見出し画像

[旅行記] はじまりはリスボンから

海外旅行をするにあたって、今までは現地のSIMを買うということをしてこなかった。いつも現地についたらデータ通信をオフにして、使えるのはWi-Fiのみ。常時インターネットに繋がっているのが当たり前な現在だけど、日本の知り合いと繋がって日常の延長にあるのでは、旅をしている感覚が希薄だと思うから。

でも、前回の台湾旅行あたりから、宿の人との連絡にもメッセージアプリが必要だったりして、いよいよ現地SIMを使わないとダメか、と思い始めた。スマホばかり見ないようにするには、自分の意志でなんとかするしかないかな、と。

日本でヨーロッパのSIMを買っておいて、現地に到着したらそちらに入れ替える、というのが定番の方法ということで、事前に日本で購入&アクティベーションをしておいた。トランジットの間に入れ替えてしまえば現地についた瞬間から繋げられる。そう思ってSIMを交換しようとしたところで、最初のトラブルが起きた。

SIMを入れるためのスロットが壊れた。

もともとあまり強度が高くないSIMスロットのフレーム。SIMが引っかかってうまく入らなくて、少し力を入れてしまったら割れてしまった。SIMを入れられず、また様々なPDFや地図データなども入れていたSDカードも同時に使えない状態に。

思わず天を仰いだ。この旅、まずいかもしれない。

でも落ち着いてよくよく現状を考えてみると、スマホそのものは電源も入るしアプリも特におかしい挙動はしていない。宿は Booking.com を使っているのだけど、そのアプリはオフラインでも使えて宿の情報は確認できる。初日の宿はだいたいどのあたりかも憶えている。

考えてみれば、これまでの旅のスタイルに戻っただけ。なんとかなる。

そう気を取り直して、到着したリスボン空港からメトロに乗って街に繰り出した。

メトロを降りて眼の前に広がったリスボンの街は、いわゆるヨーロッパの風景ともちょっと違ったスパイスが効いている感じがした。そう感じる大きな理由は、アズレージョという模様が入ったタイル。

ポルトガルやスペインがあるイベリア半島は、古くからイスラーム文化の影響を受けている場所。このこと自体は知ってはいたものの、街のいたるところにこんなにアズレージョがあるとは、正直想像していなかった。教会とか、歴史的な建物で使われているものなんだろうな、というくらいで想像していたのだけど、もっともっと身近な存在だった。

街並みと通り過ぎる人々に異国感を感じながら、石畳の道を歩く。坂道が多いリスボンの街、雨に濡れた石畳の坂道は滑って歩きにくい。日本の歩道と比べると、なんだか普通に歩くのも一苦労。

雨が降ったり止んだりを繰り返す天気の中、なんとか宿にたどり着く。気さくな老紳士の案内で無事にチェックインして、荷物を置く。Wi-Fiへの接続も確認して、必要な契約書やオフライン用の地図データのダウンロード、その他諸々の情報を収集する。ここまできてようやく一段落。この先の旅路もなんとかなりそうだ。

往路は時差ボケ対策でかなりの長い間眠らないでいた。気だるい眠気はあるものの、現地ではまだ昼間。寝るまでにはまだ時間がある。せっかくなので見物がてら、街へ繰り出す。

なんでもない通りをひたすら歩いて、カフェの中、スーパーの中、昔ながらの市場(メルカード)を見つけては入っていく。どんな人が、どんな風に過ごしているのか。どんなものが売られているのか、値段はどうなのか、レジのシステムはどうなっているのか。日本やこれまで訪れた国との違いを見ていくのが楽しい。

でも、どことなくふわふわした感覚。地に足がついていないような。眠気のせいもあるのかもしれないけど、どこの馬の骨ともしれない「異邦人」を意識させられているせいだと思う。いろいろな人種の人が見えるが、アジア系は少ない。そして、周囲の言葉は聞き慣れないポルトガル語ばかり。強烈なアウェイ感が、浮遊病のような感覚を植え付けていく。

