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映画:クライムズ・オブ・ザ・フューチャー

少し気になっていたヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥ出演のクライムズ・オブ・ザ・フューチャーを観る。

特に前評判などは見ずに、上記お二方を見にいくような気持ちで行くも、冒頭だけでもいかに監督デビッド・クローネンバーグが鬼才ということを理解し、そこからストーリーへの期待値が増していくのを感じた。

まずはその独特なる世界観の作り方、そしてその世界の中での秩序や理念が全くもって現実とはかけ離れていながらも、その世界観にこれといって違和感を与えない作りになっていることもあり、あっという間に話の中に引き込まれてしまった。

あらすじとして、近未来、人類は進化を遂げて肉体的な痛み、痛覚を失った。政府は人類の急速な進化を抑止しようとし、一般人は痛みの伴わない自傷に似た行為を新たな娯楽、エンターテイメントとして新たな価値を見出していた。

何度もいうが、世界観の表現が素晴らしい。冒頭でプラスチックを食べる息子やそれはもう人ではないと殺害してしまう母親。残虐なシーンであるとも言えるが、ここには一つの人間の進化の可能性が秘めていたのだった。その息子の体を使って人類の進化の可能性を世間に公表しようとする父親、そしてそんな父親の大義に関わることなった、痛みのない世界の中、麻酔なしで臓器を摘出するショーを行う、ソールとカプリース。彼らの出会いによって、息子、父親、さらにはソールたちもまた新たな進化に到達する。

見どころは人々のいきすぎた自傷やそれらを用いたアート表現。予告でもあったように身体中に耳をつけた人物や、自分の顔に傷をいれるものまで、人々のアートという概念がこの世界にはちゃんと確立されていた。それはまさに言ってしまえば現代のいきすぎた一部の「配信者」のように、自己表現のために自分を傷つけることも厭わず、またそれに刺激を受けて広がりを見せる。いわばこの世界の現代アートでもあった。

痛みのない彼らは自らを傷つけることによって、我々には想像のつかないような快楽を得て、また内臓を摘出するショーにおいても、その行為自体が「新しいセックス」だという表現すらあった。

そんな不思議、かつ少しでも不必要なものが混じって仕舞えば簡単に崩壊してしまいそうな世界観の中でも、ヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥ、2人の演者はしっかりと足場を固めて成立させていた。そんな世界に2時間どっぷりと浸からせてもらい、色々な意味での目の保養となった作品であった。

頻繁に繰り返し観たい!というものではないかもしれないが、ふとまた導きがあったときにいつでも見れるようにしておきたい、そんな映画でした。

パンフレット作られてるかなと思いながら、売店に言ってみたらとても素敵なデザインのパンフレットがあったので速攻で買いました。

まだ内容を読んでないので少し見当違いだったり、頭の中の熱量でそのまま文字にしてしまったりしているところもありますが、パンフレットをみてまたこの世界にのんびり浸かりたいと思います。

超個人的な話をすると、レア・セドゥの本当に美しいことよ…。

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