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引退ブログ #10 森本陸

こんにちは。
広島大学体育会フットサル部4年の森本陸です。

もう引退ブログを書く番が回ってきました。

今回のブログは四年間の集大成、ということで面白く、かっこいいブログを書きたいなと思っていたのですが、どうやら取り繕って書き上げることは性に合っていないそうで、全く手が進みません。ブログの提出期限を10日も過ぎてしまいました。なので今回も自分らしく、率直に、本音で書いていこうと思います。拙く読みづらいかもしれませんが、最後まで読んでいただけると幸いです。

まず個人的に、四年間部活をしてきて、本当に良かったなと感じています。本当に。
このフットサル部に入って、競技面での学び、というよりは人間性?社交性?のような面での学びが多かったように思います。

三年生以上の人は知っていると思いますが、自分は学年が上がるにつれて部活内での人柄や態度が変わりました。わかりやすい例でいえば、「怖い」「尖っている」という印象を持たれづらくなったり、練習中に他人を鼓舞するようになりました。

印象が良くなったことに関しては、留学経験も少しは関係していると思いますが、やはり副主将という組織を引っ張る立場になり、チームの雰囲気をよくするためには、「怖がらせる」より「盛り上げる」方が大事だと感じたことが大きかったです。
もちろん最初は、練習中に誰よりも声を出すことも、意見がぶつかった時に優しく意見を聞いてあげることも、苦手な後輩に壁を作らないことも、しょうもないミスをした後輩に対して切り替えるよう鼓舞することも、すごいすごい無理して行っていました。今でこそ、練習中や試合中に声を出して盛り上げるキャラになりましたが、昔はずっと静かで、文句を言う時にしか声を出していませんでした。一つ上、二つ上、四つ上のキャプテン達が「お前もこのしんどさがわかる時が来るから」と飲み会の場で気持ちよさそうに語っていたことをよく思い出して、「自分もやらな」と恥ずかしさを我慢して声を出していました。
でも気が付くと、自分の中では自然にめちゃくちゃ声が出るようになっていたし、インカレの中国大会では、これまでにないくらい声を出し、その二日後に声が出ない自分と悠大の二人で合コンに行ったこともいい思い出です(笑)。

チームのために、を考えて行動していく中で、自分が苦手なことに挑戦し、改善する重要性を学びました。

また人間的な学び?に関していえば、家族に支えてもらうことのありがたさも学びました。
一人暮らしをしていく中で、親という存在のありがたさを実感し、同時にフットサルで頑張っているところを見せて恩返ししないとな、と恥ずかしがり屋の自分でもそう思えるようになりました。
昔は親が応援に来ることに対して、それほど肯定的ではありませんでしたが、今では自分の頑張りを見て喜んでくれる親がいることに感謝し、「てかこの先の人生で、親に頑張っているところを見せる機会とかないんじゃないか?」とか考えて、親を試合に誘うようになりました。「親の応援が恥ずかしい」と思うことが恥ずかしいと思えるように成長しました。

競技的な成長は、あまりなかったように感じます。膝と股関節を怪我し、昔のように思いっきりボールを蹴ることが出来なくなったし、また体が重くなりすぎて動けなくなったという声もありました(笑)。
実際に、3年の時の全国ではサッカー部と対戦し、4年のインカレは中国大会も全国大会も含めてじっとハーフに引かれたチームと対戦し、自分たちが四年間週に五回、ずっと練習してきた「フットサル」はあまりできないまま引退することになりました。そんなこともあって入部当初から成長を感じたことはあまりありませんでした。
「頑張りが足りなかったなー」「試合勝てていたらなー」と思うと同時に、「俺ら何練習してきたんやろ」ってわからなくなりました。まあしょうがないですが。

そういったことも踏まえて、四年間って本当に一瞬だったなと改めて思います。

最後に、今いろいろ考えているであろう後輩たちにメッセージです。
最近よく「誰かが休部した」とか「誰かが辞めそう」といったことを耳にします。モチベーションが上がらないから、とか遊びたいとか。
自分はそれを聞いた時に「途中でやめるとか無責任すぎるやろ」という気持ちと「まあ確かにきついよな」という二つの気持ちになりました。
やっぱり技術面、精神面でチームを支えている、チームに必要不可欠な三年生たちがチームを離れるとなると、「無責任なんじゃないか」と思いました。誰かが辞めるからやめる人や、遊びたいからやめる人達はどうでもいいです。

でも確かに自分もきつすぎてモチベが上がらなくて辞めたいと思ったことはたくさんありました。特に、二年生が自分たちより試合に出続けていた時は納得できなくて、モチベーションを保つのが難しかったのを覚えています。「なんで練習さぼるやつが試合長く出てんねん」「紅白戦負けたことないやろ」「試合記録表みたら俺らの方がスコアいいやん」「亜土さんが二年生好きなだけやろ」とか思い、ずっともやもやしていました。他の三年生が自分たちの評価についてどう思っているかはわかりませんが、遅刻したりさぼったりするやつが試合に出ることに関しては、よく文句をこぼしていました。
そういうことを考えると、「三年生が辞めるのも無理はないのかな」、「自分が三年やったらやめてるな」と思いました。

スタッフに対しての文句ではありません(笑)
今はスタッフがいなかったら全国大会まで行けてないし、ここまで勝てるチームにしたのは確実にスタッフの努力があったからこそだなと思っています。感謝です。

主体性ではなく、勝敗にこだわるスタイルだから、こういうことが起こるのは仕方がないことです。

こうやって書いてきて、自分でも何が言いたいのかわかりません。わからないことだらけです(笑)。
でも、一つだけ、自分と同期は「四年間続けてきてよかった」と悔いなく思っていることだけはわかっています。やりきったからこそ学ぶことがある、感動するものがある、と胸を張って言えます。
チームを引っ張ってきた立場で、一番応援されている立場で、「決めたら勝ち」のPKを外した時の感情を後輩たちにも味わってほしいです(笑)。

あと、後輩がやめたと聞くと、少し寂しい気持ちになるので、続けて活躍し続けてくれたらとてもうれしいです。

あと普段言えない、悠大とこうきへの感謝もついでに書きます。
代が変わってから一年間、よく「四年があかん」「四年で負けてる」って三人で叱られて、お互い愚痴をこぼして、ご飯を食べながら励ましあってきました。
試合に出られないのに、自分より雑な扱いされているのに、はるかに自分より頑張っている二人がいたからこそ、自分の尻を叩いて頑張ることができました。
「四年は」って言わさないためにも自分が頑張ろう、と勝手に二人のことも背負っていたけど、結局何の活躍もできなくて申し訳ない。
二人がいたから頑張れたし、楽しかったです。ありがとう。

あとマネージャーの二人もありがとう!自分が無理やり連れてきた形やったけど、いつも見ていて楽しいって言ってくれて嬉しかった。すぐ負けてごめん楽しかったです。

最後に本当に自分に関わってくれた先輩、同期、後輩、スタッフ、全員に感謝です。
まだ今になっても東北大戦の映像を見返して、悔しい気持ちになるし、パソコンの壁紙も東北大戦にして、今度は卒論の提出期限と戦う自分に喝を入れています。
全国大会の舞台に立ち、あんなに悔しい、良い思い出を作れたのは皆のおかげです。
皆と素晴らしい時間を共有出来て自分は幸せでした。ありがとうございます。
ずっと応援しています。

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