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自分にとって大切なこと

人は人、自分は自分。
これはすごく大切にしているマインドです。

相手を思いやるとは?アドバイスとは?


その人との密度と信頼関係が必要だと思う。

例えば、

誰かにアドバイスしたくなった時。

それは、時に、自分が相手に求める理想像だったりする。一般的や普通というフィルター+自分の経験というフィルターを通して、意見しようとする。



でも、その2人の関係性が、あまり深い(お互いの違いを受け入れてる関係)ものではなかったり、大切にしている部分が違ったりしたらどうだろう?


一方で、めちゃくちゃ信頼していて、
話が聞きたい!と思っている関係だったらどうだろう?


両者を比べると、効き目はだいぶ変わってくると思う。

ましてや、僕がアドバイスを求めてもない時に、あまり密度+信頼度の濃くない相手から、ここを改善した方が君のためだ!と言われても、それはいきなりジャブを喰らったのと同じ衝撃を受け、反射的にジャブで返そうとしてしまう。


なので、求められてない発信やアドバイスは、いくら相手の為だとはいえ、言い出す前にそれを受け入れる準備が受け手側はできている状態なのかを考えなくてはいけない。



それが、僕の考える、

思いやり。相手の気持ちに寄り添うことだと思っている。


(ちなみに、挨拶や会話の流れ、ほうれん草に流儀がある人はいるが、それはその人が培ってきたものであって、他の人と同じではないことを自覚して欲しい。)

社会の中の自分



お互いのことをよく知らない、価値観も知らない人からのアドバイスは、僕自身の一部分を見ているに過ぎない。だから、意外と見当外れなことが多い。

(いつもどうしてよく僕のことを知ろうとせずに意見言ってくるなって思ってしまう)



この人はこういう人だ!と、自分の経験の中だけで、ラベリングし評価する。

その方が分かりやすいですし、そこからちょっとでも外れるものがあると、すぐ攻撃する。

僕の周りには、そういうコミュニケーションをとってくる方がたくさんいます。

ほんと自分らしく、生きづらいです😭

1人1人の成功の定義は違うのに。。
(自分が成功したからと言って、みんなにとっての成功者という理想像だと同じだと思わない方がいいと思ってます。)



もちろん、アドバイスをくれてる本人は、

君のためを思って言ってあげてるんだ!
私が若い頃辛かったのは、誰にも指摘されなかったからね。

と、いかにもいいことしたと思ってるかもしれない。


ただ、そんないいことばかりではない。
やっぱり、ここにも自分の経験というフィルターを通して意見をぶつけてきている。

それは、あなたが歩んできた人生の中で見えてきた答えであって、

僕の人生ではないし、これから歩むとは限らない。とはっきり言える。
(こんなにも世の中が変わり、定義が変わっているのに)



そして、もう1つわかった。

僕が大切にしているベクトルは、
社会であって、個人ではない。



冷酷に聞こえるかもしれないが、
社会にとってどうか?が行動基準になっているので、

はじめから大切にしている価値感や、時間の使い方。言葉の定義、そこに含まれる意味、経験も違う。


だから、そのアドバイスは本当に聞くべきなのかを、自分自身で考えられる土台を持ち、慎重に判断しなくてはいけない。


今はアドバイスをしてくる人に対し、
僕自身がそれをどう活かすか?のリテラシーが必要になってくると思う。


その判断基準がないと、自分のこともよく知らない大人たちに、もっとこうしたほうがいい!と言われて、改造人造人間にされされてしまう。(ドラゴンボールの人造人間でさえも、最後は自分の意思で戦ってた。そうすると、主人は怒り、いらないと切り捨てる。ほんと人間をなんだと思っているのだろうか?)


僕が目指す社会は、
人は人、自分は自分。が受容できて、支え合える社会。



みんな違って、みんないい。
1人1人の違いを知り、認め、
個性を伸ばしあえる社会をつくっていきたいと強く思う。

僕は、松尾洋輝だ。
それが誰でどんな人なのかはわからない。
常に変化していくものでもある気がするし、
他人の影響を受けたり、他人といることで輪郭があることも事実。

それだけ脆くもあり、一方で何にでもなれる可能性があるということだ。



そして、そこに自分の意思がある限り、
その大切にしてきた軸に炎を灯し続けたいと思う。


きっとそれが、松尾洋輝として生きることに繋がると信じてる。


誰かが勝手に自分のイメージと経験の中で作り上げた、虚像の松尾洋輝もたくさんいるが、僕はそれでもいいと思うし、

それを知った時、こんな自分もいるんだと、自分とは何か?を考えさせられるきっかけにもなる。

ほんとありがたい。


おかげで、思考や価値観、目指す社会が違うということも分かる。




僕は、ゴルフのレッスンを通して、
自らが輝きを取り戻してきた方々を数多く見てきた。

それは、否定し、指示したからではない。
その方の存在を承認しつづけただけだった。


まず、受け入れてあげること。
それが伝わってないのであれば、
伝わるまで努力する。

コミュニケーションの中で、怒りがあっても、それをすぐぶつけるだけでなく一回冷静になろう!と心掛けている。


お互いの関係をもう一度確認しよう!
自分のフィルターだけで見ていないか常に考えよう。

この言葉を使って、嫌な思いをさせないかな?を
考えよう。

とにかく、慎重に丁寧に。言葉を使おう。


と考えながら、これからも生きづらい社会の中を自分なりに歩んでいきたいと思う。


きっとどの世代にも、どんな人にも、自分の信じた道があり、正義がある。

それらが悪いわけでなく、対立したいわけでもない。それを綺麗なグラデーションにするために受容してほしいだけなのだ。




だから、僕はこうやって発信するし、
少しでも自分を慰めようとする。

そのやり方が、僕は文章を書くことだった。

最後に。


君のここが欠点だから人が離れるという意味は、

一方で、こう捉えることもできる。

君の欠点は分かった。それを一緒に補い合って行こう!ではなく、

君にそんな欠点があるのであれば、一緒にはいられない。


と。

そして、僕は前者の社会を望む。



もし、後者を望むのであれば、その言葉の定義や含まれる範囲も違うし、目指す社会も違う。
と言うだけの話であって、それを僕に押し付ける必要はない気がする。

人はみんな欠点を持っている。だけどもそれは、

他の人にはない個性

とも言える。はじめから、みんなと同じだと思っている時点で、世の中歪んでみえる。元々みんな違うのに。。



だからそこ、その個性を知り、
活かし、希望にも変えれる社会をつくりたいと思っている。

言い方ひとつ、見せ方ひとつで、
可能性を広げることができるし、イメージを変えることだってできる。

だからそこ、その器を変える技術。
ポジティブ、プラスに変える技術はこれからも大切にしていきたい。

ちなみに、ここにこうして書くことは、あくまで僕の心情であって、正解ではない。


思考の整理をしたいから書いている。


読んでて不愉快に思う方もいるかもしれない。
それはほんと申し訳ないし、その時は読むのをやめてもらって全く問題ない。


けど最後まで、読んでいただけたのであれば、
僕が今どんなことを考えているのか?
どんな人なのか?のイメージが少しでも伝わってしまっていることを願う。


改めて言いたいのは、僕は一人で生きてはいけないし、人と関わるのは好きだ。話すことも大好きだ。


なので、こんな欠点だらけの僕でもいいよって受け入れてくれる人は、ぜひぜひ絡んできてくれると嬉しいです😂


お互いを助け合い、より良い社会(違いを認めたい協力できる)を目指していきましょう✨


読んでいただきありがとうございました☺️


松尾洋輝

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