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ものを買ったり減らしたりすることに逃げている。

最近noteを楽しんで書いている。

今日はミニマリストに関するこんなことを書いてみた。

ミニマリストになることにこだわってしまう

という悩み。

ミニマリストって人生を良くするための一つの手段にしかすぎないのだけど、いつしかそれが目的にようになってしまう。。

これの解決法は、「別のハマれる何かを作るべき」と私は書きました。

私も今では「ミニマリストであること」に特にこだわりはなくて、例えば人から「あなたミニマリストっぽくないね」と言われても、「ああ、そうかもね〜」くらいにしか思わない。

昔はムキになって「いやいや私はミニマリストだから!!」ってな感じだった・・。

そのころは、とにかく他にハマれるものがなかったし、周りは結婚し始めて、子供ができたり、仕事に打ち込んだりと、何かと忙しそうだった。

だからこそ「何もない」自分に焦りと不安と恐怖と苛立ちと・・・

そういうものが込み上げてきて、「自分も何かしなくちゃ」と。

それが、「ミニマリストにハマろう」といったものだったと思う。もちろん、ハマろうと思ってハマったわけではないけれど。。

「焦り」が、私から目を背けさせてくれる「ミニマリスト」に向いた。

よく宗教とかにハマる人ってこんな感じなのかな・・・
でも、その時は視野が狭くなっているし、充実していたかといえば、間違いではないんだよね。


最近でも、私は「ガジェット会議」「ノート会議」「プラットフォーム会議」なるものをやってきた。

これは、どういうガジェットやノートを手元に残して使いこなすか決める。というもの。なんとなく自分の中で「議論」っぽいので、会議と呼んでる。

プラットフォームは、私はネット上で自己発信をしたくて。それをどこでやろうか、と悩むことが、この会議。SNSかブログかnoteか、みたいな。

たくさんのApple製品をローンを組んでまで買い続けた。

でも、手に入ってから

「私はこれを何に使いたかったんだっけ?」となる。

完全に、手段を目的にようにしていたからだ・・・。


ものを買ったり減らすことに逃げている

過去の私は、ものを買ったり減らすことに逃げてた。

だってものを買っている時は楽しい。何も考えなくて済む。
現代マーケティングの広告に踊らされて、ワクワクしている時間に身を任せ、届いた瞬間にその魔法は切れる。

そしてものを減らすことも、その時間に没頭できる。

「これを手放そうか。そしたらもっと効率が良くなるだろうか。」

でも今思えば、一体なんのために?

こうやって考えている時間に逃げていた、という表現が一番しっくりくる。

私が本来やりたいこと、しなきゃいけないこと、たくさんあったはずなのに、そういうことから目を背けていた。それも無意識に・・・いや、どこかでわかっていたのかもしれない。


やりたいことが見つからない?本当は、自分がよくわかっている・・

私はずっと「やりたいことがない」と思ってきた。だから、ミニマリストになってものを手放したり、買わない工夫をしたり、そういう道に逃げ続けた。

誤解のないように書くと、ミニマリストはとてもいい手段だ。

しかし私のように、途中から「ミニマリストが目的となっている」人はたくさんいるはず。

本当はやりたいことがあるのに、その一歩が踏み出せない。

だから、なんとなくミニマリストを続けて、手放すものを探していたほうが楽。

私はずっとそういう考えに逃げ続けてきたから、そこに後悔がある。

「なぜもっと早くやらなかったんだ」って。

今からでも全然遅くはないよ。

手段としてミニマリストを使い、人生が変わる瞬間がきっとやってくる。

そしたらその一歩を踏み出そう。

私みたいに、勇気を持たずに、ダラダラと「手放すもの探し」をやっていては、そこで終わりだよ。

やりたいことは、もうなんとなくうっすらと、わかっているはずだから。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。