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愛しのガニ・キュウさん

今更なネタですが、
亡き父が恋しい。

父のあだ名のひとつをご紹介。 
ガニ・キュウの由来は
ガニ・キュウ・テンテコリン。

 
まだ阪急宝塚線が
6番ホームだった頃。
梅田で仕事をしていた父と、
よく家族で梅田にご飯にでかけた。
 
阪急6番ホームの出発の
アナウンスが流れると、
まだ若かりし頃の父は、
母と2人の娘の先頭になって
電車に向かって走った。


その様子がガニ股で、
バランスが悪く転びそうに
テンテコリンと
走りながら、
いつもはいている革靴が、
キュッキュッと鳴って
私は大爆笑だった。
 
母もこの光景に
「ガニ・キュウ・テンテコリン」
と銘打った
私のお笑いセンスを
高くかったものである。
 
だた、妹が、
「ガニとテンテコリンはわかるけど、
キュウって何?」と聞いたときは
私と母は「はぁ!?」と
叫んだものだ。
 
あの、革靴がキュッキュッ鳴る音やん!
なんでわからんかな?
くらいの勢いで。

ガニキュウさんが介護生活を
送り始めたのは、17年前。
まだ、63歳だった。

そして、10年の介護生活のあと、
亡くなって7年。
 
今でも阪急電車に乗るときは
ガニキュウさんの後ろ姿を探す。

家族の先頭を切って走ってきた
ガニキュウさん。

亭主関白で、昭和の厳格な父親。

 
大好きな父だった。


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