_少年と愛の少年_4ページ目原稿_完成_

少し間が空きまして。

 第二回HUG+展が終わりました。

 僕の作品は残念ながら選外。すかさず各SNSなどで公開しています。

 早速次の作品について構想を練ろう……と思いましたが、漠然としか浮かんできません。事業所の先生にも相談に乗ってもらっていますが、まだ纏まりません。

 次に向けて、確かにしたことは3つ。

 1つ目は、賞を受賞することを意識しない事。

 賞を得られるような作品は見ていて快いというか、幸せな気分になったり 喜びが伝わってきたり……そんな作品かもしれませんが、芸術というのは、創る人の『心』を全て投影してこそだと個人的には思います。

 喜び、幸福だけでなく、悲哀、憎悪、切実、願い……そんな一見すると暗い気持ちも全て渾然一体となってこそ自分なりのアートだと考えました。明るい感情だけ切り取って創ると、それは薄っぺらなモノになってしまう気がするのです。

 だからといって好き勝手に創るわけではなく、あらゆる意味で成長や進歩を目指したいと思います。技術や知識はもちろん、精神も身体も。

2つ目は、手数を多くすること。

 HUG+展で受賞した作品のほとんどは、とてつもない描き込みの深さと作り込みの多さでした。最優秀賞に輝いた僕の友人の作品も、彼にしか出来ないようなとてつもない描き込みの深さと労力のかけかたでした(それでいて彼は「やっていて楽しいから描きました」と言っていました)。

 次に開催まで約1年あるわけですし、どんなに遅くとも3か月前に制作を始めます。手数の多さ、労力のかけかた、描き込みの深さ……そういったものは一切惜しまず投入しよう、と決めたのでした。実際、描き込みの深さというものは見る人を一目で圧倒するパワーがあるものです。

 3つ目は、『劇的な一瞬を捉える』。

 自分でも漠然とした表現だと思いますし、構図も方法も浮かびませんが、僕の中の共通テーマとして『劇的』『叙情的』でありたいと思っています。

 これまではその激情のままに描き込んでいたのですが、前述の描き込みの深さとはまた違って『要素を盛り過ぎてしまった感』が第一回、二回共にありました。

 だから、ただ盛るのではなく ギュッ、とそういう激情だとか劇的な物語だとかを凝縮して一枚の絵に纏めて表現出来ないものか……などと考えています。動きのある絵と言いますか、言葉すらも上手く浮かんできませんが……。

 次回のHUG+展に向けての心境はまだこの程度です。

 あとは……近所に住んでいる祖父母が入院しました。

 まず祖母が胆石を患ったので田舎から市街地の病院に入院し、その2週間ほど後に祖父が血圧の乱高下などの症状が出たのでこちらは近所に医院に入院しました。

 幸い、祖母は手術に成功し 間もなく退院出来ます。祖父もまだ時期はわかりませんがじきに退院するでしょう。

 ですが、もう祖父母を同じ家に住まわせはしません。

 語りだすと長くなるし、読む人も不快だと思うので省きますが、祖父母の夫婦関係は決して良くないのです。お互いに離れて住む方がお互いのため。

 祖父はともかく、祖母はまだまともにコミュニケーションが取れる方なので、我が家の一員として迎えようとしています。

 祖母86歳。幼いころから健康優良児の太鼓判を押されているので 非常に体力が強く(83歳の時に無茶な残飯処理をして胃腸を壊し、「83年生きてきて初めて『食欲が無い』っていう感覚を味わったわ……」とか言ってましたw)、それでいて愛情の深い人です。僕ら孫などもとても世話になりました。優しく、大好きなおばあちゃんなのです。

 以前のように身体的にパワフルな生活をするのは無理でしょうが……それでも我が家に来てくれるのは正直嬉しい。一緒に穏やかに暮らしたいものです。

 あとは……『500円病』、まだ患ったままですw

 普段から買い物をするたびに、会計をする店員さんに迷惑にならない程度に500円玉、それに伴う形で100円玉をひたすら貯め続けているのです。

 もともと同人誌即売会での資金用にやり出した習慣なのに、肝心の即売会になかなか行けず、ただただ貯め込むことばかりに快感を感じている……w

 台風によって延期し、改めて10月8日に開催される関西コミティアも、正直一般参加で行きたいのですが……SNSとかで気になる人も行くし……。

 でも 体力的に不安なんですよね……翌日すぐに出勤だし、先述の祖父母のことなので精神的に結構影響されたので、参加したら体調崩すのが怖い……ああ~もどかしい!!w

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