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青春ドロップキック【6.或る雨の日-後編-】

昨日の期待を裏切って、朝目が覚めるとすでに雨が降っていた。

天気予報はあてにならないな。そんなことを思いながら部屋を出て、階段を下りていく。リビングに着くと、父が朝食の味噌汁を啜っていた。

「今日は車乗るなら早めに準備しろー、いつもより早く出るぞ」

「はーい」

間の抜けた返事をして、食卓に着く。朝食を早々に食べ終わった父は僕と入れ替わるように席を立つ。

テレビから天気予報が流れてくる。昨日の時点では「曇り」だったはずなのに、いつの間にか今日の天気は「雨」と塗り替えられていた。

「嫌な空だなあ」

外を見ると、灰色の重い空が広がっている。微かに雨音が聴こえてきた。


教室には誰もいなかった。例によって、一番乗りのようだ。いつものように教室の電気をつけ、席に座る。

「おはよう」

いつも通り、百田さんが十分ほど後にやってきた。いつも通りのあいさつを交わし、いつも通りの静かな時間。雨が木々の葉を打ち、リズミカルな音色を奏でる。

「おっす」

しばらくすると、梶田さんが教室に入ってきた。

「お、今日は原野っちより早いのか。遅刻かな?」

冗談めいて梶田さんが言って初めて気がついた。いつも百田さんの次に原野さんが来るのだが、今日はまだ来ていない。ちなみに原野さんは自転車で通学している。

「確かに珍しいけどたまにあったじゃん」

英単語帳をいったん閉じて僕は言う。それもそうか、と納得したのか梶田さんはさっさと席に向かっていった。

続々とクラスメイトが登校してくる。しばらくすると横井君が入ってきた。そういえば彼も今日は登校が遅い。しかもなんだか元気がない様子だ。いつも騒がしい彼がクラスメイトに話しかけることもなく、自分の席に座り、頭を伏せている。

変だな、と思いながら単語帳を眺めていたら、朝補習のチャイムが鳴った。

原野さんは、結局姿を見せなかった。

原野さんの不在に横井君の異変、どこか変な雰囲気が漂いながらも、教師が号令を促すと、いつも通りの授業風景に戻っていく。

雨は止む気配を見せなかった。灰色の重い空が山の向こうまで続いていた。


ホームルームの時間になり、担任が教室に入ってくる。日直が号令をかけ、その後担任が手短に連絡事項を言っていくのだが、今日は違った。

「えー…ああ、今日は原野が来ていないと思うが、今朝連絡があって、お父様が亡くなられたそうです。なのでしばらく学校はお休みになります。授業でのプリントとか誰か原野の分まで取っておくようにしておいて下さい」



「心筋梗塞らしい。原野とお母さんが家に帰ってきたら倒れてたんだって。すぐ119番したけど、間に合わんかった」

放課後に僕と百田さん、梶田さんは横井君の机に集まっていた。

その日の教室はいつもより静まり返っているような気がして、特に一番クラスの中で騒がしい横井君がずっと黙っていたので、僕らは話を聞きに行くのもためらわれた。ようやく話を聞けたのは、放課後になってからだった。

「そうなんだ…」

そういったきり百田さんは口をつぐむ。顔を見ると目が潤んでいた。

「お通夜とか、行った方がいいのかな」

梶田さんがつぶやく。語尾が震えていた。

「俺は昔からお父さんも知ってるから参列するけど、お前らは知り合いってわけじゃないから。先生もお通夜のこと言ってないし、うん…どうだろう、わからんわ。」

横井君がそういうと、また沈黙の時間が続く。親とはいえ、身近な人の不幸があることは17,8年生きた程度ではあまり経験がないことで、誰もが戸惑っていた。

「うん、じゃあ私先生に聞いてくるわ」

と言って、梶田さんが教室を出ていく。慌てて僕も梶田さんの後を追う。


「先生!」

担任は職員室に入る直前だった。半ば開けたドアを閉め、僕たちに向かい合う。

「どうした、梶田…あぁ」

どうやら後から現れた僕と百田さん(僕の後から来たようだ)を見て何か察したようだった。

「先生、あの、私たち原野さんのお父さんのお通夜に参列したいんですが、大大丈夫ですか…?」

「ああ…君達は原野と仲良かったもんなあ。…原野も今悲しいと思うから、ぜひ行って慰めてあげてな。場所は○○ホールで□時から。詳しくは横井に聞けばわかるよ。ああ、雨降ってるけど傘差し運転は駄目だぞ。それかバスを使いなさい」

