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幼い頃は母親の不安が分からなくて。

「しょうごみたいな子」

母親は幼いころから私が成人するまで
発達障がい当事者の人たちのことをそう呼んでいました。

「うなずく」か「首を振る」しかできなかった幼い頃

「あなたは、何を考えているのか分からんのよ!
母に言われました。

「男ならちゃんと話せ!」 父に言われました。

「ちゃんとしてや!」 姉に言われました。

「「うん」か「いいえ」じゃ分からんのよ!」
兄に言われました。

幼いわたしは、家族が怖かったです。
今では、
みんながなぜそう反応していたか分かります。

自分の意志を人に伝えないと
コミュニケーションが難しいし、
みんなも私とコミュニケーション取りたいのに、
上手に取れないことが
もどかしかったんだと思います。

だけど、わたしは自分の意見がないから、
「うなずく」もしくは「首を振る」
どちらかのリアクションを
取ることしかできませんでした。

理学療法士さんと言語聴覚士さん

私は、幼いころから高校生になるまで、
療育センターでリハビリを受けていました。

療育センターとは、
子ども視点の私からすると、
「習い事を病院でする」という認識でした。

詳しくはこちら

療育センターでは、私は、個別リハビリと団体リハビリを受けていました。

個別リハビリでは、理学療法士のK先生、言語聴覚士のN先生に
それぞれリハビリをしてもらっていました。

K先生には運動のリハビリをしてもらっていました。
私は無意識に体に力が入ってしまうので、
それを和らぐマッサージからはじまって、
キャッチボール、なわとび、自転車など
自分の苦手な協調運動のリハビリをしていました。

K先生は体育の先生や家族が諦めてしまうところも
一緒に諦めずリハビリをしてくれました。

N先生には発音のリハビリをしてもらっていました。
私は、舌の運動が苦手で、
「な」と「ら」
「に」と「り」
「は」と「わ」の発音が使い分けることが難しく、
「ライオン」のら?「なす」のら?と
人に聞くほど言語がわかりませんでした

なので、正しい発音で話せるように
ストローを使ったリハビリや舌の運動をして、
リハビリをしていました。
N先生と話せると思って
毎回嬉しくルンルン気分で
リハビリを受けていました。

家族の前では、
上手に話すことはできなかったけど、
先生たちの前では緊張せず話していました。

前に出られなかった団体リハビリ

毎月第一金曜日は、団体リハビリの日でした。

色んなレクリエーション(工作や運動)をして、
お友達とコミュニケーションを取れるようになろう
というのが団体リハビリの目的でした。

私は、
最初はなかなか前に出ることができませんでした。
やりたい!と活発に前に出られる子が
多かったからです。
「みんなの意思を邪魔したらいけない」
と考えてしまい、前にでることが
できませんでした。

団体リハビリは、
毎月自分を担当してくれる先生が変わります
私の担当の先生は、
新人研修の先生が担当することが増えました。
先生たちに「なんで?」って聞くと

「しょうごくんは安心できるから、一人でまかせられるから」

と言ってくれました。
当時は、その言葉の意味が分かりませんでした。

「できない」を共有され続けた日常生活

家庭では「褒められる」経験がありませんでした。

微細運動・・・
お箸や文字を書くなど細かな作業を行うことが苦手

粗大運動・・・
自転車やなわとびなどの別の体の部位を動かすことが苦手

その特性の影響で日常的に
母に怒られることが多かったです。
「文字が汚い!」「マナーが悪い!」
と毎日毎日言われていました。
「私の仕事を増やさないで!」
とも母に怒られたこともありました。

「あ、僕はダメな子なんだと」
日頃から思うようになりました。

なので、
「しょうごくんは安心できるから、一人でまかせられるから」

と褒められても褒められていると気づけませんでした。

褒められるが分かった日

中学生や高校生になると忙しくなってリハビリに行く機会が減りました。

高校生になって久々に団体リハビリを受けました。
その日はティーボールをしました。

そのリハビリでは、
積極的に前に出ることができました。
そして、K先生に
「しょうごくん!いいね!積極的になって!」と褒めてもらえました。

団体リハビリの最中は
自分が個別リハビリを受け持っている子には
他の先生とも
コミュニケーションをとってほしいので、
あまり話しかけてもらえないのですが。
K先生が珍しく声を掛けてくれました。

K先生に褒めてもらったことがとても嬉しく今でも覚えています。

しょうごみたいな子と言わせないために

母にしょうごみたいな子と言わせてしまっていました。
母は、私のことがわからない不安から発していたと思います。
なにができて、なにが好きで、なにになりたくて、
私の育児は大変だったと思います。

それは、私のような発達障害当事者の子育てだけではないと思います。
家族だから言葉にしなくても分かる。そんなことはありません。
コミュニケーションをとってお互いが「対等」になれるように。

最近、母は、
「色んなことをチャレンジしてすごいね!」って褒めてくれます。
なかなかまだ「ありがとう」って言えないけど。
褒められることを受け入れられるようになりたいです。

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