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第二話 インド1

チェンナイは南インドの中心都市の一つです。インドの他の街と同じように、やはりこの街も喧騒と猥雑さに満ちています。インド4大都市にも挙げられるほど大きなこの街が、デリーやコルカタとなんとなく違う雰囲気なのは、イスラムの影響をあまり受けていないからだとか、北インドとは文化が異なるからだとか、公用語がそもそも別の言語だからといった、幾つかの大まかな理由があるそうです。

広大な街の東側は海に面していて、その一角に、僕の流れ着いた旧市街ジョージ・タウンがあります。
17世紀頃、かの東インド会社はこの地に商館と砦を建てたのが始まりだそうで、チェンナイ湾を出入りするイギリスの商船を相手にインド商人の作った街が、このジョージ・タウンです。
なるほど街のあちこちに植民地時代の面影を残した赤煉瓦の古い建物を見ることができます。バザールという巨大な商店エリアがいくつもあり、いかにも仕事の取材をテストするのにふさわしい感じがします。チェンナイの中でも一番庶民的な雰囲気を持つと言われるこの街にたどり着いたのは、本当にただの偶然からでした。

チェンナイ空港を出て、何の予備知識も入れていない僕は、ひとまず電車で市内に向かうことにしました。タクシーやオート三輪などに乗れば、何かしらのドラマがすぐにでも起こるのですが、今回は取材に徹すると意気込んで来たのです。いえ、正直に言えば「インド旅のゴタゴタはもうごめんなのだ」という腰の引けた思いが電車を選択させただけなのでした。

午後2時頃、人影のあまりないホームで電車を待つこと10分。電光掲示板の時刻通りにやってきたその電車は、滑り込むようにホームに入りました。メトロと呼ばれるその電車の外観はとても近代的で、車両の中に入ってみると、その内装の真新しさに、さらに驚かされてしまいます。

「インドはとにかく手強い」と警戒を厳としていた僕は拍子抜けすると同時に、隙の無い清潔さに、なんとなく都会の冷たさも感じたのです。それは都会人が発する、取り付く島もないよそよそしさが、取材を難しくさせるのではないかという危惧でした。シートに腰掛けた僕は、窓の外に広がる初めての街並をぼんやりと眺めながら、「それでもなんとかなるだろう」と楽観していた心を少しずつ曇らせていったのです。一筋縄ではいかないという覚悟を、改めて急に求められたようでもありました。

車両のドア上部には日本でもお馴染みのモニターが付いていて、広告と順番に停車駅の案内が流れます。そこに一際大きく出ていた駅名、エグモア駅。郊外と中心地を結ぶ鉄道が接続しているこの駅は、いかにも旅行者の拠点としての機能を備えているようでした。僕はひとまずこの駅で降りることに決めました。

駅を出ると、クラクションをバンバン鳴らす車が行き交う通りを小走りで渡ります。昼食を取るために適当な、というよりは小綺麗そうなレストランを狙って飛び込みました。エアコンが効いた、ちょっと高くつきそうな店でしたが、なんといっても初日です。これくらいは許されてもいいだろうと言い訳をしつつ、白いワイシャツにベストを着た年配のボーイに案内されたテーブルにつきました。他に客のいない暗い店内はなんとなく怖かったのです。出されたメニューを恐る恐る開くと、全く法外なことはなく、カレーとペプシでおよそ850円ほど。知らず警戒モードに戻っていた自分に多少呆れつつ、食事をしながらスマホで宿を探しました。

海外に出るときはいつも料金フィルターをかけて、最安のラインで探すのですが、今回はライフワークを懸けた取材です。評価と写真を見比べながらいくらか良さそうな宿を予約しました。そこはパンディアンという名のホテルで、後で知ったのですが、あの『地球の歩き方』にも「ゆったりくつろげる中級ホテル」と紹介されている宿でした。アプリに表示された決済金額は1泊791円、高くはありません。評判も悪そうには見えなかったのです。

ただ、チェックイン後、部屋はそれなりに見えたのですが、翌朝から咳が出始め、困ったことに体調を崩してしまったのです。エアコンからポタポタと水が滴っていて、なかなか室温も湿度も下がらず、生臭い風だけが送られてきます。スタッフの対応もいい加減。これはまずいと思い、備え付けの食堂で朝食を済ませると、アプリで近場の宿を予約してさっそく移ったのでした。

しかし、移動した先のホステルの個室でも、部屋の至る所に、もちろん浴室にもですが、もはや隠れることも知らないといった堂々のゴキブリの群れ。幻滅し、結局、即座に引き払って割高の宿に移るという顛末。取材用の機材荷物を一度も解くことがないまま、宿選びに丸々3日と体力だけを浪費してしまったのでした。

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