マイケル・ポランニー「暗黙知の次元」の要点

昨日学習したマイケル・ポランニー「暗黙知の次元」の要点は、次のようだと思う。

私たちが外部世界について経験的に知るとき、私たちの身体を外部世界に参加させて、身体で知る。こうした知は非言語的であり、言葉にするのが難しい。

ポランニーが言葉を尽くして言っていることは、もっと複雑精妙なのだが、上は要点のみである。これは誠に私たちの体験と合致する。Google には、

「暗黙知(あんもくち)とは、経験や勘に基づく知識で、簡単に言葉で説明できない知識のことです。経験知とも呼ばれます。」

とあり、職人の技など、経験的・身体的に獲得され、言葉で説明するのが難しい知のことを言う、といった内容の記述もあった。おぼろげな記憶だが、ポランニーに、職人が道具を使って仕事をするとき、職人は道具に身体を注入させて作業をする、といった表現があったように思う。そうした経験が重要である、と。単純な例だが、私たちがスコップで地面を掘るときに、私たちはスコップの刃先にまで意識を行き渡らさせて作業する場合などがある。
職人の例は効果的だが、私たちが日常的に経験しているところでもある。
ところで、西洋における知とは、言葉、ロゴスに関わる知であるから、「言葉にするのが難しい知」と言うポランニーの立脚点は、西洋流の伝統的な知のあり方に逆行するものでもあると思う。

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