やってみなきゃ分からない

20代の前半、サラリーマンをしていた頃、会社の人たちと飲みに行った時に言ったことがある。

「俺、貧乏してみたいんです」

自分としては本気だったんだけど、周りは不思議なものを見るような目をしていた。

自伝を読むのが好きだったから、「真に強い人は貧乏を経験している人」だと思っていた。裕福ではない家で育ったけど、普通に甘やかされて育ったから、貧乏を経験している人の持つハングリーさへの憧れがあった。

子供時代から27歳で会社を辞めるまでのこと」で書いたけど、27歳の時、人生のすべてだと思っていた仕事を辞めざるをえなくなった。試行錯誤の日々とお金のない暮らしが始まった。会社を辞めた時の貯金額3万円。

人生の向かうべき方向を見失ってたから、自分の興味のあることを片っ端から試した。お金をかけずにやれること、お金をもらいながら興味も埋めることができること、そういうことをずっと探してやり続けた。仕事としてやったことは大抵自分が精神的に自爆して長続きしなかった。仕事場の人とうまくやれないことが多かった。仕事を辞めれば辞めるほど「自分はなんてダメな人間なんだ」という気持ちが募っていった。

仕事もなく、お金もなく、自己嫌悪しか感じない日々を過ごしていた時、どういうわけだかあるアイデアが頭に浮かんだ。

「借金したら追い込まれて思わぬパワーが出るんじゃないか?僕に足りないのはハングリーさだ。借金をしよう」

借金をする上で思ったことがあった。借金をするからには何か自分の身になることのために借金したい。自分が背負う借金を無駄には使えない。

そうして選んだのが「ナポレオンヒル・プログラム」という自己啓発教材セットの購入だった。150万円。分厚い紙の教材とCDが大量に詰め込まれたセット。

結論から言うとこの商品はクソだ。絶対に買ってはいけない。ナポレオンヒルというのは昔いたアメリカ人の名前。人生をかけて自己啓発という分野の原点を作った人だ。あの人の考え方には同意する。ただこのプログラムはクソだ。150万円の価値はない。不必要にゴージャズなケース。巨大なだけで中身スッカスカのテキストホルダー。ナポレオンヒルの築き上げた思想に寄生したクズ組織の商品だ。ナポレンヒルの書いた「思考は現実化する」を買って100回音読すれば十分同じ効果があると思う。150万円の価値はない。

中身は最低で悔しかったが、150万円払っているのでCDだけは何度も聞いた。大きな成果を生む上でのチームの大切さ、達成したいことに時間とお金を集中することの意味、継続することの大切さ、自分に足りなかった考え方をここで得ることができたのはいいことだったと思う。

毎月5万円を返済する日々が始まった。

月に10万も稼げない男が毎月5万円の返済。まともに稼ぐ必要があった。サラリーマンは自分には向かないと思っていたから、ローンを返済するために割のいいバイトをする必要があった。

お金を稼ぐためだけに働きたくなかったので、知識や経験を得ながらお金ももらえることはないかと思った時、大学時代に学費を稼ぎながら勉強していた先輩がホテルの配膳のバイトは時給が高くて助かるという話をしていたことを思い出した。

ホテルといえばサービス業の頂点じゃないか。それにしよう。

安易な決断だった。今でもそうだが僕の決断はいつも安易だ。塾考せずに動く。

たった月に5万円の借金だったけど、3年間払い続ける日々は拷問のようだった。ホテルの配膳の仕事というのはサービス業の頂点ではなかったのだ。日本を代表する国際ホテルだったから、高い志を持ってサービスするホテルマンには多く会ったし感銘を受けたが、宴会場で働く人たちの多くは高い志は持っていなかった。ここは妥協しちゃダメだろっていうことが多々あって最初の頃驚いてばかりいた。この金額もらってるのにこのクオリティはないだろうと思ったが、どんどん自分も飲み込まれていった。現場の人たちにとっては妥協でもなんでもなく、やれと言われたから疑問も持たずにやるし、お金がもらえるからやるだけのことだった。「お前は考えなくていいんだ!言われたことだけやれ!」と言われたこともある。低い志に合わせざるをえないことが辛かったが、抵抗するだけのエネルギーは当時の僕にはなかったし、お金を返すことができなくなると困るので仕事も変えられなかった。

自分が貧乏だったなと思える期間は約10年続いた。貧乏とは心の状態だ。心の飢え。お金がなくて不安で仕方のない状態を貧乏というのだと思う。

お金がなかった時で一番印象に残っているのは、自動販売機の前で立ち尽くしたことだろう。

ジュースが買いたい。120円。このお金を払ったらまたお金が減る。その分また苦しみながら働かなきゃいけない。そんなことを考えたまま駅から自宅に帰る途中の自販機の前で立ち尽くし、結局買えなかった。

小学生の時よりも100円が重かった。

そしてお金がないことで一番苦しかったのは、本が買えないことだった。今思えば図書館に行けばいいと思うんだけど、当時の僕は本屋でビジネス書の新刊を読むのが大好きだったから、それが思いのままにできないのが辛かった。

新刊を買うという習慣はなくなったけど、今は思う。お金がなくても本を買うお金は惜しんじゃいけない。自分が活き活きと生きる上での生命線。人によって生命線となるアイテムは違うだろう。お酒の人もいるだろうし、恋愛の人もいるだろうし、CDだったり旅行だったりすることもあると思う。そういう部分のお金を惜しむと生きる力が弱くなる。稼ぐ力も弱くなる。結果買えなくなる。お金がなくてもそういう「自分にとって本当に大切なもの」は買わなきゃダメだ。

実は今でも収入は驚くほど低い。多分普通の大人が聞いたら引いてしまうほど低い。でも妻と子供と3人で暮らせている。

なぜか?

お金がなくても生きていく知恵を身につけたからだ。

お金がない暮らしを続けることで、本当に必要なものと必要ないものがはっきり見えるようになった。

本当に必要なものを買うためのお金が足りないと苦しいが、本当に必要ではないものを買うお金がないところで苦しくないことを知ったのだ。

低い水準であっても本当に必要な水準のお金があれば欠乏感はないし、不安も苦しさもないのだ。

大切なのは苦しみながら働かないことだ。苦しかったら苦しくないように調整することだ。苦しくない仕事を見つけ、それを苦しくない程度にやり、必要な金額を稼ぐことなのだ。

その金額が少なければ少ないほどより自由に生きることができる。

若かりし日に僕が言った「俺、貧乏してみたいんです」は正解だった。

もう2度とやりたくないけど、経験して本当に良かった。


もし今の自分に何か足りないものがあると思っているなら貧乏してみるのも手かもしれないよ。

僕はもう2度とやりたくないけどね。

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