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こちらのお弁当は温めますか。

"ひろさん、突然DMごめんなさい

覚えてないかもしれないけど2.3年前に何回か撮ってもらってて、その後わたしが連絡できなくなっちゃった〇〇です。

ふとインスタ見てたらひろさんの写真出てきて、昔と変わらずどの写真も素敵でポカポカしてました。"

自分が撮影したなかで過去一くらいにしっくりとハマってた子、突然連絡取れなくなって心配してたけど、連絡が来て安心した。

変わらない空気、変わった生活、増えた価値観、これらが混ざり合ったときに撮れる写真はどんなものになるのだろう。

あの時の感情の再現になるのか、冷めたものとなってしまうのか、それとも、より熟成されたものになるのか。

撮ってみないとわからない。

ただ、撮れる日が来るなら喜んで。


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話は変わって。

最近、いや、昔からか、ずっと思考していることがある。
それは、死ぬのは逃げなのか、ということ。

無駄に延命すること、無理やりに自死を防ぐことが正義なのか。

積極的に死に向かうことは、すなわち生きることと同義なのではないのか。

ヒトは根源的に死に対する恐怖を抱いているからこそ死を普段の生活から切り離し、それを想像することを拒絶し、自分とは関係ないものとしているだけにすぎないのでは。

それが、自己防衛になるから。

だから、死を意識した上でその死に向かっていくことは最大限に生を全うすることにならないのか。

そんなことを考えながら、思うがままに映像を作った。

https://twitter.com/hirowimps/status/1305803718223253504?s=21

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