周りと笑いあえる自分の場所がこのまま続けばいい

今日の記事は投稿しようかどうか迷ったんですけど、心が動いた時こそ理屈じゃない思いがあります。言葉にするのが難しいから、敢えてそういうものを書いていこうと思います。

やはり理屈出かけることももちろん大事だけど、心が動いた時を書き残しておくってなかなかできないので。

2年ぐらい前に公開された「この世界の片隅に」を今日初めて見たんですね。

舞台は海軍の街、広島の呉。一人で知らない土地に来て、嫁ぎ先の家族との新しい生活が始まる。戦時中の貧しい生活の中で工夫しながらたくましく生きて、自分の居場所を作る。すごく良かったです。同時に心細くなりました。

自分の居場所が奪われ、我慢が報われない心細さは誰にも癒せない

主人公の居場所が空襲によって襲われ、自分の家族も、片方の腕もなくす。普通ではいられないことがどんどん起こるんですね。

やはり普通に生きてるって当たり前ではない。自分の居場所が奪われ、我慢が報われない心細さは誰にも癒されることはない。でも当時は生きるしかなかったんだなと思いました。

昔は、生活をしていくって生半可なことではなくて、食料を手に入れてご飯を作って、洗濯物を手洗いして干して、洋服も自分で作っていた。今と違って、女性が家事をしないと家庭が回らなかったんですね。

生活を当たり前に、続けていくことがいかに普通のことではないか、明日の食べるものがない、家族の死活問題に女の人たちは工夫を凝らして過ごしている。特に終戦までは、どんなに辛いことがあっても、普通の生活を保つそのたくましさに、感動しました。

「周りの人と笑いあえる、自分の場所があればいいんよ」

戦争や争いはなくなっていない、でも現代に生きていて、日本で生まれ育って、本当に感謝だ。加えて「仕事」や「自分の生き方」に悩めることも幸せなんですよね。うつ病になりそうなほど「意識高く生きられる」ことに感謝です。死ぬこと以外擦り傷なんですよね、本当に。

「周りの人と笑いあえる、自分の場所があればいいんよ」

というセリフがあります。嫁ぎ先のお母さんが足が悪くて、いつも主人公を労わる言葉を投げかけてくれる、そのなかの一つです。

周りと笑いあえる自分の場所がこのまま続けばいい。それが自分の思いだってことを思い出しました。ここに自分の居場所はある。もし何かあった時は、私の家族に対してだって、海外で生きていけるように私は準備ができるんだから。映画を見てそんなことを考え、ちょっと気が滅入るぐらいズンときました。

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