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山 吹

写真と俳句 その三十八

 

 ツツジ


 躑躅(つつじ)は、見る人が足を止めるほど美しいということで、「躑(たちもとおる)」と「躅(ふむ)」という、「立ち止まる」「佇む」という意味の漢字があてがわれています。
 上の写真は、クルメツツジですが、品種が多く、素人には判別しにくいですね。「朝霞」かな?と思いました。その他、似ている品種は、「玉の輿 」「高蒔絵」「大御代」「薄雲」です。

 ツツジとサツキの違い

 ツツジとサツキの違いは以下です。
花の大きさ:ツツジ 6cm、サツキ 4cm(やや小さめ)
おしべの数:ツツジ 5本以上、サツキ 5本
花の咲き方:ツツジ 一斉に咲く、サツキ 一花一花 咲く
開花時期:ツツジ 4~5月 新葉が出てから開花、サツキ 5~6月 新葉の前に開花
葉の大きさと特徴:ツツジ 4~5cm 表面に柔毛、サツキ 2~2.5cmつやあり


 ヤマブキ


小川沿いの山吹の写真です。風に揺られて気持ちよさそう。

 さて、山吹について
 古くは「山振」で、細くてしなやかな枝が、風に振られて、揺れて動いている様子の名だそうです。
 万葉集でも詠まれている山吹は、日本と中国が原産。はっとする色は、どこに咲いていても気付かされ、不思議なほどに、無条件で好きな花です。いつ見ても心躍る花、そんな山吹について、お話しします。

 ご存知の方も多いかとは思いますが、太田道灌の伝説について。

  七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき

 小倉の山荘に住んでいました頃、雨が降った日、蓑を借りる人がいましたので、山吹の枝を折って取らせました。その人はわけもわからずに通り過ぎまして翌日、(蓑を借りようとしたのに)山吹を折って渡された意味がわからなかったということを言って寄こしてきましたので、返事として詠んで送った歌

 七重八重に(あでやかに)花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのがふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。

 若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅した。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという有名な話が『常山紀談』に載る。

レファレンス協同データベースから抜粋
提供館:宮城県図書館
『後拾遺和歌集新釈 下巻』笠間書院
藤原通俊撰『後拾遺和歌集』和泉書院


 このお話は、庶民に好まれて、講談や落語にもなっているようです。
 道灌が鷹狩に出たというこの伝説の地は、幾つもあるようですが、その一つに、都電荒川線の「面影橋」駅近くの地があります。新宿区には「山吹町」という住所もあります。
 私はその辺りに住んでいたことがありますが、散歩にもいい道ですので、このエピソードなどを思いながら、神田川沿いを歩かれるのも楽しいかと思います。道灌の時代ではありませんが、江戸時代の様子を、以下の浮世絵からご覧ください。橋、神社、お寺と、現在とほぼ変わらない位置関係がわかります。


  高田姿見のはし俤の橋砂利場 歌川広重(初代)

高田姿見のはし俤の橋砂利場絵師:歌川広重(初代)出版者:魚栄刊行年:安政4収載資料名:江戸百景出典:錦絵でたのしむ江戸の名所https://www.ndl.go.jp/landmarks/index.html
高田姿見のはし俤の橋砂利場
絵師:歌川広重(初代)
出版者:魚栄
刊行:安政4(1857)年
収載資料名:江戸百景
出典:錦絵でたのしむ江戸の名所
https://www.ndl.go.jp/landmarks/index.html

 上部の地図の「山吹の里の碑」は、昔、この碑の200メートル北にある「南蔵院」の入口にあったようです。この広重の描いた浮世絵は、江戸時代の様子がよくわかります。手前の大きな橋は、俤(おもかげ)の橋で、下に流れるのが井之頭から流れている神田上水です。その奥の黄色の部分が稲田で氷川田圃、川岸から砂利が取れたので、砂利場になっています。この道は、鎌倉街道で、人の往来も多かったのでしょう。
 ちょうど中央右寄りの黄色の屋根が現在の「高田氷川神社」です。昔は「山吹の里氷川宮」といわれていました。その道を挟んだ右が南蔵院です。

