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風呂場ダイハード

ダイハードという映画はクリスマスイブに大変なことに巻き込まれる映画だが、妻は去年の大晦日、割と大変な事態に遭遇した
最初に断っておくが、妻にはブルース・ウィルスが演じる刑事のような洞察力はない
例えば、普段乗っている電車はそのまま先へ向かう電車もあれば、途中で折り返す電車もあるのだが、妻は終点に着いた後、また折り返して走っていることに気づかなかったりする
妻なので「洞察力がない」というオブラートに包んだ表現を用いたが、実際は何かと心配になるレベルである

そんな妻と年末から私の実家で過ごしている
かれこれ一週間となり、結婚1年目だが、妻も実家に慣れてきた

大晦日は近くの神社で大祓いをやっているので、それに行こう、となった
近くでポルシェを売っているので、大祓いの前にポルシェを見に行こう、となった
問題はその日が大晦日ということだ
夕方に家族揃って年越しそばを食べねばならない
それは午後5時、というのが我が家のコンセンサス
午後5時までに全てのミッションをコンプリートして戻ってこなければならない

そうはいっても、ひやかしでポルシェを見て、古いお札を神社に預けて帰ってくるだけだ
出かける時間さえ間違えなければ簡単なミッションだ

しかし、まずバス停で躓いた
乗換案内で時間を調べて行ったのに、バスは年末年始特別ダイヤになっていて、その時間は乗換案内に反映されていなかった
バス停に着いて、そこでバスが来るのが20分後と判明した
ならば歩いても同じ
我々夫婦はJRの駅まで約2キロの道を歩いた

駅からポルシェセンターがある駅までは電車で2分、歩いても行けるのだが電車に乗った
その駅は海の近くにあるので風が強かった
寒風吹き荒ぶ中、ポルシェセンターまで歩いたが、ガラス張りのショールームにはブラインドが降ろされていた
事前にネットで調べたときは、営業中と出ていた
以前、晴れの日に行ったことがあり、その時は眩しいのでブラインドが降ろされていたことがあったが今日は曇り、太陽はどこにもない
入り口まで行って確認したが、やはり閉まっていた

妻のテンションはダダ下がり
私は、来年もポルシェは要らないな、と悪態をつき、踵を返した

そこから神社までは約2キロ
公共交通機関がないのでまた歩いた
神社に着いたが初めての大祓いで作法がわからない
大祓い受付、というテントがあったので行ってみると、そこで小さな封筒を渡しているが、それは千円札と交換のようだった
私は千円払うのが癪だったので、妻だけ千円払ってその封筒をもらった
その封筒には人の形に切られた紙が入っていて、神事の際にその紙を取り出して体の悪い部分に当て、また封筒に戻し、神主がその封筒を回収する、という流れだった
妻は古いお札をその封筒に入れるつもりだったが、その封筒が小さすぎてお札が入らないことが判明
結局、大祓いを受けたのに、古いお札を持って帰る羽目になった

だが妻は、このお札は今年のうちに川に流さねばならない、と言い出した
そんなわけで、そこから川探しが始まった

歩いてみるとすぐに川は見つかった
だがそれは川というよりコンクリートで作られた水路で、水はほとんど流れていない
妻の判定では、それではダメ、ということになり、少なくとも水が流れている水路を探すことになった

しばらく歩くとそれはあった
水路ではなく川と呼んでもいいものだった
だがその日は風が強かった
川の流れは何度見ても海から陸に向かって流れているように見えた
ならば海まで歩こう、ということになった
そんなわけで海岸までの約2キロを歩くことになった

強い風が吹き続ける中、我々夫婦は海岸へ到着した
やっとのことで今年の厄が落とせると安堵した
しかし、その日は風が強かった
海の水は沖への流れず、岸に戻っている
ここにお札を流したら、すぐに岸に打ち上げられるのは明白だった
「それだと厄が戻ってくることになるのか?」と妻に聞くと、そうだ、と言う
我々夫婦は踵を返し、4キロ先の実家を歩いて目指すことになった

幸い、その道中、お札を流しても大丈夫な川が見つかり、お札の問題は解決した
実家には午後4時30分に帰り着くことができ、年越しそばにも間に合った
真冬とはいえ、約10キロ歩いてきた我々は汗をかいていたので、夕食の前に風呂に入ることになった
私は妻を先に風呂に入れ、私の番が来るのを待っていた

妻はなかなか出てこなかった
午後5時を過ぎて、妻はやっと風呂から出てきた

「大変なことが起きた」
そう前置きして、妻は話し始めた

妻は時間を意識し、順調に体を洗い終え、風呂場から出るために、風呂場のドアノブを引いた
すると、そのドアノブが根本から引っこ抜けたという
左手に握られた円柱形の金属の内部は錆びていて、劣化による切断であった
妻は内部が錆びていたことから、これは自分が壊したものではない、と確信し、その点は安心した
しかし問題は、どうやって風呂場から出るか、ということだった
風呂のドアは内側に引かねば開かないが、ドアノブが取れてしまったので引けない
取れてしまったドアノブを押し込んで捻ってみても、内部のシリンダーが回転する感触はなく、ドアは開かない

問題はいくつかあった
まず、その日は大晦日で、家族で年越しそばを食べる時間が迫っている、ということ
それを嫁の長風呂によって遅らせるわけにはいかない
次に、これはそもそもの話だが、風呂なので裸、という点だ
助けを呼ぶとしたら、一階の台所にいる母になるが、台所までは脱衣所と納戸の廊下があり、風呂のドアを入れると、台所までは3枚の扉で遮られている
嫁が夫の実家の風呂場で大声を出して義理の母を呼ぶ
結婚一年目の嫁にとって、これは高いハードルだ

しかし、助けを呼ばない限り風呂のドアは開かない
このままでは嫁の長風呂によって年越しそばが伸びてしまう
これがブルース・ウィルスなら、なるほど、と思わず膝を打つ解決策を講じるだろう
しかし妻は電車が折り返したことに気づかないほどの人間だ
妻は裸のまま、何度も折れたドアノブを差し込んで回した
体が冷え切ったことを自覚した時、ようやく解決策を思いついた

風呂場にはもう一つドアがあった
それは土間に繋がり、土間から勝手口に入ることができる
勝手口から納戸を通り脱衣所に行けば、そこにタオルと脱いだ服がある
書いてみると実に簡単なことで、実際に簡単だと思われるが、妻はそれに気づくまで5分かかった

一応、妻の言い分を書いておくと、土間と納戸を裸のまま通過しないといけないので、その覚悟をするために5分かかった、という
だか、その言い分を信じるなら体が冷え切ってしまうまで、取れたドアノブを押し込んで回し続けるようなことはせず、その間、湯船に浸かっていればいい

そんなわけで妻は5分後、意を決し裸で土間に出た
そして納戸に誰もいないことを確認し、脱衣所に潜り込んだ

「なるほど、それは大変だったね」
私は半笑いで妻の労を労い、風呂に入った
風呂を出ようとした時、私もドアノブを引っこ抜いてしまった
私は冷静にドアノブを取れた部分に差し込み、丁寧に捻った

ドアは簡単に開いた


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