見出し画像

「王の男」(映画感想文)(*ネタばれ注意)

2007年のこと。
久しぶりに同じ映画を
映画館で、数回みた。

「ブエノスアイレス」以来だ。
やっぱり同性モノっていうのが
サガですが笑。

最初みて、「ん?」と思った。
王の男である、芸人美少年・コンギル
(イ・ジュンギ君というそうな)が
思ったほど美しくはない・・・というよりは
どちらかというと、KABA.ちゃん!?みたいな
様子で・・・(大変失礼!)。

でも、何か引っかかっていた。
思っていたほどキレイでないのに、
映画中の男がハマること(まぁ、それは
ストーリーなんだけど)、
そして、同じくらい私も惹かれていることが
気になった。
何であんな覇気のない子が・・・
自分を持っていないタイプの子が・・・
微笑んだり、泣いたりするだけで
これといった意見も言わず、
それほど、抵抗もなく・・・

そして珠玉のシーンが思い出された。

芸人として稼げるようになって、
みんなで大騒ぎして飲んだ晩、
酔っぱらって吐いているコンギルに
チャンセン(映画中、名無しだったけど)兄貴が
「うれしいか?」
と聞くと、コンギル、にっこり笑って「うれしい」。
「何が?」と聞くと、
「なんとなく、全部うれしい」・・・。

なんか、ガツーンときた。

なんとなく?
全部?
そんなコメントありか?
宇宙度高いような気がして、
そのシーンが一番、ドキッとした。

が、ひとたび、舞台に上がると、
キレのある腰の動きで踊りまくり・・・
そのギャップは、非常にエロチック。
そして、チャンセン兄貴、久しぶりに
見たが、ホンモノの男のホンモノの愛。

そんな愛を受けながら、コンギルは
植物のようにニッコリ微笑んだり、
涙ぐんだりしているだけ・・・。
ああ、これが、本当の傾国の美少年、悪女・・・
と、解説の岩井志麻子さん、バッサリやってくれた。

そして、バッチリ計算してないにしても、
確かにあのルックスに、長髪に、おリボンひらひら
では、ある程度、「わかっている」んだよな。

そのキワキワな感じがキワモノのKABA.ちゃん
と重なったのか?(度々、失敬!)

いや、しかし、なかなか美しいコンギル、
そして彼のせいで不幸になりつつも
彼が愛おしくて仕方のないチャンセンや国王、
彼らがうれしそうに死んでいくさま・・・
監督にカンパイ、だった。

いるわけのないコンギル、
存在さえ不明のチャンセン、
でも、この映画というフィクションの中に
輝かしく存在し、みる者の心を打つ・・・
これって、現実より、すばらしいことじゃない?

私はやっぱり、フィクションを存在させたい。
自分自身の人生も、自分の舞台にする、
でも、自分の作り出した世界も、
この世に送り出したい、そして、その存在を
人々の心に残したい。
それは、実際生きるのと同じくらい
素晴らしいこと。
子供を生み出すのと同じくらいすてきなこと。

チャンセンとコンギルの世界に
出会えたのは、なんという僥倖。

人生自体、何が不幸で、何が幸せか
わかんない、でも、こういうフィクションに
出会えた幸せ、彼らの喜びや悲しみを
感じる幸せは、私にとっては、すごい経験。

そして、それを作り出したくて、仕方がない。
己の人生を見渡すことが、各人、むずかしいなら、
一冊の本や、一本の映画で、誰かの人生を
見渡すことは、素晴らしいこと。

また、不自由な時代(この映画の時代)だからこそ、
伝わらない心が、想いが、言葉が、
フィクションという語り部によって
輝きを増す。

架空のチャンセンとコンギル、
他人の人生でありながら、私に大きな
感動を与えてくれた。
きっとチャンセンとコンギルという
架空の存在は、この結果を喜んでいると思う。
そう、そういう存在にも、心や意思はあると思う。
だから、あなたたちをバネに、私も
新たな世界を作る!!

・・・って、架空の人物に対する長い独り言でした。
ご精読ありがとうございます。

この記事が参加している募集

読書感想文

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?