湾岸沿いの山吹の写真です。こちらも水辺で、風に振られて、生き生きとしています。海風相手でも強いです。


「笈の小文」の「ほろほろと・・・」の句のページです。1709年に刊行されています。流麗な文字です。
「笈の小文」
松尾芭蕉
ARC古典籍ポータルデータベース
国文学研究資料館 所蔵
1709年刊
https://www.nijl.ac.jp/

  ほろほろと 山吹ちるか 瀧乃音 芭蕉

(前から五行目)

ほろほろと 山吹は 儚く散っていくのか
私もそのようなものだ
瀧の音だけが響く
吸い込まれるようだ

筆者解釈
「古今集[1]」の「よしの川・・・」の歌が書かれているページの写真です。朱の文字で書き込みがたくさんされています。こちらも空間を活かした素晴らしい文字です。
「古今集[1]」
紀友則 [他]
刊年不明
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
(保護期間満了)

  よしの川 岸の山吹 ふく風に そこのかげさへ うつろひにけり 紀貫之


(右頁最後)

吉野川の岸辺に咲く山吹の花が、風に吹かれている
そのため川底に映っていた花びらの影さえも
流れていってしまった

筆者訳


 芭蕉の句は、上記の紀貫之の歌を受けたものです。上部「笈の小文」画像のこの句の右(前から四行目)に「西河」とあります。西河は、吉野川周辺の地名で、芭蕉は、その場所の滝を訪れ、詠みました。(奈良県吉野郡川上村西河)
 吉野といえば桜ですが、山吹も皆に親しまれていたようです。


  山振之立儀足山清水酌尒雖行道之白鳴 高市皇子


〔紀曰、七年戊寅夏四月丁亥朔癸巳、十市皇女卒然病發薨於宮中〕

万葉集 巻二 一五八

山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
〔紀に曰はく「七年戊寅の夏四月丁亥の朔の癸巳、十市皇女卒然に病発りて宮の中に薨りましき」といへり。〕

山吹の花が美しく飾っている山の清水を汲みに行こうと思うけれど、道がわからないことよ。
〔日本書紀にいうことには「天武七年四月七日に十市皇女は突然発病して宮中で没した」という〕

万葉百科より

黄色の山吹のようにうるわしい貴女よ
あなたのように美しい山吹が咲き飾っているその山にある
黄泉の国へ行って
清水を汲み
あなたの姿を何とか見ようと思うけれども
なにしろそこは幽冥界なので
そこへ行く道がわからないのですよ

筆者解釈
参考「万葉百科」「万葉集講義 巻第二」


「万葉集講義 巻第二」 山田孝雄(やまだ よしお) 著 宝文館 出版 昭和14年 刊 (保護期間満了) 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp
「万葉集講義 巻第二」
山田孝雄(やまだ よしお) 著
宝文館 出版
昭和14年刊
(保護期間満了)
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp


 万葉集から山吹の歌を一首。

 高市皇子(たけちのみこ)は、異母妹の十市皇女(とおちのひめみこ)を想って、この歌を詠みました。
 十市皇女は、天武天皇の第一皇女。母は額田王。大友皇子(弘文天皇)の正妃です。父と夫との争いで、心身ともに疲弊してしまいました。上記「天武七年四月七日に十市皇女は突然発病して宮中で没した」とありますが、自ら命を絶ったともいわれています。その死を悼んで詠まれたものです。

