空想行為(Image Play) 前編

世の中は1989年、バブルのはじける前で活気のある時代だった。だが携帯電話が世に出回る前で電話といえば固定電話。家庭に1本引き込まれているものの、思春期の子供がいる家庭では当然の事ながら電話の争奪戦が夜な夜な繰り広げられるのが当たり前だった。
公衆電話が当たり前の時代、固定電話を家庭用・家族用にではなく自分の為に引くという贅沢。当然持ち運ぶ事は出来ないが、電話をすれば親が出るのが当たり前なのに絶対に自分しか使わない電話。使う自分は勿論の事、掛けてくれる相手にも安心してもらえる。なぜ電話の事で親とモメたかと言えば、その理由の多くが「家族が寝静まった夜中の着信」だったり、「恋人との会話が長くて占有してしまう事」だったり。そういう心配をしなくても良い自分専用の電話には、誰もが憧れたのだった。僕も自分専用の電話が欲しい。そんな思いからこの話はスタートする。


プロローグ

自分専用の電話が欲しい。

そんな願望を叶えるためには、一体どうすればいいのか。NTTに行って調べてみた。
窓口のおばちゃんは「未成年なので保護者の承諾書と回線権利約7万円を払えば引けますよ」と事務的に話してくれた。そうか、とりあえずはお金を貯めてから両親に相談してみよう、そう思ってバイトに勤しむことにした。

幸いな事に両親の理解がある家庭に育った為、自分のバイト代で電話代を払うならば自分の部屋に電話を引いても良いという許可をもらう事が出来た僕は、自宅からほどなく近いプラスティック工場でカーラジオのパネルを整形して箱に詰めるという、とてつもなく地味なバイトをしてお金を貯めていた。住宅街にぽつりと建っていて、ボロく錆びたシャッターしかない入り口。プラスチックの原料が溶ける臭い。決して大きな工場ではなかったが、有名な家電メーカーのロゴが入った小さな看板だけが、その工場で何をしているのかわかるヒントになっていた。

当時の時給は高校生で580円。

決して悪い額ではなかった。ただ残念だったのは接客業でもすれば良かったのに適当なバイト先が見つからず、その労働時間をずっと無機質な機械の前で過ごすという事だった。

何の為に働いているんだろう。彼女がいるわけでもないし毎晩誰からの電話を待つわけでもない。ただ友達が部屋に電話を引いてると自慢された事がえらく自分のプライドを傷つけられ、見栄と憧れを満たす為にお金を貯めてやろう、目標額は固定電話の加入金約7万円!とだけ考え、日々黙々と機械を相手に与えられた仕事をこなすのだった。

高校生になってからずっとこの工場でバイトをしていた僕は、それほど物欲もなかったので稼いだお金を目標に向かって「10万円たまるBANK」と書かれたブリキ缶の貯金箱へ投げ込むだけだったが、計算上そろそろ貯まったであろう時期を見計らって缶切りを用意し、開けてみる事にした。

目標額である7万円は既に越え、電話回線だけではなく電話機まで買えるほど貯まってるではないか。

僕は急に胸の高鳴りを覚えた。


1. 自分の電話

当時発売されたばかりの留守番電話付コードレスホンが買える。コードレスホンがあれば、電話線が届く距離で行動を制限されず、夕飯だよと呼ばれて1階に降りて行っても子機を持っていけば電話を取り逃がさないではないか、と。

その妄想に、「誰からの電話」という主語が完全に欠落していたのは、やはり単なる憧れというか大人の仲間入りのようなワクワク感だけで物事を考えていたわけで、特定の相手がいるわけでもなかった。ただ、「自分専用の電話」「自分だけの電話番号」という事だけで興奮したのだ。

貯めたお金を正直に両親へ申告し、翌日学校の帰りにNTTへ行って電話を引く手続きをした。未成年の場合には親の承諾が必要ですと言われるのは分かっていたので、母親と駅前で待ち合わせし、ぬかりなく手続きを終えた帰りに、当時はまだ有名家電量販店などなかったのでデパートの家電売り場で待望の留守番電話付きコードレスホンを購入して帰った。

