

ステラマッカートニーはいち早くサスティナビリティを社是としてエコレザーを開発しましたが、デザイン性や品質が優れてるから売れているのです。”お洒落だから持ちたい”の付加価値として”サスティナブルに参加できる”が付いてきているに過ぎないのに、それが逆転しているところも多い。そうなるともう「ワクワク」は無くなって基準を満たしているか認証を受けているかだけの競争になってしまいます。

生きるだけなら何を着たっていい

文明社会では何か衣服をまとって生活する必要がありますが、生きていくだけなら何を着たっていいわけです。別に高い服なんて必要ない。極論すれば近くにユニクロさえあればどんな環境でも生きていけそうな気がします。ぜひ”世界一寒い”と言われるロシアのオイミャコン村店とか出してみてほしい。

でも、なぜこれだけブランドがあって値段も違うのかと言えば「生命維持や社会的規範のため仕方なく着る」以外の目的があるからでしょう。

元々は服はヨーロッパ式階級社会の象徴でもありました。今はそれが崩れてきているから着飾る必要がなくなった、ゆえにカジュアル化しているという論調もありますが、逆に言えば誰もが好きなものを着ていい社会になったということです。

そんな世の中で、わざわざ普通の、特筆すべきポイントのない服を着る意味があるのでしょうか?

別に高いものでなくても良くて、作り手のポリシーに共感したりデザインに感銘を受けたり、着ていて気分が上がったり自信が持てるような服を選んでほしいと思うのです。特に今のような停滞した社会の状況下では。現場では明るい色が売れているというのは、状況を変えたい・自分の気持ちを上げたいという思いの表れでしょう。

業界側の責任

度々言っていますが、僕は業界がそういう打ち出しをしてこなかったことの責任も大きいと思っています。

目の前のトレンドや売れ筋にばかり注力して、前述した「売れなくても必要な服」を作ることを忘れていった。最近「日本が貧乏になったからアパレルが斜陽になった」という論調が多いですが僕は本当に怒ってます。その評論誰が得するの?と。そもそも認識が間違ってる。

アパレルが良かった時代は「未来を見せてくれる服」やブランドがたくさんあったからみんながワクワク出来たんですよ。それが今売ることだけを求めた結果ワクワクしなくなり面白くなくなった。もうトレンドセッターのポジションではなくなってしまったけど、それならよりワクワクさせるような提案をしなきゃダメでしょうが。そうやって他責にしているうちは変わらないと思う。マジであの人誰か止めてほしい。誰か分かってもそっと心の中にしまっておいてくださいね。

僕自身、お客さまに洋服を提案する立場としても、バイヤーとしての立場としても、年々選ぶ難しさが増していく思いを感じてきました。

国内はもちろんパリへ行っても、前はワクワク出来るものが一定数あったのに、ここ5年くらいでその数がどんどん減っている。これは僕の感覚の問題だけじゃないと思う。

無難に、売れ筋で、ということが世界中で起きていて、あのフランスでもそうなのかと愕然としたことを覚えています。だから簡単には抗えないことなのかも知れませんが、逆説的にアパレルが売れないことの原因の一端はやはりこれだと確信せざるを得ませんでした。

やっぱり自分がワクワク出来ないと、お客さまにはお勧め出来ない。熱量を持ってプッシュ出来ない。イメージが湧かない。だからこれはスタイリストとしても切なる願いなのです。

”ワクワク出来る服”とは

僕はやはり「心が動くこと」だと思っています。

単純にこの服が着たい!と思えること。この服を着て行きたい場所や着て活躍する自分の姿が浮かぶこと。圧倒的に欲しいという熱量で買った服は、必ずあなたの人生を後押ししてくれます。

現実的にファッションが世の中のトレンドのトップに返り咲くことは難しいと思う。けれど斜陽産業なんて言われ方をされたままでいいのか、という業界人としての想いもある。

今再び、”売れなくても必要な服”が世の中に求められているのではないでしょうか。今日のような閉塞感がある世の中だからこそ、未来を見られる服が。着る場所が機会がないからとか言ってたらどんどん面白くないものばかりになっていく。

せめて服くらいはワクワクしながら選びたくないですか?身に着けるものからテンション上げていくべきです。素敵な服を選んで損することはひとっっっつもありません。いつもよりちょっと多めにお金が減る以外は。

ワクワク以外勝たん。これファッションの標語にしましょう。机の前とかトイレの壁に貼っておこうと思います。

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