上部「万葉集講義 巻第二」画像の右頁二行目から

その葬所は山にして清水あり、その辺に山吹多く咲てありしことなるべきが、それと共に、そこは至りうべき地にして道の知られぬ所なるべき筈なり。その至らむ道だに知られぬ所には誰も行きうる所にあらねば、山吹の咲けりや清水のありやも見るに由なき筈にあらずや。しかるに諸家これらの矛盾をとかむともせず、ただをさなく思ひたまふが悲しき也といへる考の一語にて事を濟したりと思へるは如何。

ここに橘守部は別に説を立てて曰く「是迄の三句、(山清水までなり)は後世にいはゆる據字のよみかたにて、黄泉と書く字を黄なる泉として、其黄色を山吹花の写るに持せ、山清水を泉になして、酌とは只水の縁語のみ黄泉迄尋ね行かまほしかれど、幽冥の事なれば道のしられぬとのたまふなり」といへり。

(中略)

即ち、折から咲き満てる山吹の花のうるはしきに皇女をたとへ、その色の黄なるに因みて黄泉といふ漢語をば文字のままに分解して「山吹の立ちよそひたる山清水」といひたる縁に「酌に行かめど」といひたるまでにして、黄泉(ヨモツクニ)に行きて、我妹子のうるはしき姿を見むとは思へども幽冥界にして、そのゆくべき道途を知らずと嘆かれたるなり。上三句は技巧を弄せられたる歌なれど、しかも真情のこもりたる歌なり。

万葉集講義 巻第二より


 紀貫之や松尾芭蕉も、この万葉集の歌を知っていたはず。
「うつろひ」「ちる」は、この世の儚さを含んでいるように思います。
 山吹の花は、黄泉の国に通ずるものとして、捉えられていたのかもしれません。

山吹の写真です。八重の山吹がブーケのように集まって、咲き誇っています。春らしい黄色です。

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山吹に 目を奪はれし 太古より 広在
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こちらは八重の山吹がまだ蕾の写真です。こちらもブーケ状に並んでいて、このまま部屋に飾ることもできそうです。



ネモフィラの写真です。園芸用の名前として、瑠璃唐草と呼ばれています。淡いブルーのお花です。1年草で、アメリカのオレゴン州中部からカリフォルニア州南部の原産。高さは20から25cm程度。かわいらしい春の花です。群れで咲くので、絨毯のように咲いている場所もあります。
瑠璃唐草
ルリカラクサ
ネモフィラ・メンジェシー
baby blue eyes
1年草で、アメリカのオレゴン州中部からカリフォルニア州南部 原産とされています。



 花水木

花水木の写真です。たくさんの花をつけています。四枚の白い花びら(花弁)のようなものは、総苞片で葉が変形した部分です。 真ん中のものが頭状花序で、小さな花の集合体となります。緑から黄色に変わっています。
花水木
ハナミズキ
四枚の白い花びら(花弁)のようなものは、総苞片で葉が変形した部分です
中央が頭状花序で、小さな花の集合体となります
緑から黄色に変わっています

 ハナミズキは、明治45年(1912年)(大正4年(1915年)の記載もある)に、東京市長がワシントンにサクラを贈り、その返礼として東京に贈られた樹木で、アメリカヤマボウシとも呼ばれますが、花が目立つミズキ科の樹木なので、ハナミズキと言う名前がつけられたそうです。
 ワシントンでは、楽しそうにお花見をされている姿が見られます。海外の方々も、私たちと同じように、桜を愛でる、その様子を拝見すると、とても嬉しくなります。

『ハナミズキ』には、「当時、東京市の技師だった井下清の記録によれば、一部は日比谷公園に、また一部は羽根沢苗圃や野方苗圃に植えられました。」と書かれており、引用箇所以外にも贈られた木の数や植えられた場所について詳細に記載されている。また、小石川植物園で育っていた原木の1本は、憲政記念館尾崎メモリアルホールに展示されていると写真つきで紹介されている。

『「桜と日本人」ノート』には、「ハナミズキが桜の返礼として東京市に寄贈されたのは大正四年(一九一五)。それが日比谷公園など十六か所に植えられて、日本人にも親しまれるようになりました。」と記載されている。

