見出し画像

内面の人格達が円卓につく時

年明け前のこと...とはいえ、実時間としては、10日ほど前の話。
参加中のコミュニティでご縁をいただいた方のセッションをうけました。

その名も「うるめ会議」

このネーミング、すごいんですよ。
〇〇セッション、とか〇〇相談、とか、そんな名前じゃなくて本当よかったと思う。
素晴らしい。

うるめ会議、という名称にある「うるめ」は、そのご提供者さんの、お名前。
とても素敵なお名前で、漢字で書くと「潤愛」なんだって。
なんという美しい、麗しきイメージ。

その名称の通り、とてもデリケートで、繊細で、ふわっとしてて、暖かい。
同時に、強い。
あらゆる感情を「意味があるもの」にしていく、強靱さを感じる。

「これって、告知とかするとして、どういう表現するといいのか、なかなか考えさせられますね...」
と、感想シェアの時間にお伝えしたんですが。
今ここで体験記事書くにも、どう書いたらいいのかな、って、困ります...。


ともかく。
とても面白い時間だったので、書いておこうかなと。

今回、フォーカスしていたのは主に、子ども時代の体験で、そこから何を感じるか(正しくは、「その〇〇さんは何を話してくれるかな?」っていうね)から、いろいろと紐解いていくという時間だったのですが...ね。

この14年、絵描きに戻ってからのわたしが辿ってきた「こんなこと考えてたな」っていう事柄にリンクしていきまして。

いくつかは、うるめさんの問いかけに答えている最中に
「あ、これ、前にブログに書いたな」とか
「あ、これは、〇〇のイメージとして上げたことあるな」とか
自分で辻褄合わせができてしまいまして。

最後、あまりにも出来すぎてる感じがして、セッション後のアンケートに

今までに選んできたことや決めてきたことが今日出てきて、
「そうなった道筋」がちゃんとあったんだと確認できたので、
なんとなく選んできたっていうわけでもないんだなと思えました。


今、
「逆に、もしかしたら、今までにイメージしてきたことが具体的にあるからこそ、そこに結びついてしまっただけで、本当はもっと違った<こたえ>があったのに、知っている概念に飛びついてしまったのかも?」
っていう気がちょっと、あります。

あまりに辻褄が合いすぎると、疑問になってしまうへそ曲がり(笑)

なーんて、お送りしました。

で、この感想に対して、

結びつけはどうであれ(中略)
どこかで分かっていればそれが指針として日常生活でも迷った時の感覚の方向性のようになるかなと思うのです。

という、素敵なお答えを、くださったのでした。


なんだか。
天使業界に入っちゃったばかりの頃、瞑想会等のシェアタイムで
「こんなの、いくらでも無限に作れるのに」
と、いっつも思っていた...それが、時間と経験を経て
「作ってるのか、降りてきてるのか、どっちなんだどうなんだ…なんて、全然、どうでもいいんだな」
と感じられる境地に達した…わけですが。

ああ、そういうものかもね。
って、思ったのでした。


うるめ会議で書いたメモ
うるめさんの質問に答えながら、指示に従ってカタチをつくっていく
そして、そこから、感じる事などを掬い上げていく


「会議」という名称の通り。
これは、「会議」です。

わたしは、自分の中の数多くの人格(と、想定している、感覚やインターフェースごとに違った様々な想念)同士を話し合わせる、という行程は比較的やってきていると自覚しています。
そもそも、手と頭の共同作業で全て進みますしね。

ただ、ファシリテーターも自分なのか、第三者なのか...というので、かなり違いが出ますね。
当たり前だけど。
自分の盲点は、いくら他の人格であっても盲点には違いないので。
そこにスポットを当ててもらえる、というのが、第三者に入っていただく最大のメリットだなと。

上の図でいうと「岩に擬態してる人」っていうのが、最終のキーマンになったのだけど。
そこに「石化ガメラ」ってメモしてる。
この石化ガメラについては、2011年くらいから、たびたび、自己イメージとして想定していたこと。

岩に擬態...の横に、「お山の大将」って人をメモっている。
その大将は、岩に擬態した人の上に立っているんだけど。
そいつの話をいろいろ、聞いているうちに
「タロットの9:隠者」
と、重なっていった。
そのきっかけは、大将が何をしようとしているのかっていう話になった時の「山岳ガイド」っていう言葉。
大将にとっての「石化擬態してるヤツ」は、それ自体が情報の岩山…岩山の姿をした図書館みたいなもので、それをガイドしてまわるのが、大将の役割。
ガイドするためには案内を希望する人が必要だから。
岩の上に立って旗立てて、目立とうとする。
で。
カンテラ持って下を見てるという「隠者のカード」が示すものを理想像としていた...ていうのを、連想。

隠者は、大将の老後なのか?
カンテラで照らす...よりは、わたしのイメージは「松明の灯火」だけど。

先日投稿した記事に、そのことについてちょっとだけ触れている。

くまちゃんと関わるようになった2011年あたりから、ずーーーっと。
わたしは
「もらった松明の火を、次の人に渡す」
ってことが、根底にある。

先週のセッションでは、ちょっとカッコよく「聖火」なんて言ってみたんだけれど。
そんなキレイなものじゃなくていい。

もっともっと原始的なものだから。

「2023年振り返りと、2024年へ」 https://note.com/hiroko_k/n/n72d74e12edae

 


いや。
待てや。
この記事、うるめ会議のなんたるか、まるで伝わらないじゃん...

でも。
正直…

やってみないと、たぶん、わからない。

って、思う。

おそらく
「受ける人、それぞれに、完全に特化した個別内容」
だから。



セッション対価に絵をお送りするお約束になっているんだけど、まだ仕上がってなく。
できあがったら。
そして、掲載できそうだったら
(時々、他人に見せないで…って絵から言われることがあるので)
後日追加します。

サポート熱烈歓迎!活動費用にあてさせていただきます。