小中和哉監督「single8」を巡る対話 黒沢清監督の言葉など

4月1日 ユーロスペースで小中和哉監督「single8」を見て、その感想をFacebookに書いた折、小中監督から直接リプライを貰って、黒沢清監督の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」に出演した時のことなどを話した。小中監督は「single8」で撮ったような8ミリ映画を高校時代に撮ったのち、立教大学へ進学、黒沢清監督とも交流があったが、そこからの話が面白かったのでノートに対談形式に纏めました。

小中 和哉「『ドレミファ娘』の音楽部員は麻生うさぎさんと絡みました。あの映画でちゃんと絡みをやったのは僕と麻生うさぎさんのあのシーンだけですよね。にっかつから納品拒否されるのも無理ないかと。しかもあのカット、何故か逆回転撮影しているんですよね。麻生うさぎさんの髪の毛の動き方を見ると分かります。ほとんどの人は気づかないと思いますが」

佐々木 浩久「そうそう!あれ逆回転でしたよね!セックスシーンは人と人の距離がない。肉体同士が近すぎるから、極めて反活劇的であるという論理で、だから映画的に撮るのは難しい。そこで、逆回転にしてみよう。みたいな感じだったのかなと、うる覚えですが」

小中 『ドレミファ娘』の逆回転にそんな意味が込められていたとは初めて知りました!学生時代、黒沢さんは僕に「小中の映画は商業映画のコピーで比べると足りないと欠点が目立ってしまう。素人しか出せないとかロケ場所が学校に限られるとか自主映画のハンデを逆に強みにして商業映画に勝つ戦略を立てないと」とアドバイスしてくれました。黒沢さんの8ミリ作品は確かにそういう戦略の上に成り立っていましたね。
『Single8』はそんな黒沢さんに出会う前の僕を描きました。高校映研をクラス参加にしたり、『スターウォーズ』に触発されてSF映画を作ったのは高校1年だったのを3年に変えたりといろいろアレンジしましたが、8ミリ映画の内容、作る過程などはほぼ実話です」

佐々木「single8」は、原初的な映画への欲望がノスタルジックではなく、彼らにとってどうしようもなく必要ななにかを掴もうともがく姿を描いた青春映画の傑作だと思います。主人公とヒロインの距離と挫折感がとてもよかったです。黒沢さんの「小中の映画は商業映画のコピーで比べると足りないと欠点が目立ってしまう~」という言葉はドレミファ娘の頃にもよく言っていたような気がします。それがアメリカ映画、『激突』や『ジョーズ』を日本でもやれる。と、「奴らは今夜もやってきた」を撮り「スウイートホーム」へ向けて自主映画の監督がいかにして商業映画を撮るのかを、実践して行ったのか、そして挫折していったかを考えると、とても深い意味のある言葉に思えます」
小中「 黒沢さんの言葉は自主映画がどう商業映画に勝つのか、ということであると同時に、日本映画がどうアメリカ映画に勝つのか、ということでもあったのですね!確かに「小中の映画はニューヨークで撮ればもっと良いのにとか思ってしまう。それではダメだ」みたいなことも言ってました。そう考えると、『スイートホーム』の後、うちの兄の『邪願霊』を評価して実録風ホラー、Jホラーへと傾倒していく道筋とも合ってきますね。
佐々木さんの言葉で色々見えてきました。またお会いしてゆっくりお話したいです」
佐々木 「そう、まさにそうなんです。黒沢さんはしきりと「映画というのはアメリカ映画のことを『映画』というのであり、それ以外に日本映画とかフランス映画というジャンルがあるにすぎないが、その中で映画を撮っていかなくてはいけない」みたいなことを言っていました」



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