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49

昨日、誕生日を迎えて49歳になった。

3月11日といえばご存知の通り東日本大震災があった日で、例年、あの当日の友人の言葉を引き合いに出してこの文章を書き始めていた。でも今年は40代最後の年ということで、少し毛色を変えてみようと思う。

自分自身の「老い」について触れている文章だけど、決して悲観的な内容ではなく、むしろ前向きなものであることを最初にエクスキューズしておきたい。

歯を抜いた話

先日、右上の一番奥の歯を抜いた。この歯は以前からちょっとした問題を抱えていて、かかりつけの院長曰く「不正咬合に起因して噛み合わせたときの負荷のバランスが悪く、歯根の辺りに炎症を起こしやすい」ということらしい。実際、2年に一度くらいのペースで(身体が疲れて弱っているようなときに)強い痛みを伴う炎症を起こしては食事もできないような状況に陥っていた。

院長の決断

これまでは「できる限り自分の歯を保存する」というコンセプトの元、対症的な治療と抗生物質の服用でやり過ごしていたのだけど、今回は歯の揺動も大きくなっていたようで「ツカモトさん、今回は……抜こうか」という院長の診断が下った。信頼してお任せしている院長の言葉である。少し悲しそうな表情をしてくれる院長に対して、頷きながら「お願いします」と言う以外の選択肢は僕にはない。

そこへ登場したのが30代半ばと思しき口腔外科医だった。「抜歯はこの外科の先生に任せてるから。上手だから安心して」とウィンクでもしそうな風情で紹介してくれる院長の言葉に対して、再び「お願いします」以外の言葉は見つからない。ただでさえ数日に渡る痛みとまともに食事ができないストレスがピークに達しつつあるタイミングで、正直なところ「誰でもいいから早くこの苦しみから開放してほしい」という気持ちの方が強かったと思う。

惨劇の開演

果たして、抜歯は本当に酷い体験として僕の記憶に刻み込まれることになった。今振り返れば、麻酔注射に激痛を伴い「おや、今回は表面麻酔麻酔の麻酔はしてくれないのか」と思ったのが惨劇の序章だったのだ。

しばらくして麻酔の効きを確認する際には、僕が「まだ痛みを感じる」と訴えているにも関わらず、それを意に介さず抜歯を開始した。いつもの(院長の)丁寧なペイン・コントロールは、この外科医には共有されていないらしい。

その間にも、抜歯の器具を間違えて持ってきた助手に対して「大臼歯用なんだけど……別にいいよ 小臼歯用それでも」と言ってみたり、カラカラと何かを足元に落としては「まぁいいか」と小さく呟いてみたり、視界をタオルで覆われている患者の不安を煽ることに余念がない。

さて、抜歯。当たり前だが激痛である。あまりに痛みが酷いので手を挙げていったんストップしてもらいそのことを訴えると、追加の麻酔を注射し(痛い)、そのまま時間を空けることなく抜歯を再開した。

そこからの数十分間は苦痛を超えて地獄と表現して差し支えない時間だった。奥歯の抜歯は初めてではないけど、こんなに酷い思いをしたのは初めてだ。「こいつには今後一切、オレの歯に触れさせないぞ」という固い決意を胸に、今回だけはもう仕方がないと諦めて激痛に耐えたのだった。

失ったのは奥歯だけではなかった

そうして、僕は右上の奥歯とともにもうひとつ何かを失った。激痛に耐えた直後は身体中が本当に疲弊して半ば放心していた。そのとき、例えるなら魂の一部のようなものを奥歯と一緒に持っていかれたように感じたのだ。「大丈夫ですか」と心配そうに声をかけてくれる歯科衛生士の微笑みも、残念ながら僕の疲弊を癒やしてはくれなかった。

自発的な老いの自覚とは

帰宅後も(この日はたまたま母と弟が娘に会いに来ていたのだが)ひとりソファに横たわって、抜歯後に残った麻酔の違和感と痛みをやり過ごしながら過ごした。その間もクリニックの椅子の上で感じた得体のしれない喪失感は消えることはなく、自分でも困惑することになった。

数日経ってから、この喪失感をこう解釈することに決めた。今回奥歯をひとつ失ったことは、分かりやすく目に見える形の「肉体的老化の始まり」なのだ、と。言い換えるなら「若さ」とか「健康な身体を維持するためのベースになるもの」を奥歯とともに一部失ったのだ。あるいは、失われた奥歯そのものがそういうものだったのかもしれない。

人生のマイルストーンとして

もちろん、加齢を実感したのが今回初めてということではない。数年前に急に顕著になった(主に花粉の)アレルギー症状はこの春も目と鼻にダメージを与え、そのせいで肌の質感や見た目まで少し老けて見えるようになった。メガネの度が合わなくなって老眼を(渋々)自覚してからそろそろ一年くらい経つ。さらに今年に入ったあたりから右肩に慢性的な痛みを感じるようになって「これが噂の五十肩か」としみじみ思ってみたり、ほかにも細かいことを挙げ始めたらキリがない。

でもそういう段階的/グラデーション的な変化を受け入れることとは別のものとしてーー強いて言うなら人生のマイルストーンのひとつとして、今回の抜歯(とそれに伴う喪失感)を定義したということだ。元に戻らないものを、ひとつきっちり持っていかれたんだぞ、と。そう考えたら、妙にすっきりしてしまったから不思議なものである。

そろそろ健康や体力を「増進」するためではなく、「維持」するために努力が必要になってくるお年頃だ。舌先で確認することのできる物理的な空白は、晴れてこれからの数十年を健やかに生きるための大切なシルシになったのだ。

余談ながら、ツカモト家の今年の家訓は「よく噛んで食べる」である。モグモグ。

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