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大好きな父が、私に教えてくれたもの

随分昔に、島田紳助さんがテレビで、
「父親の悪口を母親が子供の前で絶対言ってはいけない」
と言っていました。
理由は、父親の威厳がなくなるうえに、嫌いになってしまうから、みたいなことだったように記憶しています。

それを聞いて姉は、
「お母さんはお父さんのことをボロカスに言うてたけど、私はお父さんを嫌いにならへんかったし、見下げることもなかったわ」
と言いました。私も同じ意見です。

小学校の高学年のころだったか、学校で父親の職業を書きなさい、と言われ、途方に暮れたことがありました。
私は父が何の仕事をしていたのか知りませんでしたし、興味もありませんでした。

父はほぼ毎日、夕方の6時頃に帰宅し、一杯のビールを幸せそうに飲んでいました。7時になると家族みんなでちゃぶ台を囲み、その日あったことを面白おかしく話ながら食事をする、という生活をしていました。
雨風しのげる家があり、食べるものにも困らない生活ができていたので、私も姉も不満はありませんでした。
明るく朗らかな父が、家を明るく照らしてくれていたように感じていました。
私は大好きな父がいてくれるだけで、満足でした。

父が小学6年生の時、戦争が終わりました。
田舎の子供が多い家で育った父は、中学を出てすぐに手に職をつけるための学校へ進みました。卒業後に就いた仕事は、訳あって辞めてしまい、その後就いた仕事の関係で、大阪に引っ越しました。
その時に私が産まれ、その後すぐまた転職をして、兵庫県の田舎に移り住みました。

母は父のことを、教養もなければ甲斐性もない男だとボロカスに言っていましたが、(タイの方々にはとても失礼で恐縮ですが)タイの前国王、ラーマ9世の写真を見るたび父を思い出すほど、なぜか父には高貴なイメージがありました。
夏には暑いから、と、ランニング姿でビールを美味しそうに飲んでいる姿ですら、なぜか厳かな雰囲気が漂っていました。

そんな父は、私にはあまり「ああしろ、こうしろ」と指図はしませんが、要所要所に厳しくすることがありました。

小学校の入学式が終わったその夜、父は突然私の箸の持ち方を見て叫びます。
「なんやねん、その箸の持ち方は!」
箸の持ち方について、誰からも何も言われたことがなかったので、私は何が起ったのか分かりません。キョトンとする私から父は箸を奪い取り、正しい箸の持ち方をして見せます。
「小学校に入ったんや。箸の持ち方も知らんと、小学生やって言えるか」
無茶苦茶な言いぶりですが、父はバンとちゃぶ台をたたきます。
「お母さん、明日大豆を買ってきて」
突然話を振られた母は、ひるみます。
「大豆煮るの大変やから、いややわ」
「ちゃうがな。明日から博子が箸の持ち方の訓練するんや」

次の日から、大豆30粒が入った茶碗から、空の茶碗へと箸で移す訓練が始まりました。それを終わらないと、私は夕飯を食べさせてもらえません。食べることが大好きだった私は、早く食べたい一心で、必死でした。
正しい持ち方をしないと、箸で大豆を挟むことはできません。
手がつりそうになりながらも続けた結果、1か月ほどで箸を正しく持つことができるようになりました。

また夏休みのある朝、父と一緒にごみを集積所に出しに行った時のことです。
近所の人もゴミ出しに来ているので、たくさんの人とすれ違います。
その際にちゃんと挨拶ができていなければ、その人が行ってしまった後に、後ろから蹴られました。
「なんやその挨拶の仕方は」

人とすれ違う時は、道の端に寄ること。
一瞬でもいいので、ちゃんと止まってお辞儀をすること。歩きながらお辞儀をするのはもってのほか、深すぎても、浅すぎてもいけない。
そして明るく「おはようございます」と言うこと。
声は大きければ良いというものではない。
挨拶の仕方が悪ければ、容赦なく後ろから蹴りが入りました。

中学校に入ると、制服には自分でアイロンをかけるよう、言われました。
自分が毎日着るものは、自分でちゃんと整えるように、と。
私が男だったとしたら、アイロンがけをするように言わなかったかもしれませんが、母はあまり上手ではなかったので、父がアイロンのかけ方を教えてくれました。
制服と一緒に、ハンカチもアイロンをかけること。
靴が汚れたら、自分で洗うこと。大人になってからは、靴は必ず磨くよう教えられました。

父は新聞を読むことが大好きでした。中学校しか出ていないので、知らない漢字があったのでしょう、辞書を片手に読んでいることもありました。
好奇心が旺盛で、いつもいろんなことを学ぼうとする姿勢がありました。
私が幼いころは、恥じることなく、私と一緒に百科事典を見て学んでいました。
私が成人すると、父は時事問題を投げかけてきました。その独特な視点が愉快でした。
いろんなことを様々な角度から調べ、自分の意見をちゃんと持つことの大切さを、父から学んだような気がします。

母に言わせると、教養も甲斐性もない父でしたが、人が生きるために最低限必要だろうと思われることを、私に厳しく教えてくれました。
そして、私は父のようになりたいと思っています。

成功することよりも、何かをなり遂げることよりも、自分の子供に「こんな大人になりたい」と思ってもらえることが、なによりも“ええじゃないか”と思うのです。

私には子供がいません。
でも、誰か一人でもいいので、「こんな人になりたい」と思ってもらえるようになりたいと、日々思いながら過ごしています。
ま、いつになることやら、ですが。。。

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