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がんばろう神戸の底力を信じていた

#55

フラフラと力なく上がった打球が
一塁手のミットに吸い込まれると、
夕暮れのGS神戸はため息に包まれた。
その日は阪神・淡路大震災から
ちょうど、8か月後の9月17日だった。
マジック「1」であと1勝。
12日からの神戸の6連戦に21万人が集った。
きっと、17日までに優勝が決まって、
その日は消化試合になっているはず。
イチローのサプライズ登板を期待し、
日曜日のデーゲームを楽しみにしていたが、
前日は明日の胴上げ見たさから
「今日は負けてもいいのかな」
なんて、思っていたら本当に負けてしまい、
地元優勝の最後のチャンスになってしまった。
試合は8回が終わって2点リードするも
リリーフの平井正史が打たれて5失点。
あと1勝すればいいだけなのに……。
2日後、僕は大阪府内のワンルームの一室で
仰木監督の胴上げを一人で静かに見ていた。
どこでもよかった。
いつでもよかった。
神戸を離れたからこそ、
神戸に愛着があふれた。
毎年、春にプロ野球が開幕し、
秋にどこかのチームが優勝する。
胴上げもチームが変わるだけで
野球に興味がなければ、
優勝の感動も感激も希薄なものだ。
でも、1995年だけは違っていた。
神戸の街が、神戸の人が、野球ファンが、
ブルーウェーブファンが、ファンじゃなくても
震災で負った傷を癒すために必要としたのは、
住む家がある、水がある、電気がある、
そんな当たり前の日常だ。たかが野球。
野球で震災を乗り越えることはできないけれど
29年前の神戸の出来事は一生忘れない。
忘れそうになっても絶対に忘れない。
忘れそうになっても絶対に忘れてはならない。
野球の底力を信じたことは風化しない。
それを信じたことが間違ってはなかったと、
今もずっと思っている。 

今週の虎党の呟き😊 

野球の底力を見せてくれた嶋さんの言葉の底力。

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