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5月で79歳になる。ぼくのような老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいた…

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5月で79歳になる。ぼくのような老人にも、インターネットの片隅をちょっとだけ使わせいただきたい。若い方々のおじゃまにならないように、できるかぎりひっそりと使っていく。もし、じゃまだったら、無視していただければいい。慣れているからいっこうにかまわわない。

最近の記事

青春の入り口だったころの恋

 中学校の同級生に大好きだった女性がいた。しかし、彼女は学年を代表する才媛である。とうていおよばぬ淡い恋、高嶺の花でしかない。時代が時代なので告白なんかとんでもない。卒業とともにマドンナは才媛が集う都立の高校へ、ぼくは私立高校へと進んだ。  ときどき、マドンナを思い出しては青春のほろ苦さを噛み締めていた。最近になってFacebookで、中学時代はまったくつきあいのなかった同期のSさんとつながった。彼を引き合わせてくれたもうひとりも中学の同級生だった。見えない力が働いてこのふ

    • 老齢のせいにするのはやめた

       なんでも高齢のせいにしてしまうが、どうやら、年齢のせいばかりではなかった。左の膝が痛み、いっとき、不安でツエを手元に置いていた時期がある。突然、やってきた痛みである。医者からは一笑に付されるだろうが、原因は冬以来の腰の鈍痛に由来している。  身体の軸が狂ってしまい、真っすぐに歩けない時期があった。これまでの30余年、何度も腰痛を経験してきたぼくにとってみれば“軽度”の腰の痛みを自覚した期間もある。冬はくるくる症状を変える腰に翻弄されてきた。  腰の痛みがなくなり、両足首

      • これからは楽な気持ちで

         5年前、パーキンソン病と診断されて途方に暮れた。検査はかななり厳しいものだった。とにかく、ピクリとも動いてはならないのは、たしか5分間や10分間ではなかったはずだ。  結果を聞きにいったとき、その大学病院の中年の医師は、愉快そうにパーキンソン病だといった。こいつは初対面から医者にあるまじき不実な態度だった。それでも、二度の厳しい検査に間違いがあるとは思えない。即座に覚悟を決めた。  3か月目からは、家の近くにある病院のお世話になることにした。まだ、通勤しており、会社から

        • この身体とともに生きて

            膝の痛みがかなりやわらいできた。シロウト判断だが、痛みは冬のころからの「腰痛」に由来している。30余年の持病である。思い出したようによみがえってはぼくを苦しめる。いっとき、痛みをもたらすが、やがて嘘のように鎮まる。  数年に一度の頻度が、年齢のせいか、最近はかなり頻繁になってきた。体幹とやらがおかしくなって、腰にきているのがわかる。「体幹」の定義がよくわからないので、ぼくなりのことばに置き換えると「身体がゆがんでいる」のは明白だ。まっすぐ歩けない時期があった。  この

        青春の入り口だったころの恋

          かなり甘い天気の基準

           またしても、天気予報への苦情である。切なる願いかもしれない。いくらお願いをしても変わらないとあきらめつつ、やはりお願いする。  日本の天気予報は最低だと、毎日のようにフェイスブックで怒っている血の気の多い友人がいる。このところの予報の外れ方をみていると、友人が怒るのも無理もないと思ってしまう。  たとえば、当地のきょうは朝から晴れる予報だった。昼を過ぎて、ときおり、薄日は射すが、この空は素人の目にも「曇り」といわざるをえない。  当たるも八卦は許されても、いまの時代、

          かなり甘い天気の基準

          老いた男はかくありたい

           あの人は会社を利用して自分の利益を得ることしか頭にない人間です——ぼくよりも、だいぶ若い、彼の後輩の声がいまも耳の底にこびりついている。  やり玉に挙がっていたのは、とにかく評判の悪い人だった。しかし、ぼくにはそんな人には思えない。天真爛漫な性格ではあるが、彼を批判する人の真意がよくわからないでいた。  引退後は「あれだけ弁がたつのだから、大学の先生にでもなって生きてくのでしょう」と評するむきもあったが、晩年、あぜんとするくらいの変わり身で引退していった。とうてい思いつ

          老いた男はかくありたい

          元気なのはいいけれど

           それぞれの自治体には、そこを象徴する鳥や木などが定められている。ぼくの故郷である東京・杉並区の木のひとつが杉とならんで「メタセコイア」だというのを、杉並在住の友人から聞いてはじめて知った。 「生きている化石」とまでいわれるメタセコイアの和名が「アケボノスギ(曙杉)」というのもこの友人から教わっている。「スギ」と名がつくだけあって杉並区の木に選ばれたのだろう。いまでは世界中で見られるこの「古代の木」は、1955年ごろ、日本各地の小学校に苗木が送られた。  ぼくが学んだ小学

          元気なのはいいけれど

          あのかわいい女性(ひと)はいずこ……?

           40をいくつか過ぎて亡くなった友がいた。ぼくの青春のすべてだった。家業をつぎ、歯科医になるために高校のとき、北海道から東京で出てきた。ひょんなことから親しくなり、なんとも濃密な交友をしていた。  友を奪ったのはガンだった。「葬儀にはこなくていい」と、彼らしい遺言だった。でも、本心は参列してほしかったのかもしれない。高校のとき、心臓弁膜症の手術で彼は入院した。病院へ見舞いにいくのが少し遅れた。寂しがり屋の彼はベッドの上で激しく憤っていた。  葬儀の日、帯広までの飛行機に空

          あのかわいい女性(ひと)はいずこ……?