そろそろ夕食の時間になって、ちょうどいいことに空腹感もやってくる。ポルトガルでの最初の食事をどうしようか、もともと考えていた「食べてみたいものリスト」を思い出しながら、地図でマークを付けた店を伺いに行ってみる。けど、まだ少し時間が早いらしい。ポルトガルでは、昼食は13時から、夕食なら20時からが一般的らしく、日本の感覚よりも1時間ほど遅いみたい。

あれこれ悩みながらどうしようかと思いつつスーパーの中を見てまわっていると、そういえばこれも食べてみたかった、という食べ物が。それはポルトガルのチーズ。特にケージョ・フレスコという、日本では普通には出まわらないチーズがあるという。これを見つけた。普通にたくさん売られている。しかも安い。近くにはパン屋もあるし、その他のポルトガルらしい惣菜も売られている。そして、ワインも。これはもういってみるしかない。

ケージョ・フレスコをはじめとしたケージョ(チーズ)類

しかしガラスケースの中にあるものは買い方が分からない。店員さんに声をかけようとしても、次々とやってくる他の客の相手をしていてこちらの相手をしてくれない。どうしたものかと思ってうろうろしていると、近くにいたおじさんが見かねたらしく、声をかけてきた。

ポルトガル語なので正確には分からないが、「買いたいのかい? ならこっちへ来なさい」と言っているらしい。少し離れたところに、リール式のチケットが置いてある。そこから1枚取って、書いてある番号をガラスケースの店員さんが呼んだら何が欲しいかを伝える仕組みらしい。なるほど、そういう仕組み。

親切なおじさんのおかげでなんとかケージョ・フレスコを買い、続けて買い物を済ませて宿へ。ワインも、これまたポルトガル独特のヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)を購入。これもぜひ本場のものを飲んでみたかった。ワインオープナーは持ってきていないのだけど、最悪、無理やりコルクを開ける方法があるのでなんとかなるはず、という見切り発車っぷり。食べてみたかった食材たちを目の前に、かなりテンション上がっていたらしい。

宿に戻って、フロントの老紳士にダメ元で訊いてみる。

「あの…、ワインを買ってしまったのですが、ボトル開けられますか?」

すると老紳士、心得た、とばかりに引き出しからワインオープナーを取り出す。そして徐ろにボトルを持ったかと思うと、手慣れた手つきでキャップシールを切り取りコルクを引き抜く。

「若い頃はちょっと名のしれたバーテンダーだったんだよ。なんて、いや、冗談だけどね」

冗談? 実は本当なのでは? それくらい様になっていた。ポルトガルではこれくらいは誰でも当たり前なのだろうか。そして親切な老紳士の振る舞いに心が温まる。


さて、ポルトガルの初食事はスーパーで買った惣菜類で。

初めて口にしたケージョ・フレスコは、その味わいは意外なものだった。

塩気がほとんどない。そして、ねっとりというわけではなく、ややクリーミーだけどスッキリした味わい。ミルクから水分だけを切って濃厚にした、という印象。とてもシンプルだけど、その分ミルクの美味しさの本質が分かるような気がする。

こういう味わいなんだ。不思議だし、おもしろい。

なにかに似てると感じてよく考えてみると、なるほど、これは豆腐に近い。少し高級タイプのもめん豆腐というか、寄せ豆腐が一番近いような。もちろん豆と乳という違いはあるのだけど、食感とかほんのりした甘さとか、そういう全体的な印象でいうと寄せ豆腐かな、と。

面白い、面白いなあ、と独りごちならワインを飲んで、少しほろ酔い気分で今日を思い返す。

どこのものでもない異邦人だった感覚は、不思議と消えていた。なんでだろうと思い返してみると、少しこの街に溶け込んできた感じがするからかな、と。それは、チーズを買うときに親切にしてくれたおじさん、宿の老紳士、彼らとコミュニケーションが取れたから。街の風景を知って、ここに住む人とコミュニケーションを取って、この土地の物を食べて。

少しずつ、自分がポルトガルという異国に馴染んで行くのを感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?