2020.10.26

引っ越した先はビジネス街に近く、すべてのものがすこしずつ高くつき、すこしずつ手間をかける余力があるでしょうという仕組みになっている。環境が変わるとあっさり変わるものだなと思ったことがいくつもあった。まだぜんぜん慣れないし、今夜から犬と一緒に暮らすことになるのも不思議。

何日か長く一緒にいる日を過ごして、今は彼にとって、自分は彼の「だめ」の部分を見る役で、夫は彼が飛び越えようとするときにそこにいて見る役なのかと思った。

家のつくりがそうなのか、乾燥が激しすぎて数日咳き込んでいた。朝ごとに水を汲み部屋に運ぶ女になっている。濡れたタオルを顔にかけて眠ってみたらすこし良かった。首にずっと何か巻いている。乾燥がこたえるのはわたしだけのようで、体のつくりって人によって全然違うのだと実感した。

自分がそのときにもっているものによって心なしか周りが優しいように感じたことがあった、思い過ごしかもしれないけれど。でも、このギャップはいろいろな場面で、たくさん心当たりがあって、相手はそんなことなかったとしても自分のなかにはきっとなにかある、自分にとって見過ごしてはだめなものだと思う。

外から見えるものなどほんの少し、しかも、見る者の目に留まるものだけ。見る者は自分が見えた範囲のものに照らし合わせ、判断してしまう、態度を変えてしまう。

相手をとりまく環境によって態度を変えない。と思った。また、自分のおかれる環境によっても。…そんなことできるかな。


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