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PK戦で湧いてきた力の正体|僕の高校サッカー選手権

○結論(お伝えしたいこと)

本記事でお伝えしたいことは、

「自分以外の誰かのために」を意識することの大切さ

です。

僕は小学校2年生(7歳)から社会人7年目(29歳)まで22年間サッカーをしてきました。

その期間で、たくさんの学びや教訓を得てきました。僕の人格はサッカーによって築かれたと言っても過言ではないかもしれません。

今回はその中でも「自分以外の誰かのために」をテーマにお話しできたらと思います。

具体的には、僕が経験した二つのPK戦を対比しながらお話ししてきます。

①PK戦(高校3年生)
 ◆第88回高校サッカー選手権広島県予選決勝
  広島皆実高校vs観音高校(1-1)
  PK戦負け(4-5) ✖️
②PK戦(高校2年生)
 ◆87回全国高校サッカー選手権大会1回戦
  広島皆実高校vs帝京高校(0-0)
  PK戦勝ち(5-4) ◯

○PK戦 対 広島観音高校
(高校3年生)2009/11/15

前回第87回大会の覇者として迎えた、高校生最後の大会、「冬の選手権」

僕たちは、広島県代表の一枠を争ってライバル「広島観音高校」と戦いました。

相手校は「僕たちに意地でも勝ちたい

その一方、僕たちも

ここでは絶対に終わる訳にはいかない」
そんな意地・プライドのぶつかりあいとなった試合でした。

スコアは1対1のまま、90分間そして延長戦でも決着がつかずPK戦へ。

絶対に負けたくない。
ここで負けてたまるかよ!!

当時僕は、そんな感情を抱いていたと記憶しています。

チームメイトからの期待、応援スタンドからの声援、観客、相手選手から伝わる覇気。そして、自分自身のプライド・・・

この状況下、PK戦が始まる前から、僕はこれまでに感じたことがないほどの非常に大きな重圧を感じていました。

体が硬直し、完全に浮き足立っていました。
(思い出すと今でも力んでしまうほどです)

(先行)広島皆実:○ ○ ○ ✖️
(後攻)広島観音:○
○ ○ ○

結果、一本も止められず、県決勝で敗退が確定。僕の高校サッカー生活が終わりました。

相手選手が目の前で大喜びする姿を見ても、まったくと言っていいほど負けたという実感が湧いてきませんでした。

※緑と黒の縦縞のユニフォーム:広島皆実、黄色のゴールキーパー:僕

○PK戦 対 帝京高校(高校2年生) 2008/12/31

時を約1年ほど戻して、、、

僕は東京の駒沢陸上競技場に立っていました。

厳しい広島県予選を勝ち抜き、迎えた全国大会初戦。相手は名門「帝京高校」

試合序盤から相手の激しいプレスと風下の環境下、終始劣勢に立たされました。

加えて、前半の早い段階で味方選手(副キャプテン)が決定機阻止(とても厳しい判定)によって退場処分(10対11)に。
その後も正直攻められっぱなしの印象でした。

それでも何とか、3年生中心としたDF陣の奮闘により80分間耐え抜き、スコア0-0でPK戦へ。

当時、僕はありがたいことに2年生ながらスタメンGKとして試合に出させてもらっていました。(当時僕以外のスタメンは全員3年生)

その一方で、受験に向けて部活動から勉学に専念したり、惜しくも登録選手に選ばれなかった高校3年生の先輩たちは、
【悔しい気持ちやメンバーに選ばれなかった複雑な思いを抱えながらも】
スタンドから声が枯れるほど必死に応援をし続けてくれていました。

※僕が所属していた皆実高校サッカー部は、部員が約60〜70名ほど。
大会に出場するに際して、登録できる選手は25名まで。

そんな先輩たちの姿を目に焼き付けた僕は、PK戦の前に

・メンバーに選ばれなかった3年生を必ず
 次の試合に連れて行く!
・3年生のために自分の持てる力を全て使う!

そう固く誓いました。

迎えたPK戦、

(先行)広島皆実:○ ○ ○ ✖️ ○ ○
(後攻)帝京高校:○
✖️ ○ ○ ○

6人目の相手キッカーとゴールキーパーの僕。止まれば勝ち。

普通なら力んだり、緊張する局面・・・

不思議なまでに体がリラックスしており、頭は集中し冴えていたように思います。

相手キッカーがボールをセットするため、手に持ったその瞬間に、

「ここに来る!!!」

はっきりとわかりました。

相手キッカーが蹴るであろう「シュートコース、ボールの軌道・スピード・回転」が直感的かつ確信的に。(長い間ゴールキーパーをやってきましたが、後にも先にもこの感覚は一度きりです)

そして、次の瞬間、駆け寄る先輩たちからの熱い抱擁を受けていました。

○自分以外の誰かのために

この二つ出来事は、相手選手・味方選手も違えば、会場・天候・時期も違います。したがって、両者を単純に比較することはできません。

ただ、両者において一番重要な違いは、僕が【誰のためにプレーをしたか】という点だと考えています。

①高校3年時のPK戦は、

・絶対に負けたくない。
 ここで負けてたまるかよ!!

という自分のプライドにかけて【自分のため】に戦いました。

その一方で、

②高校2年時のPK戦は、

・メンバーに選ばれなかった3年生を必ず
 次の試合に連れて行く!
・3年生のために自分の持てる力を全て使う!

と必死に応援してくれる【他人のため】に戦いました。

【自分のため】にプレーしたから負けた、【他人のため】にプレーしたから勝った、という単純なものではありませんし、サッカーをやるならまずは自分自身のためにプレーするのは当然のことです。

しかし、ここで僕が大切だと考えるのは、【他人のため】にプレーした方が自分自身の力が発揮された、という事実です。

翻って考えてみると、自分にとって

◆仕事をする
◆仕事で稼ぐ
◆勉強をする

はもちろん【自分のため】でもありますが、それに加えて【自分以外の誰かのため】を意識すると、より大きな成果を発揮できたように感じます。

要するに、【自分以外の誰かのため】にすることは、結局のところ【自分のため】になるということだと、思うのです。

読んでいただきありがとうございました。

神舎



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