人は本当はいつでも一瞬で変われる

悩みの消し方」という本を読んでいます。

ブッダの教えの難解な部分を、ヨーロッパの哲学者サルトルの考え方を使って紐解いていくという面白いスタイルの本です。

著者の方は仏教学者でもお坊さんでもなく、一般の方のようですが、多くの文献を読んだ結果理解したことを、わかりやすく説明してくれます。

文章のうまさにハッとします。


ブッダの考え方といえば、無常・無我・空などの概念があります。

今まで無常というのは理解できたんですが、無我・空という概念はさっぱり理解できませんでした。

すべてのものは変わり続ける。恒久的なものなど何もない。というのが無常だということはわかります。だからものや考え、人などの固執しちゃいけないよ。変わり続けるものに固執すると苦しむこともあるよ。というのが無常の考えだと思っています。

しかし無我とはなんぞや?です。

自分自身が存在しない?え?ここにいるんですけど?自分の考えなどというものは存在しない?え、この頭の中に出てくるこれはなんなの?

空とはなんぞや?です。

すべてのものは空っぽ?どういうこと?


この本を読んでいて、ちょっと分かってきたのは、無常も無我も空もひとつながりのストーリーなんだなってことです。

自分という空っぽの存在の中では、猛烈な勢いで色々な考えや経験が流れ込んでいる。でもそのスピードは早すぎて、ある!と思った瞬間にはない。掴もうと思うとないけど、実際にはある。

経験や記憶といったものも、あると思い込んでいる状態が続いているだけで、実際は猛烈な勢いで変わり続けている。だから本当は存在しないのです。

そういう意味で「あるけどない、ないけどある」という意味不明な説明になるのでしょう。

アドラー哲学の「過去は存在しない」に通じるものを感じますね。


そしてすごく大切だなと思ったのは、人も物もあらゆるものは空であることを理解すると、固執した考えや慢心する気持ちがどんどんなくなっていく感じがするんです。

よく「私はこういう人間だ」って僕らは自分を自分で分析するけど、実際にはそれは猛烈な勢いで中身の変わり続ける自分の中身を、一生懸命留めようとしている状態。無駄な努力をして固執して、わざわざ自分の可能性を狭めているとも言えるのです。

本当は自分を一瞬にして変えることだって可能なのに、それを余計な苦しみを生みながら「自分はこうだ!こうじゃなきゃいけない!」と無理やり留めているだけなのかもしれないのです。


この空という概念はものすごいパラダイム変換を起こしますね。

自分はこうだと思っていたものがまるっきりなくなってしまうのですから。

しかしそこに生まれる感覚はとても自由。囚われがなくとても楽です。

人は本当はいつでも一瞬で変われる。

空であることを理解すれば。

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