回線の開通は1週間後だと言われ、たかが電話回線引っ張るのになんでそんなに日数が必要なんだと幼心に思いつつ、帰宅後ワクワクしながら箱を開け、線も繋がっていない電話機を自分の机の上に置いてみた。

なんだか急に勉強机が会社の机に変身したような気持ちで、意味もなく肩と耳の間に受話器を挟んでは両手が使える状態にしてみたりしてその電話機が自分の物になった事を喜んでいた。

そうだ、留守番メッセージの録音だ。

当時の留守番電話には自分の声で留守番応答メッセージを吹き込む事が出来るようになっており、僕よりも先に部屋に電話を引いていた友達に電話した時にとてもかっこいいBGMと共に彼の声で「電話ありがとう。残念ながら今俺は家にいないんだ。でも大丈夫。ピーという発信音のあとに素敵なメッセージ、待ってるよ。」と、まるでラジオのDJのような応答メッセージを作っていたのだ。

少なくとも彼のようなかっこいいメッセージを吹き込みたい。

そう思った僕は、自分が持っている一番かっこいいと思う曲を部屋のコンポから流し、何度も何度も失敗しながらそれなりに満足のいく応答メッセージを作ったと記憶している。

そうして1週間が過ぎ、NTTの回線工事業者がやってきて、僕は晴れて自分の部屋に電話機を持つかっこいい高校生となったのだった。


2. 鳴らない電話


電話が部屋にやってきた。しかし、誰にもまだ番号を教えていない。
まずは友達に教えようと思い、単語暗記カードを数枚リングから外して電話番号を書いてみた。

明日学校で友達に渡す時にみんなどんな顔するかな。

「おー!すげぇ!お前電話引いたのかよ!かっこいいな!」
「えー、ちょっとヒロくんかっこいい!今度絶対電話する!」

なんて事になったら僕はちょっとしたヒーローになれる。無駄に妄想を繰り広げながら眠りにつき、朝起きてしっかり机の上に用意しておいたカードを鞄に入れて学校へ行った。
学校で昨日の夜に予習した通りの言い方で友達にカードを渡し、おおむね予想通りの答えが返ってきた。若干違ったのはまぁいいだろう。羨ましがられる事で僕の優越感は満たされた。

その日の夜は大変だった。時々無駄話をするために電話してくれる友達、最後はいつ電話したっけと思い出したり、あの子電話くれるかな、いや、でもこの前彼氏の相談乗ったばかりだからしばらくは来ないかな、いや、でも番号渡した夜くらいはおめでとうって電話くれるよな、と、まるで一人漫才のように思いを巡らせながら部屋で悶々としていたが、誰一人電話を掛けてくれない。

そのうち母親に「ごはんですよ」と呼ばれ、少しにやっとした僕は兄弟に自慢でもするように子機を握りしめ、階段を駆け下りて自分の席に着いた。

「おにいちゃん、電話繋がったんだ!かっこいい!!」
「いいだろう?まだ誰も電話くれないけどな。夕飯食べて暇になったらきっと掛かってくるさ」

などと話をしながら夕飯を食べていたのだが、一向にその電話機から呼び出し音が鳴る事はなかった。


3. 話中の理由(わけ)


みんなどうしたんだ。番号を書き間違えたのか?と思うほど、その電話はただの箱に成り下がっていた。こうして初日の夜は更けていき、翌朝学校でみんなに聞いてみたところ、ずっと話し中になっていたと聞かされた。そう、どうやら使い方を完全に間違っていたようで、本体から受話器を外した際に通話の状態のままにしていたのだ。アホだ。キャッチホンの契約をしていなかったので気がつく事もなかった。これを機にキャッチホンをつける事にした。

