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378万円の学位記には一体どんな価値があったのか?

先日大学院前期博士課程を修了した。

6年間の大学・大学院生活で、
 学士(工学)
 修士(生活科学)

の学位を取得。
春から博士に進学するわけではないので、学生生活は一旦終了。

学部、修士ともに国公立大学だったので、単純計算でこの学位は
 学部:282,000(入学金) + 535,800 × 4(学費4年間)
 修士:282,000(入学金) + 535,800 × 2(学費2年間)
の合計3,778,800円の対価相応分の価値をもっているとも言える。

さて実際のところ、それら学位は自分にとってどのような価値があったのか、本当にそれだけの価値があったのか。「6年間の学び」に焦点を当て、その過程、得られたこと得られなかったことを言語化して備忘録として残しておこうと思う。


そもそも何になりたかったんだっけ?

大学入学前は「住宅をデザインする仕事」につきたかった。
幼い頃から間取りを描いたり暮らしを妄想するのが好きで、高校時代には住宅建築に関わる書籍を読んだりしながら、建築藝術の世界に進むだろうと漠然に考えていたことを覚えいている。

しかしある時読んだ建築家の言説本(誰だったかは忘れた)の内容が、当時の自分では何を言っているのか全くわからず「色々それっぽいこと言っているけど本当にそうか?詩的表現、芸術表現としてのモノづくりになってないか?」と一度疑問が湧いたら止まらず、建築デザインに対し不信感が拭いきれなくなる。

そんな不信感から科学的・心理学的にデザインをするべきだと思い、また元々建築というよりも少し対象が小さいインテリアの方が興味をもっていたこともあって、建築ではなくデザインを科学的に分析し実践できる大学(工学部デザイン学科)に進学した。


学部-デザイン科学

入学したところは工学系に位置するデザイン学科。
なので思想や問題提起の作品づくりというよりも
 アイデア→プロトタイピング→調査→分析
といった問題解決としてのデザイン思考を徹底的に叩き込まれる教育
卒研もそのプロセスを踏んで遊具を制作した。

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研究室の活動にて、先輩と制作した移動式遊具。子ども達がパーツを動かし主体的に空間を創造してもらうことが目的。ビデオを用いて子どもの遊びを数値化し、分析した(B4)

また外に飛び出した今だから面白さに気付けるが、デザイン学科の名の元に広告から空間、アートや心理学まで、あらゆる分野がごちゃまぜ。卒制展なんかはアート作品の横に筋電図の実験結果が並んでいたりと、とにかくカオスな状況。

自分はディスプレイ・インテリア・家具など環境デザインと呼ばれる領域に力を注いでいたけれど、この時のごちゃまぜ感は「建築・インテリア」にしか興味がなかった自分にとって、とても良い刺激になった。
ここに入学しなければ車のデザインが全部同じに見えてただろうな...

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メキシコの学生と行ったメキシコ住宅設備における防犯システムをデザインするプロジェクト(B3)
一学科で包括してるデザインの幅が広すぎることに気付かされる

またこの頃授業で「地域にフィールドサーベイに赴き、地域固有のデザインを創出する」ということしたり、卒研でも「地域」にちょろっと関わるようなことをしていたので、「地域性/土着性とは?」ということに興味を持ち始め、考えていた記憶がある。


進路、今一度原点を振り返る

さて、そんなわけで学部時代は楽しく過ごしていたわけだけど...。
そもそも自分のデザインの根源は「住空間」であり、デザインを科学的に扱う学科の方針には賛同するものの、それを発揮したいフィールドは「住空間」である。
僕が所属していた研究室ではオフィス空間や公共空間・商業空間については扱っていたものの、「住空間」については当時たまたま扱っておらず、そこに対する知見も少ない。また地域性/土着性を考えるにはあまり適している環境ではなかった。

住宅設計や都市居住、デザイン文化史等必要な部分は自力で学んでいたもののやはり限界がある。

どうしようかなぁと考えていると、外部から院進してきた研究室の先輩が過ごしていた大学が、住宅・インテリア・家具といった建築学科とデザイン学科の中間地点に位置するスケール感で「住」に焦点を当てた教育を行っていること、町家等の地域固有の住空間についての研究はもちろんのこと、デザインの実践もきちんと行える環境が整っているということを知った。