レファレンス協同データベース
提供館:岡山県立図書館
伊丹 清『ハナミズキ』 日本放送出版協会
安藤 潔『「桜と日本人」ノート』 文芸社

 山法師

 山で見かける「山法師」は、この花によく似ていますが、日本原産で、自生しています。
 ヤマボウシの名前は、中央の球形の花序を「僧侶の頭」に、総苞片を「白色の頭巾」に見立てて、「比叡山延暦寺の山法師」になぞらえたものといわれているそうです。

 しかし、延暦寺の僧というと、屈強なイメージで、常緑性のあるヤマボウシではありますが、この清々しく繊細な植物に、どうしてこの名がつけられたのか、結びつきにくいですね。
 もしかすると最澄の姿を思い描いたのかもしれません。最澄の肖像画「伝教大師像」は、白くみえる頭巾*を被っています。

 十九歳頃に比叡山に入った最澄は、山で修行生活をおくり、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を降りないと誓われたそう。三年後には、「一乗止観院」、現在の「根本中堂」を創建しました。

 *(正確には頭巾とは呼ばない。後のことだと思われるが、縹色に染めた「縹帽子(はなだぼうし)」は、天台宗で一定の資格のある僧侶が着用した。)

 その時の願文は以下です。

  最澄の願文

 「私たちの住むこの迷いの世界は、ただ苦しみばかりで少しも心安らかなことなどない。(中略)人間として生れることは難しく、また生れたとしてもその身体ははかなく移ろいやすい。善き心というのはなかなか起し難いもので、起こしたとしてもすぐに忘れやすいもの。」
と、世の中の無常と人間のはかなさを自覚されました。

 そして、
「因なくして果を得、この処(ことわ)りあることなく、善なくして苦を免がる、この処りあることなし。」

 原因がないのに結果を得ることはできないように、善いことをしないで、苦しみを免れようとするのは道理ではありません。
自分のこれまでの行いをふり返ってみると、形ばかり受戒しただけで僧侶としての戒めを守っていない(無戒)にもかかわらず、生活に必要なものは何不自由なくあてがわれ、悟りの道には程遠い愚かなこの身は、きっと世間に恨まれることでしょう。

と因果の厳しさを述べ、だからこそ生きているときに善いことをする努力を惜しんではならないと考え、『願文』の中で五つの心願をたてられたのです。

比叡山延暦寺HPより
筆者加筆あり

  五つの心願

一つ、仏とほぼ同じぐらい清らかな身にならない限りは、人を導くことはしません。
二つ、真理を見極める心が養われない限りは、世俗の才芸には関わりを持ちません。
三つ、戒律をしっかり守れない限りは、施主からの布施は受けません。
四つ、空を悟ってとらわれのない心を体得できない限りは、世俗の生業ごとや人付き合いはいたしません。ただ、仏とほぼ同じぐらいの境地に至った場合は別である。
五つ、修行で得た功徳を自分だけのものにせず、一切衆生に施して、すべての人が無上の悟りを得られることを願います。

円融寺docより


 ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)とヤマボウシの違い

 ハナミズキとヤマボウシの違いは以下です。
原産:ハナミズキ 北アメリカ、ヤマボウシ 日本・中国・朝鮮
総苞片:ハナミズキ 先が凹む、ヤマボウシ先が尖る
開花時期:ハナミズキ 4~5月 葉の前か同時に開花、ヤマボウシ 6~7月 葉の展開後に開花
葉の大きさと特徴:ハナミズキ 10cm 葉裏は粉白色、ヤマボウシ 4~12cm フチが波打つ 葉裏はやや光沢


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#争い事で大切なモノをなくさないようにしたいものです

#さてもうすぐゴールデンウィークですね
#楽しい日々をお過ごしください
#仕事の方はお疲れさまです_ (私もGWも関係ございません)

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