二度と同じ過ちをしないと誓った僕は、翌日からちゃんと持ち上げた後で「切」を押して待機状態にする事を学んだ。

僕はあれからずっと伝言ダイヤルの存在を忘れていた。友達と話をする事が楽しく、別に寂しいとは思わなかったからだ。

なぜ毎日そんなに話のネタがあったんだろう。学校でも十分に話をしていたのに帰宅後もまだ話し足りない。しかも相手は同性で決して女子との会話を楽しんでいたわけではなかったのが今でも不思議でならない。たまに女子と話をすると無駄に緊張してしまってうまく話せなかったのを覚えている。恥ずかしがりだった僕は女子とうまく話せなかったのだ。

だからいつも相手は同性の友達ばかりで、毎日無駄話をしていた事が何一つ異性との接し方には役に立たなかった事を悔やんだ。


4. 好奇心、再び


学校のテスト期間が始まり、いつも話をしている友達も勉強があるからと電話をしてくれなくなった。

毎日のように話をしていた僕は急に寂しさを覚え、しかし自分もテスト勉強しなくてはと思いつつ教科書とノートを開いて勉強するふりをしていた。実は当時の僕はクラスで1位〜2位の成績で、そんなに勉強をしなくても授業だけでかなり理解出来ていたのでテスト前に焦って勉強をするという習慣が無かった。だが電話を引いた事で成績が落ちたなんて事になれば、当然親からも責められる。それだけは避けたいと思った。

いつ親が入ってきても大丈夫なように勉強しているフリをして音楽でも聴こう。カバンから教科書とノートを取り出し、最初の数ページしか開いてないと嘘っぽいので後半から終わりのページを開こうと思ったとき、ノートのページが破れていて忘れかけていた記憶が蘇ってきた。

そうだ、半年前にこのページを破って電話番号をメモしたんだ。

正直言って、もう思い出したくない記憶だった。こんなものを見た事で思い出してしまう位なら教科書なんて開かなければ良かった。そう思う気持ちとは裏腹に今自分が置かれている状況がそうさせたのか、僕の中で眠っていた好奇心が顔を覗かせた。


5. リベンジ

NTT伝言ダイヤル。

相手の女子大生の電話番号を書いた紙なんてとっくに捨ててしまっていた。しかし伝言ダイヤルの番号は4桁。僕の記憶にはしっかりと刻み込まれていた。

再生は#8501
録音は#8500

「押したら最後」と自分の気持ちにブレーキをかけている良心と、「お前自分で電話引いたんだろ?」と誘いをかける悪の囁き。綱引きで言えば両者一歩も譲らず、となる方が楽しいが、今日の悪は手強い。と言うか、良心が弱すぎた。あっさりと負けを認めるように受話器を持ち上げ、#を親指で押していた。あの時出来なかった録音を試してやろうと。

「こちらは、NTT伝言ダイヤルです。6桁から10桁の番号を押し、最後にシャープを押してください。」

馬鹿の一つ覚えのように、12341234#と押していた。

「大変申し訳ありませんが、メッセージがいっぱいの為、録音できません。」

そうだ、録音できるのは10件までだった。他のボックスを探そう。

それから僕は思いつく限りの想像力を働かせ、07210721(オナニーオナニー)や19191919(イクイクイクイク)等のブックス番号を思いつくままに打ち込み、空いていて録音出来る所を探していた。もはや何の番号を打ったのかなんて覚えてないが、急にガイダンス音声が変わった時に心臓が止まるような緊張感を覚えた。


6. 待ち受けるという事


「発信音の後に30秒以内でメッセージを録音してください。」
「録音が終わりましたら最後に#を押してください。」

しまった、ボタンを押す事に夢中だった僕はメッセージの文面を全く考えていなかったのだ。

無情にも録音は始まり、たどたどしい僕の震えたような声だけが録音されていく。30秒などあっと言う前に過ぎてしまい、確認の音声が流れた。幸いな事にここでやり直しを選ぶ事が出来たので事なきを得たが、それでも情けない喋り方だったと思う。自分が高校生である事、暇にしていますという事、よかったら電話ください、と畳みかけるように言い、最後に自分の番号を吹き込んだ。