          とりわけ腹立つ曇り空

           桜が満開や散りはじめのころだったら、この連日の鬱陶しい曇り空を「花曇り」と呼んでも違和感はなかったろう。桜の花のころは雨が多かった。青葉の季節に変わると、連日の曇り空である。  季語に「花陰」ということばがあるそうだが、こう連日の曇り空だと、いいかげんうんざりして、ことばを楽しむ気力さえ失せていく。まして、今年は膝に痛みがある。  はじめてだと思っていた。しかし、家に膝のサポーターがあるところを見ると、10年ばかり前、膝に痛みを生じて苦しんだらしい。そんな記憶が朦朧とよ

          とりわけ腹立つ曇り空

          65年後にふたたび読みたいのは

           とうとう土曜日になってしまった。先週の土曜日、「無謀かな?」と思いつつ、いつもの2.5倍の距離を歩き、痛みはじめていた左膝の痛みをさらにひどくしてしまった。半分は坂道の登り降りだったから負荷もそれなりにあったのだろう。  医者からは1日5,000歩の散歩を義務づけられている。だが、もう1週間、ほとんど歩いていない。幸い(?)、二度の定期検診があったので足の痛みに耐えながら、食料品の買い出しをかねて病院やクリニックまで歩いた。痛みは、冬以来ずっと苦しめられてきた持病の腰痛の

          65年後にふたたび読みたいのは

          これこそローカライズさ

           1992年だった。台湾やタイ王国の出版社から、ぼくが勤めていた会社で出版している漫画作品を現地語に翻訳して出版したいという申し込みが相次いだ。韓国や香港、インドネシアの出版社もやってきた。いわゆる“海賊版”と称される現地語版の出版社である。  台湾以外は左右が逆になる。日本のオリジナル版のように右開きではなく、現地の習慣にしたがって左開きにするためだ。登場人物はみんな左利きになる。これを「逆版」と呼んでいた。  ところが、もっとすごい改変がほどこされていた。ストーリーの

          これこそローカライズさ

          ヘルメットが必要なのは歩行者じゃないか

           先週からの左膝の痛みがひどくて、医者までの10分足らずの距離をゆっくり、そして、自転車やクルマに気をつけて慎重に歩いた。  クルマは横断歩道の手前で立ち止まれば気をつけられる。怖いのは自転車である。前からくる自転車はいいのだが、音もなく背後に迫り、ギリギリで追い抜いていくヤツはどうにもならない。かすかに触れていくヤツさえいる。  自転車も車道を走るのは怖いのだろう、歩道の歩行者の間をすり抜けていく。かなりイキがった自転車が、けっこうなスピードで走り抜けていったりする。信

          ヘルメットが必要なのは歩行者じゃないか

          本当の悪は闇のなかで

           だいぶ昔だが、新宿の近くでバラバラ事件が発生した。殺され、切断された胴体が路上に放置されていたのである。テレビに出てきた作家は、経歴が警察官僚かどうかは知らないが、ともかく警察OBだった。彼が犯人像を推理した。残虐性から、ズバリ、「中国人の犯罪だ」と断言した。  なるほど、日本離れした猟奇犯罪だった。当時、新宿とその周辺では、中国人の犯罪組織同士の抗争事件が頻発していた。青龍刀が用いられるなど、手口がきわめて残虐だった。したがって、この推理にも信憑性があった。ぼくも「なる

          本当の悪は闇のなかで

          罪な宣告だぜ

           喜ぶべきなのかどうか戸惑っている。過酷な検査の結果が間違っていたのではないか、と——。きょうはパーキンソン病の検診日だった。5年ばかり前、地元の大学病院で検査をしてもらい、パーキンソン病と診断さた。  イヤな医者だった。「92歳くらいになったら、足がふるえて歩けなくなる。もっとも、年取ってふるえるのか、病気でふるえるのかわからないけどね」と解説してくれた。20年後にパーキンソンの症状が出るのがわかるのだろうか。  彼が毎月の検診をしてくれるわけではなかったが、定期検診と

          罪な宣告だぜ

          雑誌のデジタル版を買ったうしろめたさ

           どうしても手に入れたい漫画雑誌のデジタル版を買った。この雑誌を求めて、おととい、近所のコンビニをまわり、痛みはじめた左の膝をさらに痛めた。あすは、またコンビニめぐりをするつもりでいたが、待ちきれずにデジタル版を買ったわけである。  現役時代、さんざん漫画のデジタル化を進めてきたというのに、わるいことをしたかのような後味がある。ぼくが社内でデジタル化を推進できたのは、経営者たちの理解があり、また、ぼくが相応に齢を食っていたからだった。社内で白眼視されていたころの居心地のわる

          雑誌のデジタル版を買ったうしろめたさ

          老いた桑の木の役目

           近所の小学校では3年生が学習の一環として蚕(かいこ)を、飼っているという。蚕たちの餌となる桑の葉は、地元の農家からもらっているそうだ。なるほど、近所の畑では道路の境界になる場所に桑の木が残っている。  明治維新での開国とともに、蚕による絹布は日本の輸出産業の主力でもあった。いまでも、テレビの紀行番組で地方が紹介されるとき、天井裏で蚕を飼っていた痕跡などが紹介される。“女工哀史”にまつわる話は、かぎりなく語られてきた。哀しい話は日本中にある。  いま、昔ながらに蚕の繭から

          老いた桑の木の役目