生まれ育った関東から離れる必要はあったが、2年間という期間を日本文化色濃く残る関西で過ごしてみるのも悪くない、またデザイン科学についても情報収集だけはできる限り続けることで中途半端にならないようにしようと思い、大学院進学を決めた。

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住宅設計課題
桜が綺麗な地元の地域性を内部空間でも表現しようと試みた(B2)


大学院-居住環境学

そんなわけで生活科学系居住環境学を研究する大学院に進学。

周りと比べ、居住環境学の知識で大きく遅れをとっていることは自覚していたので、その遅れを埋めやんとするので特に入学したては必死だった。けれども住宅について語れるような人は学部時代いなかったので、それらについて語り、知識を共有することができる人達に囲まれていた大学院の環境は新鮮で、過ごしてきた環境も思考も異なる人達とのやりとり1つ1つが、新たな発見をうむ日々だったように思う。

具体的な活動として、長屋といった伝統的住居の改修の取り組みを行っている大学院だったこともあり、改修した長屋で暮らす人々の生活を拝見させていただく機会がとても多かった。
これら機会が自分にとって印象深く、学部時代自分があまり学び取れなかった「モノ」をつくる上での長期的目線(つくったモノが5年10年経った時どうなるのか等)について深く考えるきっかけになった。
上記の機会や実施設計・調査を踏まえた上で、建築家の言説本を再度読み、ゼミで議論を交わすことで、高校時代あれほど懐疑的だった様々な言説をようやく理解できるようになったことは良かった。

ただ一方で完全に理解しているわけでもなく、もっと設計者と使い手の望ましい在り方があるよなぁとも考えていて、ちょうどたまたま研究室の活動で「使い手自身による古民家DIY」という活動を行っていたこともあり、空間設計における民主化・使い手主体のデザインに興味を持ち始める(その頃色々葛藤してたnote)。
結果として紆余曲折あったものの、最終的な論文としてはその活動内でのDIY設計のプロセスや参加者の意識についてをまとめ、修了した。

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「使い手自身による古民家DIY」のプロジェクト
DIY体験が参加者のモノをつくるという意識をどう変えるのか、生活を自分達で作るとは何かについて考えたプロジェクトだった(M1-M2)

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モバイルハウス制作ワークショップに参加
家を一から創り上げるとはどういうことなのか、住まいとは何か、家は誰でもつくれるのかについて制作しながら考えた(M2)


6年間の学びはどうでしたか?

6年間の学びの中で、あまり意図してなかったのだけど「モノづくり」に対して自然科学的アプローチと人文科学的アプローチの両方を学び、実践できたことは非常に良かったと思う。

自然科学的アプローチについて、学部時代の授業や研究室活動の中で、時に唸りながら統計理論を勉強し、時に死にそうになりながらビデオにかじりついて分析したりと、理論から実践までの一通りのサイクルで学んだことで、全く環境が異なる大学院でも、それら知識をもとにある程度先導力をもってプロジェクトを回せるくらいには使いこなすことができるようになった。

デザインした場・空間が正しく機能するかについての論理的な分析力はこれからも自主的に学んでいくことで、自分の武器になりえるのかなぁと思う。

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都市計画専門の学生と共同実施した大学構内の広場空間の活用方法を探るプロジェクト。都市計画の人達がイベント開催の企画から分析までを行ってくれた一方で、自分はそこで使われるスツールの設計と分析方法についてデザイン科学で学んだことを活かしてプロジェクトを先導した(M1-M2)

また人文科学的アプローチとして、主に大学院にて、モノをつくる上でそのモノだけに目を向けていたら気付き得ない、そのモノ自体の歴史、モノが作り出される過程で関わった環境、設計者の思想などの意義を知ることができた。