電話を切って深呼吸し、ようやく自分のペースを取り戻した。

今から8時間はメッセージが残る。でも新しいメッセージが吹き込まれる度にどんどん押し出されていく。できればあまり遅い時間になってから電話が鳴るのは嫌だな、と思った。夜中に電話の呼び出し音が響くと親が起きてしまう。だから早く電話が掛かってきてくれればいい、ただそれだけを祈っていた。

なかなか鳴らない電話の前でじっと待っているが、こういう時には電話が掛かってこない。

ふとトイレに行きたくなり、部屋を出てトイレで用を足しているとき、自分の部屋から電話の呼び出し音が鳴った。


なぜ。なぜ今なんだ。
しかもコードレスホンを持ってきてないこのタイミングで。

パンツに押し戻す時間も惜しくダッシュで部屋に走り、受話器を取り上げた。

「・・もしもし?」
「バーカ!!!!高校生の分際で伝言なんかやってんじゃねーよ!!」

受話器の先に聞こえたのは想像していた可愛い声の女子ではなく、無情にも野太い男の声だった。
そうか。イタズラ電話の標的になるなんて想像もしていなかった。こういう事もあるのか。聞いてるのは女性ばかりではない。男性だって同じ番号を聞いているのだ。

それからしばらくこの罵声は電話を切っても切ってもしつこくなり続けた。暇だなこの人は・・と思いつつも次こそ女性からだろうと言う淡い期待を捨てられなかった僕は、ひたすら繰り広げられるイタチごっこの相手をするしかなかった。

もう何度目かのベル。当然男に対する対応のつもりで無愛想に電話に出た。

「もしもしっっ????」
「あの・・伝言聞いたんですけど・・・」

なに??女子の声??

僕は1オクターブ上の声を出したんだろう。バカ丸出しのような声で
「はいーーーー!!!」と答えていた。

まさかこの出会いがこれからの僕の高校生活を変えてしまうとは、この時想像も出来なかったが。


「どうしたの?そんなに元気な声で」

彼女はそう言うと少し笑ったように僕に言った。

「いや、今までずっといたずら電話ばかり掛かってきたのでまた男だろと思って」
「そうなんだ。私はこの通り女だよ?」
「うん、女の子の声だ。嬉しいなぁ」

そう言って会話を始めたのを覚えている。その子は僕と同じ歳だった。年上の女性に散々な事をされて臆病になっていた僕は、同い年の女の子であるという安心感だけではこの子に対してまだ懐疑の気持ちを晴らす事が出来なかった。

「名前、聞いてもいいかな」
「え?・・うん、いいよ。かおり」
「かおりちゃんか。よろしくね」

そうしてお互い自己紹介をした後でいろいろな話をした。話す事はほとんど他愛ない事ばかりで、共学なの?とか、学校楽しい?とか、彼氏とかいるの?みたいな事を聞いてみた。それぞれの質問に対して5倍位の量の返事が返ってきたので、やっぱり女の子って話すと楽しいなと思った。

「どこに住んでるの?」

そう聞いた瞬間、電話がブツッと切れてしまった。今まで楽しく話していたのにまるで灯りが煌々と点いていた部屋が急に真っ暗になったような気持ちになった。電話の調子が悪くなったのか?コードレスホンの電池が切れたのか?と思い確認してみたが、その気配はない。

きっと無神経に彼女がどこに住んでいるのかを聞いてしまった事で怒ってしまったのだろう。僕が自分から電話をしたのであれば、市外局番でどの辺に住んでいるのかは想像ができたが、今回は電話を受ける身だったので分からなかったのだ。

当時の固定電話には「ナンバーディスプレー」のような仕組みが全くなかったので、掛けてきた相手の番号など知る由もない。もはや何もする事も出来ず、その日はモヤモヤしながら寝るしかなかった。

後編へ続く


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