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2020.10.21

あさってが引っ越しで、明日の午後がインターネットの工事。明日の午前中に入稿がひとつ。いろいろな心配ごと。

箱とほこりとバラバラに置かれたもの、ぐちゃぐちゃの空間のなかで居残りのように作業をしている。不安要素がいくつか、それにまつわる細かな不安要素がいくつか。ひとつ進んで見えてきたら新しい不安。不安で不安で不安なのは40歳だからなのかとも思う。

ものに取り囲まれながら、ともかくも作業さえしていれば前に進むと感じられるので落ち着く。おなかがすいたら外に何か買いに行って、部屋で何か見ながらどこかしら焦りながら食べる。1、2か月先自分がどうなるか分かっていなくて、これが終わったらここから離れ、まわりと同じところに進まない。

古い作業着、ギリギリで間に合う作業、収まるべきところに収まり間に合っていく答え。なにかしらけてもいて、別のことをおもっていて、こういうことはもう終わりと思いながら自分の作業をしている。

この空間とこの心境が卒業制作の頃の感じとだぶる。なんとその頃からなんにも成長していない、成熟していない。


そのことを、そのことの性質を極端にしていったところで見えるものを見ることでなら、すこし感じが掴めるようになった。感じを掴みたいと思っていたけれど、これは理解するということではないんだと思う。

わたしにとっての理解は理解することを自分が足がかりにしたいための理解なんだとよくわかる。あくまで自分が分かりたいための、自分のモチベーションのための理解。謎は謎のままで、かんたんに理解されるほど浅いものでないし、そんなにかんたんに汚されない。


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