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「ビッグクランチ」とORIGINAL LOVE

岡村詩野さんの音楽ライター講座を受け始めてから「MUSIC MAGAZINE」を定期購読始めていて今月号の巻頭表紙特集はなんとオリジナル・ラブだった。昨年秋に素敵なオフィシャル・カヴァー・アルバムがリリースされて年末にオールタイム・ベストもリリースされていた30周年イヤーということもあったのだが「MUSIC MAGAZINE」が特集するのはちょっと意外な感じがした。昨年夏に映画フィッシュマンズの公式ツイッターで30周年ツアーファイナルが告知されていて急に思い立って最終日のZepp SAPPOROに弾丸ツアーで見に行ったりもしたこともあり自分の中でオリジナル・ラブ・ブームが来てしまい、「真夜中のドア」についての考証をまとめるつもりだったのだがそれは次回に回すことにして、1年あまりの短い期間だった田島貴男さんと一緒に仕事をしたことを思い出しながら書いてみたい。


オリジナル・ラブの存在は1990年代に音楽業界に関わるものにはとても大きい。このnoteでも何度か言及しているフィッシュマンズの初代ディレクター、Y本君はヴァージン・ジャパン発足当初、オリジナル・ラブの獲得を目指していてそれが叶わなかったが、東芝EMIからデビューしたオリジナル・ラブはバンド・ブームの終わりとそれから代わるように沸き起こってきた渋谷系ブームの先頭を走るような存在だった。ギュウギュウ詰めの渋谷クアトロ4DAYSとかを見に行ったなあ、ものすごくかっこよかった。FMラジオのプロモーションをやっている頃に東芝EMIのプロモーターがNACK5の夜中の番組に「たった今、解禁OKになりました!」と発売前の『月の裏で会いましょう』のオープンリール(!)を飛び込みで持ってきててオンエアしてもらっていて、なんてかっこいい曲だろうと思ったものだ。その後も大型タイアップを次々にキメてヒット曲を確実にものにしステップアップしていくオリジナル・ラブのかっこよさは当時の邦楽シーンの中でも格別な存在感を放っていたし有る種、憧れのようなものがあった。それから数年後に仕事で実際にオリジナル・ラブと関わる日が来ることになるとは人生わからないものだ。

その後オリジナル・ラブはレーベルを移籍しさらに自分もそのレーベルに拾われることになる。当初は大阪で洋楽の宣伝をやっていたのはキング・クリムゾンの時にも書いたが、オリジナル・ラブのコンサートは必ず見せてもらっていたし田島さんが大阪にキャンペーンに来た時も担当外なのに会食の場に参加させてもらう機会がなどもあった。東京に戻ってからはテレビプロモーションでスタジオライブ中継なども担当したのはちょうど「XL」や「変身セット」をリリースした1999年のころだったか。そして翌年2000年に宣伝担当としてついにオリジナル・ラブを担当することになる。


自分が担当したのは僅か「ビッグクランチ」1枚だけである。あの頃は最も難解なアルバムなんて言われていたけど近年、収録楽曲のクオリティの高さが評価されつつ有るようで、ミュージック・マガジンのディスクレビューでも「攻めまくるコンポーザーである田島の資質がのびのびと発揮された大傑作」と評されている。そうなのだ。田島貴男は天才的なコンポーザーでありオモシロイと思った音楽をすべて自分の体内に取り込みぐちゃぐちゃなアマルガムにして吐き出す事ができる恐るべき体質を兼ね備えた超人的音楽家である。それはほんの僅かでは有るが田島氏と仕事をした一年ですごくそのことがよく分かった。そして今回久しぶりに家にあった「ビッグクランチ」のCDのクレジットを改めて確認してびっくりしたのが半分近くのトラックでドラムを叩いていたのは欣ちゃんこと茂木欣一氏だった。ここでもフィッシュマンズとの邂逅があったとは!