卒業研究時に疑問であった「この地域にこの空間を新たに生み出すことは果たして正しいのか?」という問いに対し、人文科学的な目線で歴史的文脈や思想を糸口にした解答を見つける方法を学べたことはとても良かったと思う。

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所属研究科主催の大阪市内の長屋を一斉解放し「住み開き」するイベントにて撮影した写真。長屋で暮らす人々は自分達の住まう空間に対しての意識が高かったように思う(M1)

学び得たことがある一方で、研究面に関しては反省点が多い。
特に今思うと大学院はふんわりした理由で進学してしまったこともあり、「勉強」はできたが「研究」は100%消化しきれなかったなぁと思う。
論文執筆活動なんかは、言語化能力の低さと、自身の論理の飛躍に気付かれるばかりだった。
どうも自分は、『仮説Aが成り立つと仮定すれば、仮説Bが成り立つ』という2段階ステップの仮説を立ててしまいがち、どこまでが事実なのかをきちんと線引きできない傾向にあるので、今後意識して気を付けたい。


大学に対して思うこと

話は脱線するが、大学に対して思うことも少し触れておく。

大学での学びは遅行性の薬であとからゆっくりと効いてくるものだと考えている。いつだか教授が「大学は民間が絶対やらない無茶なことをするところ」と発言していたのが頭に残っている。

すぐには利益に直結しない、ある種遊びみたいなものこそ大学がやるべきなんじゃないか、と。

それをするために心の暇が必要だけど、現在の大学はちょっと忙しすぎなので、もっと学生が暇になれるような体制に変わってほしいなぁと6年間を過ごして思った(当然自己管理できている人もいて、自分がそれをできなかったことは言い訳にしかならないのですが...)。


まとまらないまとめ

話題があっちこっちにとんでまとまらなくなってきた。

6年間で、「地域性」だとか「デザインを客観的に分析する」だとか「住空間」だとか色々言ってきたけれども、振り返ってみると印象に残っている活動は、全て根底に「利用者自身が空間創造に主体的に関わっていけるか否か」に焦点が当てられているんだなぁと後付けで気付かされる。

最近「Mobile/可動」をテーマにした空間づくりがマイブームで、今までの活動においても「可動」をテーマにしたものが割と多いのだけど、これも可動することによる空間構成の自由化・選択の身軽さみたいな部分に興味を持っているのかなと思ったり。

あっちへいったりこっちへいったりで、テクニカルな部分はさておき、その先にある思想という部分で、専門性を身に着けられたのかどうかよく分からない。けれども今後自分がデザインをしていく上で指針となるものが見つかったのは良かったなと。

先に書いたとおり、大学での学びは遅効性の薬だと思う。その時咀嚼しきれなかった物事、はたまた理解し得たと勘違いしていた物事が数年ふと繋がってくる。
382万円の学位記は現状でもまぁその分の価値はあったかな、と思えてるけど、今後10年後、20年後と日々を重ねる毎に価値を増していくだろうし、増せるような生活を送りたいと思う。


これから

大学院入学前に打ち立てていた「修了後海外で働く」という目標を、地味に打ち進めていたのだけれど、世界中がこんな状況下だったりで先行き見えず行けそうにもない。

幸いなことにM1の頃からお世話になっている設計事務所に少しばかり置いてもらえることになったので、少しの間はそこで生活基盤をつくろうと思う。
流れ着くかのような就業になってしまったけれど、実は「内装・家具」といった自分が最も興味のあるスケール感かつ古建具などをリペアして空間に落とし込むことを得意としている事務所なので、満足度高い。

設計業務に関わる施主とのコミュニケーションや技術的な部分はもちろんのこと、自らの暮らしを自らつくり出しながら豊かな生活を送っている(少なくとも側から見ている分には)事務所の人々の生活の様子についても、この目で見て学んでいきたいと思う。

また外部にて、「可動」というテーマに関係あるプロジェクトに、個人として関わらせてもらう機会を頂けたので、そこでそれらテーマについて、実践しながら自分の興味を深めていきたいと思う。

桜が少しずつ咲いてきた、3年目の大阪生活が始まる。



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