他人の世話より自分の世話
母親とはあれから大喧嘩のあと、音沙汰なし。
私もまだムシャクシャしていて連絡する気にはなれません。
明日から別居
明日、夫は夜の便で立つので、それからは別居になる。
飛行機で2時間の距離なので、気軽に戻るということはできない。
夫が出て行ったあと、不用品などの処分をして、この賃貸も退去する予定だったが、
母親との喧嘩があり、実家に戻れるかどうか分からなくなった。
経済的などの自立
夫は依存体質だし、私も他人から踏み込まれやすいので 共依存になってしまう。
今回別居することで夫との関係は解決できると願いたい。
それは夫だけの問題ではなく、私の問題でもある。
そして母親は過干渉気味ではあるが、それも「母親だけのせい」といえば、それは間違いだ。
過干渉に対処するには、「経済的な自立」が必要である。
本来なら子供は成人し、巣立っていく。それが経済力がないと「いつまでも実家にいよう。そのほうが楽」などと思ってしまう。
私も今回、新しく賃貸を契約するよりは実家に引っ越した方が楽だと思った。
しかしそれは、母親との共依存への一歩の始まりになる可能性が出てくる。
「同じ屋根の下に住む」ということは、それだけ大変なことなのだ。
踏み込まないように、踏み込まれないように、と心掛けるのは大事なこと。
私はまだ母親に、どこかに期待していたのだと思う。しかし、これだけ訴えても「私はこういう性格なの」「言いたいことを言って何が悪いの」と言った母親に、もう期待するのは辞めるべきだと思った。
わかってあげる必要も、分かられる必要もないのだと思う。
他人の世話より自分の世話
夫と暮らして後半の方は、違和感を覚える事があった。
夫が精神病になってからのこと。
私が夫の食器などを用意し、世話を焼いていると、
私の機嫌をうかがう夫は、私のために風呂を沸かしたりする。
けど、本来なら、食器は自分で用意したら良いと思うし、
風呂は入りたい自分が沸かしたらいいんじゃないかなって。
健常者からすれば、「食器用意するから風呂沸かしといてー」なんて当たり前のことかもしれないが、
私たちにっては、「世話を焼く」「機嫌を伺う」など、病的なことが空回りしていたように思う。
相手がやる事、できることを奪わない。自分の機嫌は自分で取る。
共依存にならないために、これは大事なことだ。
自分の人生を歩む
今まで、夫のこと、母親のこと、他人のこと。
そういうのは解決したがるのに、自分はどうしたいとかあまり考えてこなかった。
「私は頼られている」「私はいつも他人に当てにされてる」と愚痴をこぼすことも多かった。
しかし、それを手放すことにして、不安だらけだ。
これからどう生きていったらいいんだろう。
夫も、「これからどう生きていけばいいのか不安だ」と、涙した。夫の涙を見たのは10年ぶりくらいだった。
けどそういうのを見ていると、私は泣きたくても泣けなくなってしまう。気持ちを飲み込んでしまう。
色々な面で私は自由にならないといけないと思う。それはまず、自分のため。
もう他人の顔色をうかがって生きていかないためにも。
自立
1人で生きていける人はすごいよ。
最近、西原理恵子さんの本を読んだ。
旦那さんがアルコール依存症だった時の話なんだけど、やっぱり
「経済的な自立をしていて良かった」と書いてあった。
西原さんも共依存だったので、逆に経済力があることで旦那さんのアルコール依存症を援助してしまったらしいが、
それは正しい知識を身につけないといけないことで、
その後、別居や離婚などするのには、やっぱり経済力がいる。ということだった。
専業主婦などをしているとどうしても夫の経済力に頼りがちだが、もし夫に何かあったときに、ということも考えると、女性も経済力はあった方がいいと思う。
精神的な自立はできても経済力がないと、依存する隙を見せてしまうと思う。
自立への準備
夫との生活を経て、私は自由への憧れが強くなった。
誰からも文句を言われず口を挟まれない
他人の世話を焼かなくてもいい
そんな人生がきっとあるのだと。
そこで、ミニマリストにどんどん拍車をかけた。私はモノに執着しなくなり、ほとんどのものを断捨離した。
今は自由さえもらえるのなら、着るものとスマホ、石鹸ひとつあれば全然いいと思えるくらいだ。
「自由がなかった」みたいなニュアンスになってしまったが、私が自立出来てないのも
そもそもの問題なので、現実的に考えていきたい。
ただ、ここまで削ぎ落としてこれたのは、自立への準備だったのかなと思う。
今は、田舎の土地でセルフビルドをし、そこで半自給自足生活をすることに興味津々だ。
自分を満たしたい。
何から始めたらいいだろうか。
18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。