私の芸術運動161誰が為の芸術②

正直に心の内を明かすと、私は画家として絵を描いていますがその絵は誰が為に描かれたのか?と言いますと私自身のためでございます。

日常の中で、いろんな事を感じ考え人は生きていると思いますが、そういうインスピレーションが私に絵を描く様に促してきます。旅先で見た景色や、誰かに不意に言われた言葉、上手くいかなかったことや、上手くいったと思っていること、人に打ち明けられなかった話しや、話さなくていい事を話してしまったことや、手痛く裏切られた時、裏切った時、これまでもこれからも沢山のことが日々起こるでしょうけど、それはあくまでも私主観の映画の様なものでしかなく、自分以外のものは全て想像に頼るしかないわけです、たとえ相手が本音で話したと言ったとしても、私はそれを信じるしかありませんがそれが本当の本音だったか?はわからないままなので。

私が見ている世界が全てではなくて、むしろかなり限られた狭い世界なのだろうと思います、そんな狭い世界の中で、私は絵を描いているに過ぎないわけです。

これを世の為人の為と言うならどうも嘘っぽく思えてなりません、私にとっては本当の事でも、誰かにとってそれは事実とは限らないのですね。

芸術は限られた世界のほんの一部を指した真実ではあるものの、それが全てには決してなり得ないんです。

私は自分の感じたことを1番の真実と疑いませんけど、それは1番の間違いでもあるわけです。

ただ!ただですよ?

今生きていてどこか心がガランとしていたりする事ってあるじゃないですか?寂しかったり、悲しかったり、辛かったり、切なかったり、虚しかったり、そう言う時に、芸術は、つまり誰かにとっての真実というものが自分の探しているものだったりする事ってあると思うんです。そうじゃないにしろ何かのきっかけとなったり、新しい視点を獲得したり、世界がひっくり返ってしまう人だっているでしょう。

私は芸術にはそういう力があると思っていますし、あなたにもそういう力があるわけです、自分を相手に押し付ける事とは意味がもちろん違います、自分の主張を通そうとする事もどちらかと言えば自分のがランとした心を埋める為だったりするじゃないですか?

そういう事じゃなくて、自発的に何かを獲得しようとする心が私は大切だと思ってます、芸術は答えを叩きつけるものじゃなく、問いかけるものだと。

私が絵を描く前に芸術に何かを感じたのもそういう事だったのかな?と思います。

私は良いと思う絵を描いてます。

みんながどう思うのか?はわかりませんが、みんなが良いと言うから描いてるわけじゃないんですね、私は自分に絵を描けば?と言われて、うんそうする!と答えて描いているんです。

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