96.イスラエルとの「因縁」
先日、イスラエルがシリアにあるイラン大使館を爆撃し、地域の緊張が一気に高まっている一件ですが、チュニジア人の中には「1985年の事件」を思い出した人が少なくなかったようです。
「木の脚作戦」
1985年10月1日に、イスラエルが当時チュニジアのハマム・シュットにあったPLO本部を爆撃し、パレスチナ人50名、チュニジア人18名が犠牲となった事件です。
同年、キプロスで発生したイスラエルへのテロに対する報復措置でしたが、PLOのアラファト議長(当時)は不在にしており無事でした。
日本には馴染みがありませんが、チュニジア人はまず知っています。
これも明確な国際法違反で、国連ではイスラエルの非難決議が出されているのですが、アメリカは棄権しました。今回の一件とよく似ています。
その後、1994年にPLO本部がパレスチナに戻ったこともあり、パレスチナ人の居住者は減少しました。
が、縁が薄くなったわけではなく、街中でデモは頻繁に行われていますし、パレスチナで負傷した人を病院で受け入れる等の間接的な支援を行っています。
チュニジア人は、戦火の拡大は望んでいませんが、同胞であるパレスチナ人への祈りと連帯を示しつつ、高い緊張感を持って日々状況を注視しています。
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