ありがとうございます、と一礼をして、僕らは教室へ戻る。廊下の窓から見える雨は、勢いを増していた。

「行っていいって。横井と一緒に行くわ」

教室に残っていた横井君に戻ってきた梶田さんが言う。

「そっか。でも俺向こうの手伝いするって言ってるし、早めにいくから時間通りに行けばいいよ」

そういうと鞄を持ち、まるで目を合わせないようにすっ、と僕らの横を通り過ぎ、教室から出ていった。

「…うちらで行こ」

そうするしかなかった。呼び止めることは、出来なかった。



バスの関係もあり、ホールには予定の時刻の直前に着いた。3人は小走りでホールに駆け込み、受付を済ませた。

ホールに入る時、原野さんを見つけた。ご家族と一緒に参列者にお礼をしている。先生方も来ているようだ。横井君も見かけたが、前の座席に座っていた。僕らはどうすればよいかわからず、とりあえず後方の椅子に並んで座った。

まもなくお坊さんが現れ、式典が始まった。


慰めるって、何を言えばいいのだろう。

僕が何を言ったって、悲しみを消すことは出来ない。


視界の奥に小さく見える原野さんを見て、自問自答する。原野さんは涙を見せることもなく、ただずっと膝の上に組んだ手を見ている。


司会の方のアナウンスで、参列者の焼香が始まる。原野さんたち遺族の方は立ち上がり、列に待つ参列者に一礼を繰り返していた。

終盤になり、僕たちの座席が案内される。立ち上がり、列に並んだ。

順番が近づき、それに伴い徐々に原野さんの姿が近づく。

どんな顔をすればいいのだろう。

遺族の前にたどり着く。ここではじめて原野さんは僕の存在に気付いたようだ。一瞬目が合うも、やがて顔を伏せてお礼をする。

結局僕も何も言葉をかけられず一礼し、焼香台へ向かっていった。



1時間ほどで式は終わった。僕と百田さん、梶田さんはホールの中で居場所を失っていた。原野家の方は親族への挨拶で忙しそうだし、かといってそのまま帰るわけにもいかないのだ。

一言でも原野さんを励ましたい。慰めたい。

皆そんな思いだった。

10分ほど、いや、30分以上待っていたかもしれない。

一通り挨拶がひと段落したようで、その時、僕は原野さんと目が合った。

僕は他の2人と目を合わせ、原野さんの所へ向かう。

原野さんもこちらに向かい、通路の真ん中で向かい合った。

通路は細く、他の参列者も通るので、列になって一人ずつ話す。僕は最後だった。

「……」

百田さん、続いて梶田さんが話す。何を言っているかは聞き取れなかった。


何を話せばいい?

どうすれば元気になってくれる?

「あの…」

何も思い浮かばなかった。圧倒的な無力感だった。

原野さんの気持ちを考えるほどに、どんな言葉も偽善に塗れてるような気がして。

言葉が出てこなかった。




「来てくれて、ありがと」



笑っていた。

泣きながら、困ったような顔で、それでも笑っていた。



僕は、もうこらえることが出来なかった。寄せては返す言葉が涙となって目から溢れてきた。上を向き、必死で息を整える。

目線を戻すと、原野さんは下を向いていた。肩が震えている。

そうだ、今は悲しんでいい。無理して笑わなくていい。そして、また―


「今は無理だと思うけど、また…また原野さんが笑顔で学校に来るの、待ってるから」

そう言って、肩を叩いた。声が震えていた。ちゃんと伝わっていないかもしれない。

「……うん」

長い髪の奥、か細い声で原野さんはそう言った。


もう一度軽く肩をぽん、と叩き、出口へ向かう。

百田さんと梶田さん、そして横井君も待っていた。

「帰ろう」


ホールを出ると、相変わらず灰色の空が広がり、雨が地面を叩いていた。

4人は殆ど話すことなく、解散した。


ひとり、傘を差しながら僕は自問自答していた。


もっとかけるべき言葉があったんじゃないか?

何かしてあげられることがあったんじゃないか?


納得できるような答えを、僕は持ち合わせていなかった。


あの困ったような、涙をこらえた笑顔が、脳裏に焼き付いている。

いつもみんなに明るくて、優しくて、笑っていたあの子が、こんな時でも笑っていた。涙を浮かべて。そんな顔をさせてしまった。


傘を伝った滴が、地面で小さい波紋を作る。

ぽた、ぽたと滴が落ちる。


――雨の日は好きじゃない。灰色で覆われた空を見ると、何か良くないことが降りかかる前兆のようで、何となく気分が晴れない。


だから、雨は嫌いだ。


【登場人物】
・僕(私):主人公(hinote)
・百田さん:3年で同じクラスメイトになる。原野さんと梶田さんと仲良し。
・原野さん:仲の良いクラスメイト。百田さんと同じ予備校に通う。まさかの展開に。
・梶田さん:仲の良いクラスメイト。僕と同じ予備校に通う。
・横井くん:仲の良いクラスメイト。原野さんと幼馴染。

この話に登場する人物はすべてモチーフがいます(リアル友達)が、名前は変えております。小説風に体裁を整えておりますので、多少の脚色はありますが、基本的なところはノンフィクションです。

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