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中国軍事誌に掲載された「列島線突破」に関する中国空軍パイロットの手記(下)


中国の軍事雑誌「航空知識」誌2022年6月号において、中国空軍Tu-154MD偵察機のパイロットによる第一列島線〜西太平洋へ進出した際の回顧記事が掲載されました。その仮訳について、今回が最終回です。みなさんのご参考になれば幸いです。

上・中編はこちら


(以下、本文。中編から続く)

 空中におけるドラマは激しくなる一方だった。(日本の)戦闘機は2機編隊で、通常であれば、1機はやや離れたところで警戒を担当し、もう1機がこちらに接近してくる。接近してくる機体はいつも後上方からくるので、TCASが「降下」と警告してくる。これがTCASの「警戒機能」というわけだ。通常であれば、この警告を聞いたパイロットは、回避のための操縦指示に躊躇なく従わなければならない。しかし我々は今、通常とは異なる環境で飛行しておりTCASに従ってはいられない。"敵は幾万いようとも不動の信念揺るがず"、“心安らかに、動かざること山の如し”という心持ちでもって機体を安定させるのだ。

 この時、気持ちが乱れ機体が不安定ともなれば、重大な結果を招くことになるかもしれない。我々は騒ぎを起こすために飛行しているのではない。重大な任務を担って列島線を突破しているのである。その行動はすべて国際条約に合致したもので、心には自信がみなぎっている。片や相手側による要撃行動は彼らの内部規定に基づく一方的な行為に過ぎず、それには限界があるのだ。

 相手側の航空機が上下或いは左右どのように接近してくるのかはTCASにおいて正確に表現されるが、今回がTCASにとって少々難しいかもしれない。2機の航空機に挟撃され、1機は頭上、もう1機の航空機の下方という状況、TCASはどのように反応するのだろうか?TCASの設計者もこのような事態が発生するとは想定していなかったもしれない。このような状況においてもTCASは懸命に計算しているのがわかる。2機の戦闘機の占位がまだ安定していないとき、TCASはそれぞれの位置関係に応じて頻繁に回避警告を囁く。やや極端ともいえる状況だったが、それでもTCASのアルゴリズムが有効であることは見て取れた。やがて2機の戦闘機が占位を終え安定すると、TCASは沈黙を選択したようで警告を囁くのを止めた。


天国への門は塞がれたが、我々は前進する。

 この情景は我々の境遇と大いに関係があるといえないだろうか?
 いわゆる「列島線戦略」は、我々が動けないように手足を束縛しようとする障害なのだ。この苦境に直面して我々は如何にするべきか?まず一つの方法はTCASから学び、常に相手方とコミュニケーションをとり、意見を交換し、最終的には協調しコンセンサスを得ることである。もうひとつは、今我々がやっているように、どんな苦難や障害があろうとも辛抱しつつ強い決意をもって突破することだ。

 最初の宮古海峡の突破において、日本戦闘機の挟撃にさらされたことで、私たちは世の険悪さを改めて認識し、軍を強化し武を修練して敢然と勝利を目指すことを決意した。2回目の宮古海峡突破において、このような状況は大きく改善されることとなる。

 この時は、空中給油機と連携した戦闘機が我々をエスコートしたのだが、我々の戦闘機の出現に、日本戦闘機は遠くに隠れたままであった。私が空軍パイロットとして最後に参加した列島線突破訓練は、複数機種混成の大編隊による総合的な演練であった。我々は西太平洋と南シナ海双方における行動の連係を開始、宮古海峡付近には各種作戦機数十機がほぼ同時に進出した。今度は向こうが疲弊する番であった。少なくとも、我々の視線の先に日本の戦闘機の姿が見えることはなかった。

 その後、対馬海峡から日本海への進入も実現、また宮古海峡を出てバシー海峡から回り込む、いわゆる「(台湾)島一周飛行」も実施した。地理的な概念でいうところの「列島線」を、我々はあらゆる方向から突破した。現在、第一列島線への進出は空軍にとって既に恒常的な訓練となり、担当の東部戦区及び南部戦区が年度計画に基づき実施している。

 我々のような遠洋への進出を始めたばかりの空軍にとって、長い行軍の“最初の一歩”に過ぎないが、我々(中華)民族とっては“偉大な一歩”である。古来、我々は国土防衛のために万里の長城を築いたが、海洋については認識が至らず、その結果、海は国家安全の弱点であり続けた。歴史の流れから見ると、予見できる将来において我が国の安全保障上の脅威は主に海から襲来するはずだ。

 太平洋の3本の「列島線」は我々を縛る足かせである。我々がこれを踏み超えたことは、深い歴史的意義と本質的な価値を有している。


強軍へ向かう途上

 地理的な列島線を抜け出すことと同様に、我々の心を縛り付けている鎖を断ち切ることが重要なのだ。数千年に及ぶ大陸農耕文明、1世紀以上にわたる帝国主義的による暴虐、そして数十年にわたる平和は、我々の意識に大きな影響を与え「開放」や「進取」というよりも、保守的な方向性を決定づけたように思える。

 列島線突破の行動は、増大する圧力に対する強い反発であるとともに、我々の意識の解放と強さへの要求の肯定的なシグナルでもあり、解放軍の戦略型軍隊へのトランスフォームに向けた具体的な実践を示すものである。

 我々は、列島線突破そのものを目的化してはならない。真の意味での列島線突破を実現するためには「戦略型軍隊の建設」という概念の支柱が必要なのだ。戦略型への転換は単なる口先だけであってはならない。編制/編成から関連法規・規則類などの制度設計、人材の養成システム、その部隊における配置から選抜や昇任のメカニズム及び賞罰など、また、従来の陸上防衛を基本とする兵器開発思想から遠洋における戦力発揮能力を基本とする兵器開発思想への転換に至るまで、総合的な設計が必要となる。そしてそれに向けた綿密な調査と根本的な変革が必要なのだ。

 特筆すべきは、過去10年あまりの発展を通じ、我々はすでに一定の兵器開発能力を有しており、特に多くの優秀な人材を育成してきたことで盤石な基礎が築かれた。優秀な人材と高性能兵器をいかに有機的に融合させ、戦闘力に優れた打撃部隊を形成するか、これにはまだ長い道のりを進まねばならないだろう。

 地理的な列島線から抜け出すのは容易ではないが、自己を縛る鎖を突破するのはさらに難しい。地理的な列島線突破を牽引役とすることで、我々が真の突破を実現する日は近いと私は確信している。

 地理的な列島線からの解放や心理的な鎖からの解放も、我々の向かうべき最終的な目標は、如何なる敵とも戦略的均衡を図れる強力な軍隊を作ることだ。究極の均衡はその「強さ」にかかっている。それは経済的な強さ、科学技術の強さだけでは足りない。より重要なのは軍事的な強さなのである。

 中国の海空戦力が太平洋を自由に往来できるようになる日、世界から不公平は減少するとともに、いっそうの平和がおとずれるだろう。中国空軍は既にその途上にあるのだ。(終)

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