「ビッグクランチ」はスピーディーな8ビートな楽曲が多い印象だったのでてっきりリリース後のツアーにも同行した元ブンブンサテライツのドラマー、平井直樹氏が叩いていると思っていた。平井氏の参加も間違いないのだが「地球独楽」「セックスサファリ問題OK」「アポトーシス」「地球独楽リプライズ」というアルバムの中核を担う楽曲は欣ちゃんが叩いていた。ミックスがフィッシュマンズと違うので分からなかったが重いキックの感じは初期フィッシュマンズでも聴けたブリティッシュ・ロック・スタイルで叩く時の欣ちゃんのそれである。それにしても「地球独楽」、大サビの壮大さといい田島さん自身が手掛ける全音階ストリングスといいエコロジカルな歌詞といい素晴らしい楽曲だと思う。最近のソロライブでも披露しているということでまたこの曲を聴きたいと思う。

そう「ビッグクランチ」は20年経った今にとても響くアルバムだと思う。2010年以降の何でも取り込むUSのオルタナティブなヒップホップやR&Bのアーティストたちが作り出している音楽にとても近いものを感じて不思議な感覚を受ける。20年前「ビッグクランチ」のプロモーションのために田島氏と全国あちこちにキャンペーンに一緒に行き、初期のオリジナル・ラブの活動やピチカート・ファイブ時代の苦労話なんかもよく教えてくれたものだった。またその時によく会話したのが当時流行っていたUKのビッグビートやプログレッシヴ・ロックの話も良くした。シド・バレットの頃のピンク・フロイドやドイツのCANの話とかが当時の田島氏の興味だったな。

しかし何故「ビッグクランチ」のセッションに欣ちゃんを呼んだのだろう。「ビッグクランチ」のアルバム・アートディレクターも山本ムーグさんだったし、ギターもレッドカーテン時代の盟友である木暮晋也氏も参加し、オリジナル・ラブ史上最もフィッシュマンズ的な要素が存在している。とは言え出てくる音は全く違うものだったが。田島さんからはフィッシュマンズの話は一言も出なかったと思うし自分もフィッシュマンズの仕事をしていた話はしていなかったと思うが今思うと不思議な接点が感じられるのはこじつけすぎだろうか。その後、田島さんと欣ちゃんは東京スカパラダイスオーケストラの方で「めくれたオレンジ」というヒット曲を放つことになる。そう言えばムーグさんが監修したアルバム表1カバーのあのぶっ飛ぶテーブルクロス引き(ちゃぶ台がえし?)のカットは実際に田島さんがやったものでCG合成ではない。確か撮影は一瞬で終わったと思う。



色々書き連ねてみたがオリジナル・ラブのサウンドはどんどん変化していくため本当に一言では言えない。去年観た30周年ツアーはリズムセクションが久しぶりの小松秀行=佐野康夫コンビだったので90年代中期の頃を思い出したがそれでもまた新しいオリジナル・ラブになっていた。自分が関わった2000年前後のオリジナル・ラブは「イレブン・グラフィティ」から導入した田島さんのProTools路線の完成形の時期であったとも言える。ターンテーブリストとして参加し共同プロデューサーとしても名を連ねているL?K?Oのアブストラクトなターンテーブルプレイもすごかった。ライブでは次から次へと繰り出す彼のカットアッププレイはアナログサンプラーみたいな感じでキーボード奏者がいない「ビッグクランチツアー」で空間を支配するサウンドを奏でていた。あのツアーのライブもまた見たいものだ。そしてこのツアーが終わったあと会社の組織の変更があり自分は再び洋楽の部署に呼ばれることになりオリジナル・ラブの宣伝担当を離れることになる。オリジナル・ラブ移籍からずっと担当していた制作ディレクターも同じタイミングで異動になりスタッフが一新したことになる。次作「ムーンストーン」が原点回帰的な作品に向かうのもそんなことからであったと思う。

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