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身をもって知った自分の闇を

私は、幼い頃から母があまり好きではない。

学童期は父のほうが好きだったけれど、お酒を飲むとモノを投げたり理不尽に叩かれたりしたので、父もすごく好きだったというわけではない。


体も心も成長してからは、父は酔っての醜態を見せることはあったけれどモノは投げなくなった(年のせいで気力がなくなっただけかもしれないが)。

母は、父やきょうだいの愚痴ばかりこぼしていて、それは私が大きくなったから言っていたのではなく、幼い頃から聞かされてきたことに気付いたりもした。


数年前、父は亡くなり、その一年数カ月後に母は脳内出血で半身麻痺を患い、要介護4→今は要支援で、いろいろあり施設暮らしである。


父も母も、いずれこんな風になるだろうと、なんとなく分かっていた。

私は優しい子なので(!)、忠告もしていた。しかし両親は「うん」とは言うけどほぼほぼ、聞いてなかったようだ

私の意見を聞き入れてもらえないことは多々あった。

父はあまり後悔はしていない人生の終わりだったように思う。しかし母は私を頼って私に面倒見てほしかったらしい。


父にも、私のライフワークに関することで(父が昔、従事した事でもあった)まともな意見を聞けなかったことがとても悔やまれている。国が大丈夫というから大丈夫なんだろう、とは何度も言っていたけれど。


私は、親からはどんなふうに育ってほしいと思われていたんだろう。


親に対して孝行はできたと最近ようやく思えるようになった。

子が生まれて孫を見せることもできたし、子らは祖父母に優しい子達に育ってくれた。ありがたいと思う。


ときどき、思う。


私は、両親が嫌いだと。

あまり好きではない、ではなく、嫌い。


以前より思いは穏やかになってきており、気づいた当時に比べたら毛嫌いするほどではない。


だが

私は両親が嫌いだ。


親のこと、嫌いになったっていい。

そこはあまり悔やまなくっていい。なぜなら罪悪感や嫌悪感を私に教え込んだのもまた、親なのだから。


世間体や周りの目は気になるかもしれない、生んで育ててくれた親に対して何たる物言いだ!と。年配の方なら特にそう思うだろう。

けれど、そう思えることで私の気持ちは安定するし、生んで育ててくれたことに感謝もできる。


この思いには、目をそらしたり後回しせずに、向き合っていく。


今までも、これからも。



闇の部分を受け止めながら、少々理屈っぽく、生きていく。


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