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「人間は自分自身の人生を描く画家である。」(アドラー)

こんにちは☀️
 関東はよく晴れて、子供と公園で思いっきり遊びました。
 その後アドラー心理学の番組を見ながら、noteにどうまとめようか、思案する、そんな一日です。

 [100分de名著(NHKオンデマンド)]


アドラー心理学といえば、数年前に話題になった「嫌われる勇気」で日本でも認知度が高まりましたが、欧州、アメリカではフロイトやユングと並ぶ心理学で知られた人物です。
 100分de名著には、「嫌われる勇気」の著者の一人である岸見一郎先生が指南役です。大変わかりやすく解説されていますが腹に落とすには、やはり自分で要約を書いてみないといけないかなと思いこの記事を執筆しています。
 自分に自信が持てない人、他人の目を気にして身動きが取れなくなる人は、救われる教えです。私は良くも悪くも周囲の人の心情をとても気にするところがあり、人生の一部を他人に捧げてしまっているのかも、と気付かされました。

「過去の分析」ではなく、「どうありたいか」である。

 人は、自分の人生に意味づけをするときに、過去の経験をトラウマとして持ち出し、自分はこういう人間である、と定義づけ、それに縛られて生きています。
 この考え方を「原因論」と言い、自分のその後の人生も過去の延長線上になることは想像に難くありません。
 しかしアドラーはそれを否定します。
 過去に縛られることなく、人生の目的はいつでも変えることができます。その目的に、過去の経験も意味づけをし直すことはいつでもできるのだ、というポジティブな考え方です。

 自分の不得意な点、容姿、才能に対して否定的な考えを持ち、自分を好きになれない人は、アドラーからすると、「自分で自分を好きにならないよう」に自分が決心している結果なのだ、と言います。

 人は誰しも不得意な部分があります。完璧な人間を除いては。そんな完璧で自信満々にみえる人間だって個人的に抱えている不得意な点や自信のない部分はあるでしょう。

 そんなものなんです。裏を返せば、できる人と言うのはできる部分を活かしているのであって、自分が好きになれない人にも必ずある良い点を探し出して、それを活かす道を探すことを、自分で選択することができます。また、不得意な点も認めて、伸ばしていくことも自分の選択なのです。

他人のために生きるな。


 次の主張は、「承認欲求」に支配されはならない、と言うことです。

簡単な例をご紹介しましょう。

 親の期待と違う進路を希望する学生がいたとしましょう。彼(彼女)は、自分はアーティストになりたいので美大を目指しますが、親は普通の大学に進学させたい。そのギャップに学生は悩んでいます。
 この学生は、親に対する承認欲求に囚われ、「課題の分離」が出来ていない、と考えます。学生の人生は、学生が最後に責任を負います。美大に行っても、親の勧めに従って普通の大学に行ってもその後の人生の責任は、その学生自身にあるのです。親は責任を引き受けることはどうやってもできません。

 もし、我慢して普通の大学に進学し、そこで挫折したり、社会人になって仕事に不満を覚えたとしましょう。そうすると、あの時、親に従っていた「から」今自分は辛いのだ、と、責任を親になすりつけようとします。
 普通の大学に進学し、安定した生活を得てほしい、親はそう思っているのでしょう。しかし、その希望は、親の課題であって、学生の課題ではありません。
 たとえ親子であっても対等であり、子供の人生に勝手に踏み込んではいけません。
 課題を分離しましょう。分離して、学生(子供)の課題である、との認識の上で親はアドバイスをする、手を差し伸べる、そして最後に決断するのは、学生である、このことを覚えておくべきです。


次の例です。

 他人がいる広場やパーティなど大勢の人がいる場に参加するのが怖い人がいます。その人はなぜ恐怖心を持っているのでしょうか?
 その人は劣等感を持っているのではなく、むしろ自分が世界の中心にいたい、と考えているのです。みんながいる場所に参加したときに、自分の理想とはかけ離れて、注目されなかったら自分を否定することになる、だから傷つくことを恐れて広場に出れられないのです。

 しかし!自分の能力や容姿をどう捉えるかは、その相手の課題であって、それは自分とは切り離すことができるのです。これも他人からの承認欲求が強すぎることに依拠します。

対人関係のカードは自分が握っていて、自分の考え方を変えることで対人関係は変わるものなのです。

このように、人生の課題は必ず対人関係にある、とアドラーは言います。

「共同体感覚」


 アドラーの主張の集大成が、この共同体感覚にあります。
それは、以下の主張です。

他者を仲間と見なし、
「自己への執着」を「他者への関心」へと変貌させる。
人生の意味は全体への貢献である。
全体の一部として人は生きている。


この感覚を持ち生きていくことが、幸福に生きていくために重要だ、という主張です。

この感覚を持つには、「自己」から出発し、「他者」とつながる以下の3ステップが必要です。

「自己受容」 与えられている「自己」をどう使うのか、私は私以上ではない。自分を受け入れましょう。
 自己を確立して、自らの意見を言いましょう。過度な承認欲求は捨て去り、どう思われているかは、自分の課題ではない、と認識しましょう。

「他者貢献」 他者に関心を持ち、他者に貢献する(岸見先生曰く、 人生は” GIVE & GIVE”である。)
 他者にたいして「ありがとう」と言いましょう。偉いね、ではなく、ありがとうです。偉いは、縦の関係で上から下に向かって言う言葉です。「ありがとう」は横の関係の人に言う言葉です。

「他者信頼」 他者を仲間だと信頼しましょう。



アドラーの言葉は、一見すると自己と他者を分離する、突き放したような考え方にも見え、自己責任論的な主張にも思えますが、実は一歩前に踏み出す勇気を持たせてくれる言葉なのです。

「人間は自分自身の人生を描く画家である。」

人生の意味はあなたが自分自身に与えるのだ。
一般的な「人生の意味」は、無い。
態度決定をすることができる。全てはあなた次第なんだ。


(Audible版)嫌われる勇気 ←私はAudibleで聴きました。


(Kindle版)嫌われる勇気

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