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【メンタル】「多分私は、思っている以上に自己中なんだと思う。」

※今回の記事について:私のメンタル、思考回路、考え方、ただそれをつらつらと。思っていることを書いているだけの記事だ。正直一貫性には欠けると思うが、「25歳私の思考回路の記録」として残したいと思う。

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「多分私は、思っている以上に自己中なんだと思う。」

「単純」「自由」「大胆」「奔放」
「野良猫」「悠々自適」「Go My Way」

これが私を表す7つの言葉。

目次

  1. 我が道を行く : 「自己中」は悪いこと?

  2. 「迷惑を掛けること」は悪いことなのか?

  3. シンプルに生きる。

  4. 八方美人?結構だ。

  5. 優しい?「肯定することの大切さ」

  6. 根本は人好きなのは変わらない。だだ、これからも自己中に生きていく。

我が道を行く : 「自己中」は悪いこと?

私の人生のテーマは「我が道を行く」だ。

小さい頃から何かに縛られて生きるのは嫌で、自分がしたい様に生きてきた。こうする!と決めたらとりあえず実行。好きな事なら没頭してやってきた。反対に、実行してみて違うなと思った事はある程度目標達成をし、得るものを得たらすぐ辞めた。

「わがまま。自己中。」

そう他人から思われ、悪く言われることもあったかもしれない。
だが私は自分の人生、生きたいように生きてるだけであって、他人がどうこう言おうがこれは私の人生。周りに振り回されず「自己中」に生きることを悪いことだとは思っていない。

こうして私の考えを提言していると、
「自己中でも他人に迷惑を掛けるのならダメだよ」
そう考える人も出てくるだろう。

そんな人は考えてみて欲しい。

「迷惑を掛けること」は悪いことなのか?

「迷惑を掛ける」と聞くと、深刻なトラブルをイメージする人が多いと思う。だが、「些細な助けも相手にとっては『迷惑』に値するかもしれない」と考えた事はないだろうか?

家に帰ったら親が料理してくれている、友人が消しゴムを拾ってくれる、恋人がプレゼントを買ってくれる、些細な日常の中で、無意識に「迷惑」を掛け、私たちは助けられている状況なのに。「困った時に誰かに助けてもらう事」は、同時に「迷惑を掛けている」ことと同じ事であって、そのことに気づき自覚を持った事はあるだろうか?そう考えると「人に迷惑を掛けて生きる」ことは、避けて通れないと思わないだろうか?

そんな瞬間を一つ一つ大切に受け止めて、「無意識に迷惑を掛ける自分もいる」と認知することが、私は大事だと思う。

一番大切な事は、「最低限のルールを守り、迷惑にならない迷惑を掛けること。」相手が不快な思いをしていることを理解し、必ず感謝の気持ちを伝える。そして二度と同じ過ちを犯さないよう学習していくことが必要なのだ。

「迷惑を掛けた、掛けられた」その感覚は人それぞれ違うから、徹底なんて目指さなくていい。でも、互いにハッピーに生きていく為の信条は、「お互い寛容に対処する心掛けを持って許し合って人生を送る」ことなのではないだろうか。

まとめると、「他人に迷惑を掛けない生き方」を試行錯誤するよりも、「迷惑は掛けあってもいい。幸福になるにはお互い様なのだから。」と柔軟に考え生きていくことが大切なのだと私は思っている。

シンプルに生きる。

「好き嫌いがハッキリしているところは無駄に素直だ」

自他ともに認める程、私は好き嫌いがハッキリしている。

一時期は「治した方がいいのだろうか」と葛藤した時期もあったが、自分の価値観にブレず、「誰にも媚びない心の強さ」と「プライドは持っていたい」と結論が出た時から、治すのを辞めた。私はシンプルに生きたい。

八方美人?結構だ。

基本的に人は好き。ただ、面倒なことが嫌いなだけ。
その場では他人の意見はまず聞いてみるが、私は私の考えがある。だからしっかり聞いても腑に落ちなかった意見はまるで心から納得・共感したかの様に相槌を打ち、その場をやり過ごす。これを八方美人と言う人もいるだろうが、それも結構だ。

そこでわざわざ討論する気も起きない。もちろん、共感した、心動かされた意見は素直に耳を傾け取り入れる姿勢が前提の上で行動はしているつもりではいる。

ただ私は「この人はこういう考えなんだ。なるほどね。」と心の中で思うだけであって、「価値観が違う」「意見合わない」と思っても、その人の価値観や意見はその人の経験の中で培われてきたものだから、それに対して無理に擦り合わせようとしても大変なだけだと思っている。そこに労力を使う気はサラサラ無い。

そこに労力を使うなら、私はもっと自分のことに労力を使いたい。

優しい?「肯定することの大切さ」

「良い意味でも悪い意味でも優しすぎるよ。」

正直、私は自分で優しいなんて思ったことは1ミリもない。
私みたいにそう言われたことのある人は、同じように一度はそう思ったことがあるはず。

本心では、「相当理不尽でなければなんでもいいだけ。」と思っている。

そんな思考になったのも、そこまで人に干渉・執着しなくなったからと言える。何があっても「それはその人の一部なんだ。」と肯定する様に思考が変わると、気持ちが一気に楽になった。

結局、そうやって当たり障りない対応を取ることで、「優しい」と思われている気がするが、「肯定することの大切さ」を分かっていれば、誰しもがそうなる気がすると思っている。

根本は人好きなのは変わらない。だだ、これからも自己中に生きていく。

私は根本、「人が好き」なことは変わらない。家族、親友、友人、初めて会う人etc....

「みんなハッピーで楽しければそれでいい。」

これが私の口癖。

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