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鏡の法則とは(心理学)

おきた出来事に意味はない。

そう言われている。

その出来事に意味づけをしているのは自分。

そうも言われている。

どういうことなのか?

例えば、今、目の前に子犬(ワンちゃん)がいるとします。

子犬ちゃん自体に、意味はありません。

ただ、子犬ちゃんは存在しているだけです。

では、その子犬ちゃんをみている人が、五人いたとします。

Aさん「わ〜可愛い〜」

Bさん「・・・・」(興味なし)

Cさん「犬、怖いわ〜、噛まれたらやだわ」

Dさん「きゃーー、なんて可愛いの、連れて帰りたい」

Eさん「犬、好きじゃないんだよな、小さい時に追いかけられたから」

と、それぞれこんなふうに感じたとします。

それぞれの、感想を見ていて、氣付いたことと思います。

それぞれ、自分の中にあるものが、子犬ちゃんを通して出てきているのです。

伝わっていますか?

Aさんの中には、「子犬は可愛い」という気持ちがあるから、その言葉が出てきているのです。

Bさんの中には、子犬に対して何も思わないから、何も出てきていないのです。

Cさんの中には、「怖い、噛まれたら嫌だ」という気持ちがあるからその言葉が出てきているのです。

Dさんの中には、「犬が可愛い、飼ってみたい」という気持ちがあるからその言葉が出てきているのです。

Eさんの中には、「小さい時に追いかけられたという経験があるから、好きじゃない」という言葉が出てきているのです。

つまり、目の前で起きた現実に意味づけをしているのは自分なのです。

だから、その出来事が起きたことにより、感じたことが自分の中にある物だということです。

こういった視点を持つと、その出来事にジャッジをする意味がなくなります。

つまり、他人を批判したり、正義を振りかざしたりしても、何の意味もないということです。

ただ、その出来事を見て、みている人たちの心の中が現れているだけなのです。

だから、鏡の法則なのです。

自分自身がそこに映し出されているに過ぎなのです。

これを人間関係にも当てはめると、人から嫌われても、何も思わなくなります。

なぜなら、あなたは存在しているだけです。

そこに、意味づけをしているのは、あなたの周りの人達だからです。

あなたのことを、好意的に受け取る人も

あなたのことを、否定的に受け取る人も

その人たちの中にあるものが、その人たちに映し出されているに過ぎません。

物事には、16通りの見方があると言われています。

しかし、それをみている人がいるならば、その数だけ見方があるという事にもなります。

多くの人は、自分の中の価値観を正義として物事や人を見ているかもしれませんが

そうではない人達も、沢山いると思います。

結局は、自分が何を選択するのか?

ここに尽きると思います。

自分の人生。責任を取れるのは自分だけです。

自分が何を選択するのか?

自分がどの視点を選択するのか?

そういった在り方が私は好きです。

今日はここまでです。

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